ソウル市長「慰安婦像撤去は難しい」 — 2016年6月30日

ソウル市長「慰安婦像撤去は難しい」

ソウル市長「慰安婦像撤去は難しい」

 韓国の朴元淳ソウル市長は2日、ソウル駐在の外国メディアとの記者会見で、在韓国日本大使館前に違法に設置されている慰安婦像の撤去について「民間で設置し、市民の象徴的なものになっており、(撤去は)難しい」と述べた。撤去については韓国政府も同様の立場をとり続けている。(ソウル 名村隆寛)

2016.2.2産経

https://web.archive.org/web/20160202212540/http://www.sankei.com/world/news/160202/wor1602020044-n1.html
http://megalodon.jp/2016-0630-0758-23/www.sankei.com/world/news/160202/wor1602020044-n1.html

プサン日本領事館前に少女像を 推進サポーターズ発足 — 2016年6月29日

プサン日本領事館前に少女像を 推進サポーターズ発足

釜山・日本領事館前に少女像を 推進サポーターズ発足

2016/06/29

【釜山聯合ニュース】韓国・釜山の日本総領事館前に慰安婦被害者を象徴する「少女像」の設置を推進する市民サポーターズが発足した。少女像設置を目指す「未来世代が建てる平和の少女像推進委員会」が29日、釜山市内でサポーターズの発足式を開催し、政党や市民団体などから約120人が参加した。

 同委員会は年内の少女像設置を目標に、募金運動や1人デモなどの活動を行う予定だ。

 また、元慰安婦被害者支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)がソウルの日本大使館前で毎週開催する「水曜集会」にならい、昨年から釜山の総領事館前で慰安婦被害者とともに慰安婦問題の解決を訴える水曜集会を開催しており、少女像設置推進運動も合わせて行っている。

 サポーターズには釜山参与連帯、釜山女性団体連合、民衆連帯、共に民主党女性委員会、釜山環境運動連合、釜山YMCA、釜山民主労働組合総連盟など約50団体が加わった。

http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2016/06/29/0200000000AJP20160629004000882.HTML?input=www.tweeter.com

韓国・釜山の日本総領事館前にも慰安婦像 学生や市民団体が設置計画

 【ソウル=名村隆寛】ソウルの日本大使館前に違法に設置された「慰安婦像」に続き、釜山の日本総領事館前でも同じような像の設置計画が進められている。

 複数の韓国メディアによると、釜山大学の学生自治会と地元の市民団体が中心となった「未来の世代が建てる平和の少女像推進委員会」は20日、釜山市内の日本総領事館前で記者会見を開催。日本の朝鮮半島統治からの解放記念日である「光復節」(8月15日)に合わせ、総領事館前に「平和の少女像(慰安婦像)を建立する」と表明した。

 推進委では、像の設置に賛同する市民や団体を募集し、日本からの独立運動記念日の3月1日に結団式を開く。その後、像設置に向けた基金作りのため、5500万ウォン(約530万円)を目標に、全市民的な募金活動をする計画だという。

 ソウルの日本大使館前では慰安婦像を囲み、昨年12月の日韓合意に反対する集会や座り込みが続いている。市民団体などは今月、内外でさらに慰安婦像を増設する方針を宣言している。釜山の推進委も、合意に対しては「日本の慰安婦強制連行を認めない屈辱的な交渉だ」とし、大使館前の慰安婦像の撤去に「断固反対」しているという。

 韓国国内では昨年、済州島にある日本総領事館前に慰安婦像を設置する計画が持ち上がった。行政当局と市民団体の折衝の結果、計画は変更され、12月中旬に地元大学前の広場(市有地)に像は設置された。

http://megalodon.jp/2016-0121-2140-35/www.sankei.com/world/news/160121/wor1601210044-n1.html
http://megalodon.jp/2016-0121-2354-48/www.sankei.com/world/news/160121/wor1601210044-n2.html

パン・ギムン 1億人署名 — 2016年6月23日

パン・ギムン 1億人署名

国連公報部、第66回NGO会議開幕
韓国YWCA連合会、日本軍慰安婦問題解決など女性暴力予防キャンペーン

国連公報部は30日、慶州画伯コンベンションセンターで第66回国連NGO会議を開幕した。この行事の中で青少年が広げる日本軍「慰安婦」問題解決のための広報キャンペーンへの参加と応援の熱気が凄い。

今回のカンファレンスで「韓半島平和のための女性たちの努力と足跡」をテーマに世界YWCAワークショップを主管する韓国YWCA連合会(会長イ・ミョンヘ)は日本軍慰安婦問題解決など女性暴力防止キャンペーンも同時に行う。

特に5000人余りの青少年会員で構成されたYWCA Yティーン全国協議会は日本軍慰安婦問題を知らせるための広報ブースを直接運営して、日本軍慰安婦問題解決のための世界1億人署名運動を展開して熱い呼応を受けている。 Yティーンのブースは全69個の展示ブースの中で青少年が直接管理(?)する唯一の活動だ。

今回の日本軍慰安婦問題を知らせるキャンペーンには全国5ケ所の地域、すなわち大田、順天、蔚山、清州、忠州などYティン青少年会員30人余りが参加している。 これらは戦争を体験しなかった世代として青少年が考える平和のメッセージを世界市民に伝えながら、韓半島の平和のためには日本軍慰安婦問題が必ず正しく解決されなければならないと強調し、熱い参加を引き出している。

青少年の熱を帯びた活動におとな世代は立派さを表現して「どのようにこういう活動をすることになったのか」「当然署名するべきで、ご飯は食べたか」などのエールを送った。

この日開幕式に参加した後NGO展示ブースを見回したパン・ギムン国連事務総長は現場で青少年を励まし、自ら署名して目を引いた。

パン総長は「日本軍慰安婦問題解決のための世界1億人署名運動:世界が要求する!日本政府は日本軍『慰安婦』被害者に公式謝罪して法的賠償せよ!」という題名のソ・ミョンジに「パン・ギムンUN」と少なかった。パン事務総長が署名をするとすぐに参席者は拍手と歓呼で支持した。

17才女子高生、主題発表で日本政府謝罪要求

また、イ・예지양Yティーン全国協議会会長(安養市坪村高等学校3年)は5月31日、「韓半島平和のための女性たちの努力と足跡」ワークショップで韓国発表者として舞台に立った。

今年17才であるイさんは「同じ歴史を繰り返すのですか?」という問いで、日本軍慰安婦問題の根本解決こそ韓半島平和を成し遂げるところであることを強調し、青少年の声で日本政府の真心幼い謝罪と反省を要求した。

最も重要な当事者である慰安婦ハルモニが抜けたままなされた韓日政府の日本軍慰安婦合意で心が痛かったというイさんは「日本軍慰安婦問題を分からないように過ぎ去るなら、私たちの平和は完全な平和ではないということだ」と問題解決に積極的に取り組むことを訴えた。

また‘女性と軍事主義’を主題で同じ舞台に立つ女性平和運動街アン ライト(Ann Wright)前アメリカ陸軍大佐は“アメリカ軍事主義で世界あちこちで起きた戦争と紛争で犠牲になった女性たちと子供たちを注目しなければならない”として女性たちが紛争を終息して平和な社会を作るのに出ようと訴える。 韓半島平和と統一を夢見るレコードで最近発表された‘一つのコリア’も紹介した。

第66次国連NGOカンファレンスは国連公報部が2016年5月30日から6月1日まで慶州(競走、傾注)画伯コンベンションセンターで開催して、100余ヶ国2500人余りのNGO代表、学界、国際機構専門家たちが参加した。 アジアとアフリカ地域では最初に大韓民国で開かれた。

‘世界市民教育:国連持続可能な開発目標履行のための協力’を主題で開かれる今年カンファレンスでは‘児童と青少年:現在を買う未来の世界市民’等5個のラウンドテーブルを主題で世界NGO団体が主管する48個のワークショップが進行している。

キリスト教ヘラルド 2016.6.10
https://web.archive.org/web/20160623110730/http://www.chhd.co.kr/news/articleView.html?idxno=303
http://megalodon.jp/2016-0613-0639-43/www.chhd.co.kr/news/articleView.html?idxno=303

[현장중계] 유엔 공보부, 제66차 NGO컨퍼런스 개막한국YWCA연합회, 일본군 위안부 문제해결 등 여성폭력 예방 캠페인

유엔 공보부는 지난 30일, 경주화백컨벤션센터에서 제66차 유엔 NGO컨퍼런스를 개막했다. 이 행사 가운데 청소년들이 펼치는 일본군 ‘위안부’ 문제해결을 위한 홍보캠페인에 대한 참여와 응원 열기가 뜨겁다.
이번 컨퍼런스에서 ‘한반도 평화를 위한 여성들의 노력과 발걸음’을 주제로 세계YWCA 워크숍을 주관하는 한국YWCA연합회(회장 이명혜)는 일본군 위안부 문제해결 등 여성폭력 예방 캠페인도 함께 벌인다.
특히 5000여명의 청소년회원으로 구성된 YWCA Y틴 전국협의회는 일본군 위안부 문제를 알리기 위한 홍보 부스를 직접 운영하고, 일본군 위안부 문제해결을 위한 세계 1억인 서명운동을 펼쳐 뜨거운 호응을 받고 있다. Y틴 부스는 전체 69개 전시부스 중에서 청소년들이 직접 주관하는 유일한 활동이다.
이번 일본군 위안부 문제를 알리는 캠페인 활동에는 전국 5개 지역, 즉 대전, 순천, 울산, 청주, 충주 등 Y틴 청소년회원 30여명이 참여하고 있다. 이들은 전쟁을 겪지 않은 세대로서 청소년들이 생각하는 평화 메시지를 세계 시민들에게 전하면서, 한반도 평화를 위해서는 일본군 위안부 문제가 반드시 정의롭게 해결되어야 한다고 강조해 뜨거운 동참을 이끌어내고 있다.
청소년들의 열띤 활동에 어른 세대들은 기특함을 표현하면서 “어떻게 이런 활동을 하게 되었느냐”라며 “당연히 서명해야지, 밥은 먹었느냐”는 등의 응원을 보냈다.
이날 개막식에 참석한 뒤 NGO 전시부스를 둘러보던 반기문 유엔 사무총장은 현장에서 청소년들을 격려하고, 직접 서명에 참여해 눈길을 끌었다.
반 총장은 “일본군 위안부 문제해결을 위한 세계 1억인 서명운동: 세계가 요구한다! 일본 정부는 일본군 ‘위안부’ 피해자들에게 공식 사죄하고 법적 배상하라!”는 제목의 서명지에 ‘반기문 UN’이라고 적었다. 반 총장이 서명을 하자 참석자들은 박수와 환호로 지지했다.

17세 여고생, 주제발표에서 일본정부 사죄 촉구

또한 Y틴 전국협의회 회장인 이예지양(안양 평촌고등학교 3학년)은 지난 5월 31일, ‘한반도 평화를 위한 여성들의 노력과 발걸음’ 워크숍에서 한국 발표자로 무대에 섰다.
올해 17세인 이 양은 “똑같은 역사, 반복하실 겁니까?”라는 질문으로 일본군 위안부 문제의 근본 해결이야말로 한반도 평화를 이루는 길임을 강조하고, 청소년의 목소리로 일본 정부의 진심 어린 사죄와 반성을 요구했다.
가장 중요한 당사자인 위안부 할머니들이 빠진 채 이뤄진 한일 정부의 일본군 위안부 합의로 마음이 아팠다는 이 양은 “일본군 위안부 문제를 모른 척 지나간다면 우리 평화는 온전한 평화가 아닐 것”이라며 문제해결에 적극 나설 것을 호소했다.
또한 ‘여성과 군사주의’를 주제로 같은 무대에 서는 여성평화운동가 앤 라이트(Ann Wright) 전 미국 육군대령은 “미국 군사주의로 세계 곳곳에서 일어난 전쟁과 분쟁으로 희생된 여성들과 아이들을 주목해야 한다”며 여성들이 분쟁을 종식하고 평화로운 사회를 만드는데 나서자고 호소한다. 한반도 평화와 통일을 꿈꾸는 음반으로 최근 발표된 ‘하나의 코리아’도 소개했다.
제66차 유엔 NGO 컨퍼런스는 유엔 공보부가 2016년 5월 30일부터 6월 1일까지 경주화백컨벤션센터에서 개최하며, 100여 개국 2500여 명의 NGO 대표, 학계, 국제기구 전문가들이 참석했다. 아시아와 아프리카 지역에서는 최초로 대한민국에서 열렸다.
‘세계시민교육 : 유엔 지속가능한 개발 목표 이행을 위한 협력’을 주제로 열리는 올해 컨퍼런스에서는 ‘아동과 청소년 : 현재를 사는 미래의 세계시민’ 등 5개 라운드테이블을 주제로 세계 NGO 단체들이 주관하는 48개의 워크숍이 진행되고 있다.

「元慰安婦の前でも同じことが言えるのか」 1996早稲田大 —

「元慰安婦の前でも同じことが言えるのか」 1996早稲田大

2016.6.15 産経
【阿比留瑠比の偏向ざんまい】
日本の敵は日本人だ! GHQの魔法が解けない人たちの自由すぎる言行を断罪する

・・・現在では、その本質的な虚構性と政治性があらわになってきた慰安婦問題もそうである。かつては「従軍慰安婦」という言葉が戦後の造語であることを指摘するだけで、「慰安婦の存在を否定する人たち」と偏見に満ちたレッテルを貼られたものだった。

 軍や官憲による強制連行の証拠は見つかっていないという事実を述べると、元慰安婦の人権を無視する暴論だと反発された。1996年に早大学園祭のシンポジウムを取材した際には、同様の趣旨を述べた藤岡信勝東大教授(当時)に学生らが罵声を浴びせた。

 「元慰安婦の前でも同じことが言えるのか」

 「教授のその感性が許せない」

 まるで議論がかみ合わず、藤岡氏に対する集団による私刑のような雰囲気だったことが強く印象に残っている。・・・
http://megalodon.jp/2016-0623-1956-03/www.sankei.com/politics/news/160612/plt1606120002-n3.html

和解・癒し財団 委員長「日本は犯罪と認めた」 —

和解・癒し財団 委員長「日本は犯罪と認めた」

韓国委員長「日本は犯罪と認めた」

毎日新聞2016年6月1日

 従軍慰安婦問題で、昨年末の日韓合意に基づき日本が拠出する10億円でつくられる財団の設立準備委員会の委員長に就任した金兌玄(キム・テヒョン)誠信女子大名誉教授は1日、財団が活動の中心に据えることを想定する給付金は、日本が「(慰安婦の動員を)国家の犯罪だと認めたため」に支払うものだと述べた。

 韓国のラジオとのインタビューで述べたと聯合ニュースが報じた。

 金氏は5月31日の記者会見で、日本の拠出金を基に財団が被害者に行うことが想定される現金支給は「癒やし金であり、賠償ではない」と発言し、韓国メディアから日本の責任を問わないのかとの批判を浴びていた。ラジオでの発言は前日の言及と大きく食い違っており、批判をかわすため軌道修正を図った形だ。(共同)

http://mainichi.jp/articles/20160602/k00/00m/030/105000c

和解・癒し財団 来月設立 —

和解・癒し財団 来月設立

「来月設立」 準備委員、支援者に参加要請

毎日新聞2016年6月7日

http://mainichi.jp/articles/20160608/k00/00m/030/087000c

 【ソウル米村耕一、大貫智子】韓国政府が設立する元慰安婦支援のための「和解・癒やし財団」(仮称)設立準備委員を務める柳明桓(ユ・ミョンファン)元外交通商相が7日、ソウル市内で毎日新聞のインタビューに応じ、財団設立の時期について「7月半ばから末の間までに」との見通しを明らかにした。韓国政府は当初、設立のめどを6月中としていたが、事務手続きに一定の時間がまだ必要だという。

 また、準備委員は現在11人だが、財団発足後は理事が「最大15人」になると説明。柳氏は理事として残らず「残り5人は市民団体からも派遣してもらうのが良い」と述べ、元慰安婦支援団体の「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会(挺対協)」などに参加を呼びかける方針を示した。「元慰安婦のおばあさんの心の傷を癒やすという目的を果たすには、それが一番だ」としている。

 挺対協などは昨年12月の慰安婦問題に関する日韓政府間合意に反対しており、財団に参加する見通しは立っていない。しかし、柳氏は「おばあさんの少なくとも3分の2以上が参加すれば、財団と挺対協の折衝も可能になると思う」と話し、まずは市民団体の支援を受けていない元慰安婦に理解を求めていく考えを明らかにした。

 韓国政府に登録された元慰安婦の女性は238人で、生存者は42人。柳氏は準備委や財団として元慰安婦や遺族、家族から改めて聞き取りし、個々の要望に応じたきめ細かい支援を実施する考えを示した。

 一方、ソウルの日本大使館前の慰安婦を象徴する少女像の移転問題に関しては「韓国政府も大きな負担を感じている」と述べた。多くの元慰安婦が財団からの支援を受ければ移転に向けた機運が自然に高まるが、移転を急ぐと日本政府が財団に拠出する10億円は、少女像撤去のためだとの感情的な反発が強まると指摘。「韓国政府に任せておくのが一番良い」と、日本側の冷静な対応を求めた。

 また、2012年に韓国側の要請で締結直前で延期になった日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)については「北朝鮮に関する情報は、日本より、韓国にとってより必要だ」と話し、日韓合意が着実に履行され、日韓関係が改善していけば、協定の早期締結も可能との見方だ。

 柳氏は、準備委発足前に財団のあり方を検討した「官民合同タスクフォース」の共同座長として、設立準備を巡る議論で中心的な役割を果たした。

和解・癒し財団 韓国元外交通商相 —

和解・癒し財団 韓国元外交通商相

慰安婦財団
心の傷いやすこと一番大事…韓国元外交通商相

毎日新聞2016年6月7日 

 元慰安婦支援のための「和解・癒やし財団」(仮称)設立に向けた課題などについて7日、毎日新聞の取材に応じた韓国の柳明桓(ユ・ミョンファン)元外交通商相の主な発言は次のとおり。

−−財団の名称の意味は。

 ◆日韓政府間の合意では、元慰安婦の方々の心の傷を癒やすことが一番大事だ。癒やしがあって(日韓が)和解する。財団の目標を名前ではっきりさせた。

 −−女性問題専門家の金兌玄(キム・テヒョン)・誠信女子大名誉教授が設立準備委員会の委員長となった。

 ◆金委員長が財団設立後は理事長になるはずだ。財団が正式に出発する前にも委員長という肩書で元慰安婦の方々に会い、気持ちを聞いて、それを財団の活動の参考にする形になればいい。

 −−理事の構成は?

 ◆今、気にしているのは元慰安婦を支援する市民団体、挺身(ていしん)隊問題対策協議会(挺対協)を含む団体からも理事を派遣してもらったほうが良いということ。私は準備委員会までで辞めるつもりなので、残り5人の枠がある。

 −−今後の日程は?

◆準備委員会を2、3回は開く必要がある。(財団設立は)7月末よりも前にはできるのではないか。

 −−財団の事業はどういうイメージか。

 ◆慰安婦被害者は238人登録され、生存者は42人だ。あらためて本人や家族から事情や要望を聞く。現金を払うこともできるし、家賃などを用意することもあるだろう。個人のニーズに合わせて活動する。

 −−挺対協を含め、まだ反対が強い。

 ◆重要なのは被害者の立場だ。皆さんが財団に参加すれば一番良い。それができなくても、少なくとも3分の2以上が参加すれば、挺対協などの団体とも折衝できると思う。

 −−日本大使館前の少女像はどうなるか。

 ◆大使館の安全と尊厳を守る義務は受け入れ国にある。ただ、無理やり撤去するのは良くない。財団が発足し、元慰安婦の方々が参加して心の傷を癒やし、残っている問題が少女像ということになれば、どうすれば良いかという話は自然に出てくる。

 (急ぎすぎて)「少女像を撤去するために(日本が)10億円を出した」と誤解されれば、韓国国内で非常に感情的な問題になる。だから、韓国政府に任せておくのが一番良い。日本側の気持ちはよく分かっており、韓国政府も大きな負担を感じている。

 −−日韓の安保協力の基礎となる軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の締結についてどう考えるか。

 ◆個人の考えでは、できるだけ早めにやるべきだ。慰安婦問題での合意が履行され、雰囲気が良くなれば可能だと思う。【聞き手・ソウル米村耕一、大貫智子】

http://mainichi.jp/articles/20160608/k00/00m/030/089000c

日韓「慰安婦問題」合意が生き延びている理由 —

日韓「慰安婦問題」合意が生き延びている理由

日韓「慰安婦問題」合意が生き延びている理由
ニューズウィーク日本語版 2016年6月22日(水)16時10分
ロバート・E・ケリー(本誌コラムニスト)

<今年4月の総選挙で「反日」的傾向の強い左派勢力が勝利したが、なぜか左派は日韓合意に対して目立った反対姿勢を示さない。日韓合意は韓国の有権者からは人気がないが、それでもこのまま左派が行動を起こさなければ、国民から暗黙の承認を得られたことになるかもしれない>

 日本の安倍晋三首相と韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領が、日韓関係をこじらせてきた慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的」に解決することで合意したのは昨年末のこと。元慰安婦を支援するために韓国が設立する財団に、日本政府は10億円を支払う。一方の韓国政府は今後、この問題を蒸し返さないという内容だった。

 これを問題解決への大きな一歩と捉えた向きは多かったが、現実には何も前進していない。朴は求心力を失い、安倍には積極姿勢が見られない。韓国では、今年4月の総選挙で歴史的に慰安婦を擁護してきた左派が議会で第1党になり、合意の実現が疑問視されている。しかし、それでも合意は生き続けている。

 背景には北朝鮮の存在がある。北朝鮮と韓国の関係は現在、10年に北朝鮮の潜水艦が発射した魚雷が韓国の哨戒艦「天安」を爆沈して以来、最悪の状態にある。日韓合意から数カ月の間に、北朝鮮は4回目の核実験と複数のミサイル発射を行い、韓国との協力事業である開城工業団地を閉鎖した。

 日韓はこうした安全保障上の共通の脅威を前に、慰安婦問題のような急を要さない課題を後回しにしたようだ。朴政権は、慰安婦問題に関する議論を深める目的で13年と15年に2つの委員会を設置したが、昨年末が提出期限だった報告書の作成を突然棚上げし、委員会の活動も停止させた。

【参考記事】韓国総選挙の惨敗と朴槿恵外交の行方

 いずれにせよ、主要な合意内容はまだ履行されていない。おそらく、韓国国内で合意が好意的に受け入れられていないことが関係しているだろう。

左派の沈黙は暗黙の承認
 元慰安婦支援のための財団はまだ設立されておらず、先月末にようやく設立準備委員会が発足したところだ。そのため、日本政府が10億円を拠出するための枠組みもまだ決まっていない。

 合意ではまた、ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦像について、韓国政府が解決の努力をすると明記されたが、いまだ撤去されていない。撤去されない場合、日本政府が財団への拠出を行わない可能性もある。

 総選挙での左派の勝利で、慰安婦問題が再び取り上げられる可能性は高まった。左派は歴史的に日本に対して猜疑心を抱き、反日感情をむき出しにする傾向にある。

 さらに左派の中には、韓国の最大の敵は北朝鮮ではなく日本だと言う人たちもいる。慰安婦問題は、日本によって植民地支配されていた1910年から45年に韓国人が味わった苦難を訴える「合言葉」となっている。

 最大野党「共に民主党」は中道左派の「国民の党」と協力して合意内容の変更や履行の阻止、ひいては破棄に動くかもしれない。何しろ合意は韓国の有権者に不人気なままだし、朴の支持率は低い。朴が来年末の大統領選を見据えて、政治的なご都合主義に走る恐れはある。

 ところが左派は今のところ、合意に対して反対の姿勢を見せていない。総選挙以来、韓国国会に目立った動きはない。今月7日の期限を過ぎても、主要人事でもめ続けている。だがそれだけでは、左派議員が日韓合意への反対意見を非公式にでも表明しない理由を説明できない。

 沈黙は何かの暗示かもしれない。選挙以来、当選した野党議員が慰安婦問題に関して誰も声を上げていない。大統領以外で、この問題に言及した最も有力な人物は「共に民主党」の金鍾仁(キム・ジョンイン)非常対策委員会代表くらいだ。金は日韓関係の改善を阻んできた問題の解決に期待を示し、合意を歓迎している。

 日韓合意がこれからどう転ぶかは分からない。過半数を割り込んだ与党はどんな法案も通しにくくなるだろう。果たして朴は、拠出金のための枠組み設置や、慰安婦像の撤去ができるのか。合意内容の変更や、履行を阻止する動きをかわすことはできるのだろうか。

 左派の沈黙は暗黙の承認とも受け取れる。もし左派が年内に行動を起こさなければ、彼らにとっては不本意かもしれないが、日韓合意は国民的な了承を得られたと言えるかもしれない。

[2016年6月21日号掲載]

https://web.archive.org/web/20160622200505/http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/06/post-5370_1.php
https://web.archive.org/web/20160622200819/http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/06/post-5370_2.php

米兵に暴行された在日豪人女性 — 2016年6月22日

米兵に暴行された在日豪人女性

米兵に暴行された在日豪人女性「魂が殺されていくような感覚」
週刊女性PRIME 6月1日(水)週刊女性6月14日号
http://megalodon.jp/2016-0622-2050-13/archive.is/D7YbH
https://web.archive.org/web/20160622115309/http://www.jprime.jp/tv_net/affair/27806

 沖縄・うるま市の女性会社員の命と尊厳が、元米海兵隊の軍属シンザト・ケネフ・フランクリン容疑者(32)に突如奪われたレイプ殺人事件。

「被害者はどれだけ助けてほしかったか……。私もそうでした。痛いほど気持ちがわかります。沖縄県民はもう70年間、みんな助けてほしいと思っているはずです。沖縄でこのような事件が起こるたび、日本政府は“何とかします”と壊れたレコードのように繰り返しているだけ」

 在日豪人のキャサリン・ジェーン・フィッシャーさんは激しい怒りをあらわにする。自身も2002年、神奈川・横須賀市で、米空母「キティホーク」所属の米兵にレイプされた過去があるからだ。

「実名で米兵によるレイプ被害を公表し顔出しで活動している人は誰もいません。事件で傷つき、またつらい思いをするなど誰もしたくないでしょう。でも、ほかの被害者がなかなか訴えられないからこそずっと諦めずにやってきました。これからもそうです」

■被害が繰り返される理由  

 シンザト容疑者は「こん棒で頭を殴った」「強姦した」「数時間、乱暴する相手を探していた」と凶暴性、計画性を供述。刃物による傷は遺体の骨まで達していたという。沖縄県基地対策課によると米軍人の強姦犯の検挙件数は、

「県の統計では、本土復帰した1972年5月15日から2016年4月末までで130件。人数にして148人です。発生件数ではないので、実際にはもっと多くの被害があるとみる専門家もいます」

 そして被害が繰り返される理由を、次のように指摘する。

「数十年、事件が発生するたびに再発防止を繰り返し申し出てきましたが、状況はまったく変わっていません。沖縄に米軍基地が集中(全国の約74%)しているのが理由であると考えています」(同課)

 県民の怒りももっともで、容疑者逮捕から3日後の5月22日には、米軍キャンプ瑞慶覧ゲート前で女性団体が緊急集会を開催。参加者約2000人は追悼の意を込めた黒いチョウが印刷されたプラカードを掲げ、全基地・軍隊の撤退を求めた。

 シンザト容疑者が勤務していた米空軍嘉手納基地前でも25日、緊急抗議集会が開かれ、約4000人が黙禱した。

■海軍を名誉除隊になった加害者は米国へ帰国

 ’15年に自身の経験と闘いの記録を収めた『涙のあとは乾く』(講談社)を出版したキャサリンさんも、米兵の欲望のために人生が歪められた。’80年代に来日し沖縄出身の日本人と結婚。3人の息子にも恵まれた(夫とは離婚)。

 被害に遭ったのは’02年4月、横須賀市の飲食店で待ち合わせ中、見知らぬ米兵に飲み物に薬を盛られ、抵抗もむなしく自車内でレイプされた。

「自力で神奈川県警に通報したが、事情聴取ではからかわれながら尋問され、病院に行きたいという懇願も却下。7時間、飲食もさせてもらえず下着も身につけない状態で14時間も拘束されました。レイプテストキットもなく、レイプの物的証拠を残させてもらえなかった。あれは“セカンドレイプ”でした」

 強姦された自分のバンを運転して帰り3人の子どものため仕事も休めない状態……。

 ところが、検察は加害者を嫌疑不十分として不起訴に。そこでキャサリンさんは、加害者に対する民事訴訟を東京地裁に起こし、’04年11月、300万円の支払いを命じる判決を勝ち取った。その最中、海軍を名誉除隊になった加害者は米国へ帰国し、支払いから逃げようとしたという。

 事件以来、キャサリンさんは「魂が殺されていくような感覚」に襲われ続けた。

「毎日のように泣いて泣いて……感情が制御できなかった。本当に地獄だったの。いつも悲しくて怖くて、ひどいPTSDを発症し、レイプの場面が何度も目に浮かんで吐き気とめまいがして息苦しくなって。パニックになって悪夢もたくさん見ました。母親にすら触られたくなかった。誰とも食事をせず、摂食障害になり、すごくやせました」

 生々しい後遺症を話す。

■誰にも言えずに苦しんでいる人たちがいる  

 ’08年、キャサリンさんは沖縄で初めて、レイプ被害についてスピーチした。

「会場で“私も被害者なんです”と打ち明ける人が必ずいる。誰にも言えずに苦しんでいる人がどんなに多いか……。沖縄でも、50年間、誰にも言えずに苦しんできた70代のおばあちゃんに出会いました。

 これまでのすべての被害者と未来の子どもたちのためにも、レイプ被害を根絶することが私の目的です」

 キャサリンさんは加害者の逃亡後、自力で居場所を突き止め、米国で日本での裁判の判決承認を求める裁判を起こし、’13年10月、勝訴した。目下の展望は、来年1月までに、全国に『24時間被害者支援センター』を作ることだ。

 今回の事件を受け政府は、関係省庁の局長級で構成する「沖縄県における犯罪抑止対策推進チーム」を設置したが、検討されている対応策は街路灯や防犯カメラの増設など。

「“暗い夜道で被害にあう”など“レイプ神話”は捨てなければだめ。年齢、服装、場所、性別までも関係なく被害にあうの。ちょっとした治安向上ではなく、とにかく被害者を全面的に守る制度を整えなくては」(キャサリンさん)

■日米地位協定の改定を要求しない日本政府

 翁長雄志沖縄県知事は5月23日、安倍総理と会談し、オバマ米大統領と直接会話する場を設けてほしい、日米地位協定を見直してほしい、と要望した。

 日本側の犯罪捜査や裁判権を制限するこの協定に対し、県民はこれまでも再三にわたり改定を求めている。しかし伊勢志摩サミットに参加するため来日したオバマ大統領に、安倍首相が改定を要求することはなかった。

 翁長知事は、安倍総理の対応を「大変残念であります」と批判。「このまま日米地位協定の改定がなされなければ、県民は、米軍基地に対する不安を解消することができず、これ以上耐えることはできません」とコメントを発表した。

 沖縄で暮らす名桜大4年の玉城愛さん(21)は、同年代のレイプ被害者に涙する。

「想像するよりもずっとつらくて怖かったと思います。現場付近は私も通り慣れた道。もし被害者が自分や家族、友人だったらと思うと……。みなさんも考えてみてほしいです」

 日本政府には、

「国民の命よりも日米関係が大切なんだなと肌で感じました。“ これ以上ふざけないで”と思う」

 沖縄の声を聞くたびにキャサリンさんが思うことは、“Okinawa is crying.”。

「私が沖縄で会う人は、みんな涙を流すの。沖縄では米兵によるレイプの危険性が高いだけじゃない。日米地位協定のせいで犯人の国外逃亡も防ぎづらくなっています。もう私と同じ地獄を誰も味わわないでほしい。悪の循環を壊さなければ。人間が作った問題ですから、人間が直せるはず」

涙のあとは乾く 単行本 – 2015/5/27
キャサリン.ジェーン・フィッシャー (著)

「ハッキリ会」臼杵さんの奮闘 「日本の兵隊さんもかわいそうだった」 —

「ハッキリ会」臼杵さんの奮闘 「日本の兵隊さんもかわいそうだった」

元慰安婦 支援事業の現場(その1) 被害者本位を貫く

毎日新聞2016年6月5日 東京朝刊
http://mainichi.jp/articles/20160605/ddm/001/010/176000c

被害者に寄せる臼杵敬子(うすきけいこ)さん(68)の思いが届いたのかもしれない。

 「臼杵が来たよ、今来てるよ」。今年2月、韓国・ソウルの財閥系病院。日本のNPO法人の代表理事を務める臼杵さんが訪れると、元慰安婦(89)は一瞬目を開いて手を差し出した。臼杵さんが取った手には力がこもり、確かにおばあさんの意思が感じられた。

 翌日、このおばあさんは息を引き取った。

 元慰安婦への「償い」を目指し、日本がアジア女性基金を設立したのは1995年。基金が2007年に解散した後も、外務省は年720万〜1500万円のフォローアップ事業を続けている。韓国事業を担当する臼杵さんは、大衆薬や靴下を持参したりして年4回ほど巡回訪問してきた。

 臼杵さんに同行して昨年おばあさんに会った私も、死去の知らせに衝撃を受けた。孤独を紛らわすテレビの音が響く部屋で、臼杵さんと語らう彼女は元気そうに思えた。だが、昨年末の日韓両政府の合意の成果をみることはできなかった。

 韓国政府が認定した被害者238人のうち、生存者は42人まで減った。「財団からのお金を受け取りたいと、亡くなったおばあさんは話していたそうです。家族のことが心配なのです」と臼杵さんは言う。

 慰安婦問題が浮上してから四半世紀あまり。被害者本位を貫いてきた臼杵さんと共に合意後の現場を歩いた。<取材・文 岸俊光>

元慰安婦 支援事業の現場(その2止) 「ハッキリ会」臼杵さんの奮闘
http://mainichi.jp/articles/20160605/ddm/010/010/029000c

向き合う戦後責任
 今年4月25日、韓国のフォローアップ事業を担当するNPO法人のメンバーはワゴン車に94歳の元慰安婦を乗せ、ソウル郊外のスパ施設に向かった。風呂に入り、部屋着に着替えて広間でおばあさんらと車座になっていると、慰安婦問題をめぐる論争などないように思えてくる。

 慰安婦問題は冷戦後の日本が直面した最も困難な歴史問題と言える。戦後70年も押し詰まった昨年12月28日、韓国政府が設立する財団に日本政府が10億円程度を支出することで両政府が一致し、「最終的かつ不可逆的に解決」されることで合意するまでに、長い歳月が流れた。

 1991年12月、元慰安婦らが初めて日本政府を相手取って起こした戦後補償裁判。河野洋平官房長官談話の根拠とされた93年7月の元慰安婦聞き取り調査。97〜2002年に実施されたアジア女性基金による韓国向け「償い事業」。基金解散後の08年度から始まった日本のフォローアップ事業……。節目の現場には、いつも臼杵敬子(うすきけいこ)さん(68)の姿があった。

 慰安婦は戦争に行った多くの日本人が知る存在だった。だが、その歴史解釈は「性奴隷」か「売春婦」かの極論が対立し、なお決着をみていない。そのはざまで臼杵さんらが選んだのは、日本政府に補償を求める元慰安婦らの裁判を支援する一方、政府が設立したアジア女性基金にも協力するという難しい道だった。それは「被害者本位を貫く」という信念に基づく行動だったが、市民運動の側からは運動の分裂を招いたと批判され、政府からは疑いの目を向けられた。

 しかし、慰安婦問題に関わる政治家や官僚、記者が時の経過と共に交代していく中、臼杵さんほど支援の第一線で奮闘してきた人はほとんどいない。代表を務める市民団体の名称が、その思いをよく表している。「日本の戦後責任をハッキリさせる会」(略称・ハッキリ会)

 90年6月、臼杵さんはフリージャーナリストとして、韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会(遺族会)が日本の戦後処理問題を問う釜山−ソウルの大行進を取材した。生死確認は戦後処理の基本となる。日本人は正確を期して70〜80年代にやり直されたのに、同じ日本兵だった韓国人の軍人・軍属は放置されたままだった。徴用された多くの人々も行方が知れない。

 「これでなぜ、『65年の日韓基本条約で解決済み』と言えるのか。戦争処理は戦後生まれにも責任がある。私たちの世代にハッキリさせようという思いでした」。半年後、東京・渋谷の事務所に机を一つ借りて、ハッキリ会がスタートした。

 主な活動は、旧日本軍の軍人・軍属や慰安婦だった韓国人と遺族35人が91年12月、日本政府に補償を求めて起こした遺族会裁判の支援である。今日まで行動を共にするルポライターの原田信一さん(71)と写真家の勝山泰佑(ひろすけ)さん(71)が合流した。

 遺族会裁判は、初めて自ら元慰安婦と名乗り出た金学順(キムハクスン)さん(97年、73歳で死去)らが、日本政府に補償を求めたことで、過去ではなく現実の問題として注目を集めた。だが、04年11月に最高裁で原告敗訴が確定し、司法の場で救済が図られることはなかった。

 臼杵さんが韓国にのめりこみ、慰安婦に関心を寄せたのは、大行進の取材より8年前にさかのぼる。女性誌としては異例の在日韓国・朝鮮人の記事を担当した後、76年に初めて韓国を訪れた。現在の朴槿恵(パククネ)大統領の父、朴正熙(パクチョンヒ)大統領の軍事政権下にあり、暗いイメージがあった。それでも友人の下宿に転がり込み、市井の人々にふれることで、むしろ韓国社会の明るさに引きつけられていった。

 「歴史的にも文化的にも、日本と本当に近い。この国の人を取材するのに私は通訳を介してでは満足できない」

 思いを募らせ、82年にソウルに語学留学し、その時の体験などを「現代の慰安婦たち」にまとめた。日本人男性による買春ツアーや植民地時代に受けた傷の叫び、米軍基地の街の女たち−−。韓国語の習得に励みつつ、知人が経営するスナックを手伝いながら体験した韓国社会の息遣いが、生き生きと伝わってくる。

 驚かされるのは、地元の女性誌が掲載した元慰安婦の手記を手掛かりに、雑誌の編集長に頼んで行方を捜した逸話だ。初版が出た後に臼杵さんは所在を突き止め、84年に面会した。韓国・大邱から当時のビルマに送られて戦後はベトナムに残り、ベトナム戦争の難民となって帰国した元慰安婦は、臼杵さんに思い出話を語ったという。

 「『日本の兵隊さんもかわいそうだった。東北の人だったけれど、自分のことを妹のようにかわいがってくれた』と言ってね。儒教の影響が強い韓国では、体を汚されるのは死んだようなもの。元慰安婦は決して表に出てこないと思っていました。外国暮らしが長い彼女は感覚が違っていたのかもしれません」。臼杵さんは手記を手に振り返った。

 慰安婦問題は90年代に顕在化した。90年6月に、参院予算委員会で労働省(当時)の局長が「民間業者が軍と共に連れ歩いていたような状況。実態調査はできかねる」と答弁して韓国側の反発を招いた。金学順さんが慰安婦だったと明かしたのは翌91年8月。臼杵さんが面会した元慰安婦は、その時すでに他界していた。

医療・福祉支援で成果
 戦後50年の95年、歴史認識の対立は頂点に達した感があった。「戦後50年国会決議」は、日本の対外政策や軍事行動の評価をめぐって混乱した。6月に衆院で可決したものの大量の欠席者が出て日本の責任が曖昧になり、参院への提出は見送られた。一方、8月には「侵略」「植民地支配」「お詫(わ)び」の文言を入れた村山富市首相談話が発表された。

 この年はハッキリ会にとっても転機となった。自民・社会・さきがけ3党連立の村山政権の下、軍の関与を認める河野談話を具体化する施策としてアジア女性基金が7月に発足し、ハッキリ会としてどう対応するかが問われたのである。

 河野談話の作成にあたり、日本政府は93年7月に元慰安婦から聞き取り調査を行った。これに協力した遺族会から相談され、臼杵さんもソウルの遺族会事務所で行われた調査を見守った経緯がある。

 アジア女性基金は「償い金」を国民の寄付で集める一方、政府に代わって首相のおわびの手紙を手渡し、政府が支出する医療・福祉事業に携わる組織だった。政府補償を主張する側は、「国の責任を免れるごまかしだ」と非難した。

 基金が95年8月15日付の全国紙に発表した呼びかけ文に、おおむね次のような一節がある。

 <慰安婦をつくりだしたのは過去の日本の国家です。しかし、日本という国は決して政府だけのものでなく、国民の一人一人が過去を引き継ぎ、現在を生き、未来を創っていくものでしょう>

 文章を考案した国際法学者の大沼保昭さん(70)は、基金の呼びかけ人・理事を務めた柱の一人である。サハリン残留朝鮮人の帰還運動などに取り組み、83年には「アジアにたいする戦後責任を考える会」をつくって、「戦後責任」の言葉と思想を定着させる先駆けとなった。

 考える会とハッキリ会。共に戦後責任を問い、かたやハッキリ会はそれを明確にしたようにも見える。会の名称が似たのは偶然だが、大沼さんと臼杵さんには確かに通じ合うものがある。

 ハッキリ会などの呼びかけで、「慰安婦110番」が92年1月に開設された。3日間にかかった235件の電話は、元兵士からが9割を占めた。嫌がらせは皆無に近く、軍の管理などについて、まじめに情報を提供してくれたという。

 「制度をつくったのが軍だとしても、国民の責任を考えないと。慰安所に並んで、制度を担ったのは兵隊ですから」。戦後責任に対する臼杵さんのこだわりは当事者の声に根差すものだった。

 国民も寄付し、政府も出資するとの政府の説明を受け、ハッキリ会はメンバーの原田さんを基金に送り込む決断をした。アジア女性基金を批判しつつ関与する−−。95年9月12日の会報は批判も覚悟し、基金に臨む方針を記している。

 <国家責任に基づいた被害当事者への政府拠出の実現。(中略)募金協力しながら「民間も出すのだから政府も出して当然」という迫り方を展開していく>

 一方、政府の側も当初はハッキリ会に好意的ではなかった。自治労国際局長として村山内閣を支えつつアジア女性基金に加わった中嶋滋(しげる)さん(71)は証言する。「臼杵さんは遺族会との人脈があるし、韓国語もできるから協力してもらいたいと思った。政府との交渉では、『何かあれば責任を取るか』とも言われました。実際は通訳以上の仕事をしたわけですが」

 基金の「償い事業」の中でハッキリ会が重視したのは、政府が支出する医療・福祉支援事業だ。事業の中身をよりよいものにして本人に直接渡すことに、中嶋さんと共に力を尽くした。政府予算による医療・福祉支援は、村山内閣当時の古川貞二郎官房副長官の知恵だった。五十嵐広三官房長官に迫られ、旧厚生省出身者として介護や医療に人道上なら出せる、と考えたのである。

 事業は韓国、台湾、フィリピン、オランダの被害者らを対象に行われた。その柱は、国民の寄付による200万円の「償い金」と、政府拠出による120万〜300万円の医療・福祉支援などから成る。医療・福祉はあくまで財・サービスとされ、基金から直接届けることはできず、当初は分割して、別団体を通す方法がとられた。「現金給付では政府補償と同じになる」と難色を示す国と激論し、現金300万円を直接送る方法に変更したのは基金事務局の頑張りと言える。

 「日韓の請求権問題が65年の日韓請求権協定で終わったことは明白だった。それを揺さぶり、実質的に超える中身をつくろうと試みた」と原田さんは語る。政府の河野談話検証は、韓国の元慰安婦61人に1人あたり計500万円の事業を実施と明記した。補償にぎりぎりまで近づいた医療・福祉支援は、ハッキリ会の到達点に見える。

 今年4月下旬、16年度最初のフォローアップ事業が実施され、精力的に動く臼杵さんに同行した。基金を2年後に解散し、アフターケアに対応する方針が示されたのは05年。臼杵さんらは07年にNPO法人をつくり、韓国の元慰安婦らの巡回訪問を続けている。

 スパ施設でリラックスし、広間で談笑する94歳のおばあさんは、カートを押して毎朝2時間の散歩を日課にしている。「昨年12月の日韓合意をどう受け止めましたか」。私が尋ねると、「良かったと思う」と短い答えが返ってきた。そして「次はいつ来るの」と、臼杵さんにせっついた。健康そうなこのおばあさんも、食が細く、日によって体調に差があり、1人暮らしは難しくなった。

 釜山に足を延ばし、女性運動家の話を聞いた後、翌日向かったのは、元慰安婦が集団で生活する社会福祉法人「ナヌムの家」だった。昨年5月に自宅を訪ねたおばあさんが入居していた。ベッドに横たわるおばあさんに、臼杵さんが話しかけ、紅を引くと、おばあさんは、かすかに笑ったように見えた。

 「一緒に旅行して顔のパック美容をしてあげると、ハルモニ(おばあさん)たちはすごく喜ぶ。それも臼杵さんのアイデアです。元慰安婦が四十何人いれば、その数だけ名前と生き方がある。国はそれをひとまとめにするけれど、臼杵さんのしていることは、そうではないんだということじゃないかな」。臼杵さんの行動を長年記録してきた、写真家の勝山さんの言葉が心に響いた。

 フォローアップ事業を通じて臼杵さんらは家族的な雰囲気をつくり、元慰安婦と時間を共有してきた。日韓合意を履行するため、韓国政府が設立する「和解と癒やし財団」(仮称)の具体的な姿はまだ明らかになっていないが、事業内容は日本の巡回訪問と似たものになるだろうと臼杵さんは考えている。

 昨年8月、臼杵さんは故郷の香川県で介護中だった母を亡くした。痛めた自身の腰が完治していないことも、あまり口にしない。「次は釜山を拠点に被害者を訪ねたい」。今月中旬、NPOチームは2回目の巡回訪問のため韓国に渡る。

慰安婦問題を巡る流れ
1990年12月 日本の戦後責任をハッキリさせる会が発足

  91年 8月 元慰安婦の金学順(キム・ハクスン)さんが初めて実名で告発

     12月 元慰安婦や元軍人・軍属、遺族らでつくる韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会のメンバーが日本政府に補償を求め提訴

  93年 8月 河野洋平官房長官談話

  95年 6月 衆院が「戦後50年国会決議」を可決

      7月 アジア女性基金が発足

      8月 村山富市首相談話

  97年 1月 アジア女性基金が韓国の「償い事業」を開始(2002年5月、申請受け付け終了)

2004年11月 遺族会の戦後補償訴訟で最高裁が原告の上告棄却

  07年 3月 アジア女性基金が解散

  08年 4月 元慰安婦へのフォローアップ事業開始

  14年 6月 政府が河野談話の検証報告書を公表。談話継承を強調

  15年12月 韓国政府が設立する財団に、日本政府が10億円程度を拠出することで日韓両外相が一致。「最終的かつ不可逆的」な解決で合意

 ◆今回のストーリーの取材は

岸俊光(きし・としみつ)(論説室)

取材をする岸俊光論説委員
 1985年入社。東京本社学芸部長などを経て、2014年から論説委員兼オピニオングループ編集委員。大沼保昭・東大名誉教授との共編著に「慰安婦問題という問い」。昨年6〜7月、朝刊に「『償い』という問い」を連載した。今回は写真も担当した。