New teacher’s guide on ‘comfort women’ to be distributed across California schools — 2019年1月27日

New teacher’s guide on ‘comfort women’ to be distributed across California schools

New teacher’s guide on ‘comfort women’ to be distributed across California schools
The debate around teaching this history has been controversial, with some arguing the Japanese government has long denied justice to comfort women.

Jan. 16, 2019, 6:51 AM GMT+9
By Agnes Constante
Two California non-profits are planning to distribute across school districts in California a teacher’s resource guide about “comfort women,” the mostly Korean women who were forced into Japanese military-run brothels during World War II.

The guide was commissioned by the Korean American Forum of California (KAFC) and the Comfort Women Justice Coalition (CWJC), which spearheaded the creation and installation of a comfort women memorial in San Francisco in 2017, as part of their efforts to educate the world about this chapter of World War II history in Asia.

“We need to do that in order to make sure that this kind of history will never be repeated again,” Lilian Sing, a retired San Francisco judge and co-chair of the CWJC, said. “And hopefully the historical atrocities like ours, like comfort women, as well as American slavery, the Armenian Genocide and the Holocaust, will never happen again.”

During World War II, an estimated 200,000 women from countries including Korea, the Philippines, China, and Indonesia were forced into sexual slavery and “served” between five to 60 soldiers per day, according to research referenced by professors from Vassar College and Shanghai Normal University.

The guide contains primary documents about Japan’s comfort women system, information about comfort women memorials in the United States, brief lesson plans with discussion questions and group exercises, comfort women testimonies, and the text of a congressional resolution asking the Japanese government to acknowledge, apologize for, and accept responsibility for its comfort women system.

The debate around discussion of comfort women has been a controversial issue. Advocates of discussion say that the Japanese government has long denied justice to comfort women, while opponents say there is no evidence supporting the claim that women were forced into sex slavery and that Japan has already apologized for its actions.

Despite the controversy, California’s State Board of Education in 2016 approved a history-social science framework for California Public Schools that includes comfort women in the 10th grade world history curriculum. The year before, the San Francisco Board of Education approved a resolution to teach staff and students about human trafficking, including the history of comfort women.

After California approved the new framework, the KAFC and CWJC commissioned lesson plans for teachers to use in their classes and printed 1,000 hard copies of the material, according to Phyllis Kim, executive director of KAFC. The lesson plans, written by three scholars and reviewed by two veteran educators, is also available on a website dedicated to comfort women education that KAFC launched in September.

Kim said that the KAFC and CWJC plan to pitch the book to every school district in California, but will also provide any educator regardless of geographic location with materials as long as they’re able to to teach in English. She added that she’s had requests for material from as far as Germany.

Last month, the KAFC and CWJC provided copies to at least 20 Southern California teachers who attended a comfort women workshop for high school history teachers, Kim said.

One school district that will take the material into consideration is the Glendale Unified School District, which is slated to review it in February to see if it meets the requirements of the new history-social science framework. The district will begin the process of adopting new instructional materials for social science in two years, which will include information on comfort women, Kristine Nam, communications director at the Glendale Unified School District, said in an email.

https://www.nbcnews.com/news/asian-america/new-teacher-s-guide-comfort-women-be-distributed-across-california-n959021?fbclid=IwAR3gLvTZUv6usb78p3lGWwGQfjHYK2PV2xdWg2ZDaj5cBQYdwZ0-RpxuUMI

フィリピン慰安婦像撤去の顛末と慰安婦の碑 — 2019年1月1日

フィリピン慰安婦像撤去の顛末と慰安婦の碑

2018年7月10日、ケソン市内プロジェクト3のLila Pilipina Resource Centerで、ガブリエラの国際関係担当のJ.サルバドールさんに、慰安婦像(通称「ヴィーナス」)撤去のいきさつをうかがった。ガブリエラは、フィリピンの女性運動の連合体で、リラ・ピリピナもその一部というか、メンバーになっている。

 以前から何度かガブリエラには連絡してきていたけれど、なかなか返事をもらえない状態が続いていた。バギオで先住民の女性運動にかかわっている知人に、ガブリエラのバギオ支部の人を紹介してもらい、その人からナショナル・オフィスに繋いでもらい、この日に会えることになった。本来はガブリエラとは別にリラ・ピリピナ(フィリピン慰安婦被害者の会)も訪問する予定だったのだけれど、同施設が今までの役割からリソースセンターへと機能を転換しようとしているため、会合の場所としてリラ・ピリピナを使わせてもらうということになった。

アタデロ氏(左)とサルバドール氏(右)

 リラ・ピリピナの近況をちょっと補足しておくと、Lola(被害者女性)たちが高齢となり施設に出向いてくることもなくなり、この場所を慰安婦関係資料のリソースセンターに替える作業が進行中。資料のデジタル化を担当する方にも会って話を聞いた。ディレクターのリチルダさんが持病が悪化して入院中で、わたしたちがおじゃましたときは、リチルダさんの息子さんのお嫁さんという方がまず対応してくれた。ガブリエラで、リラ・ピリピナを担当しているシャロンさんにもこの日この場所で会えるはずだったのだが、当日、彼女は体調を崩して欠席。台湾から行ったEaphetのツアー一行5名と、サルバドール氏、資料のデジタル化担当のオスカー・アタデロ氏で話すことになった。

2017.12.8に建ったVenus
慰安婦像(通称「ヴィーナス」)は、ガブリエラが過去9年間、フィリピン各所―特に元慰安所が設置されていた場所すべてに―何らかの記念碑を設置するべく運動してきて、昨年の12月8日にようやくマニラ市の許可を得て、フィリピン国立歴史委員会によってマニラ湾に面したロハス大通りに設置された。(後になってマニラ市は許可を出していない、という説が浮上しているが、撤去を正当化する話の一つにすぎない。)日本のネットにはフィリピン国立歴史委員会(National Historical Commissions of the Philippines)が中国系団体であり、慰安婦像の背後には中国がいるといった間違った記述が散見されるが、日本でいえば文化庁だろうか、そういう国家機関だ。設置に協力した多くの団体の中には、トゥーレ基金会(Tulay Foundation)やワッツィ基金会(Wa Chi Foundation)のような中華系の団体も含まれてはいる。
 トゥーレの創始者は戦中、日本軍に拘束され、慰安婦の実態も見てきた人だったそうだ。ワッツィは、中華系フィリピン人の抗日ゲリラ組織の末裔たちが作っている組織で、そこに抗日性(「反日」性?)を見ようとする人たちには見えるのだろうが、だからヴィーナスが中国の反日プロパガンダの産物だという主張は、ガブリエラだけでなくヴィーナスの設置に資金と労力を出した多くの個人や組織の思いを無視するものだ。トゥーレもワッツィもフィリピンの団体である。

 12月8日という日は、日本がフィリピンに対して攻撃を開始した1945年12月8日(真珠湾攻撃の数時間後)に由来している。

野田総務相とドゥターテ
設置から1か月後の2018年1月9日、日本政府の閣僚、野田聖子総務相がマラカニアン宮殿にドゥターテ大統領を訪問し、「こうした像が唐突にできるのは残念だ」と圧力をかけた。ドゥターテはメディアに対して「日本は像を撤去してくれとは言わなかった。ただ残念だと言ったにすぎない」と語り、像は「憲法に保障された被害者とその家族の表現の自由だ」などと語った。つまり、日本の圧力には屈しない、というメッセージを出した。

 しかし、こうした大統領のコメントは、フィリピン国内向けのパフォーマンスにすぎなかったのかもしれない。なぜならこの三日後の12日には、ヴィーナス像設置によって生じた問題を検討する政府内の委員会が立ち上げられたからだ。ドゥターテ大統領が「東京がいくら抗議しても私は何のアクションも起こす気はない」と宣言した翌日のことだった。
 
 この委員会は、外務省の主導で立ち上げられたことになっている。大統領はアクションを起こさないと宣言したのだから、大統領の主導でこのような委員会が立ち上げられていたら多くの人が矛盾を感じただろう。フィリピン外務省は、フィリピン国立歴史委員会がヴィーナス像を認可したとき、外務省には何の相談もなかったと文句を言い、像は「ある種の人たちの感情と人間関係を阻害するものだ」と外務大臣はメディアに語っている。本当に大統領と外務省の間に意見の違いがあったのか、それともポーズにすぎないのか、本当のところはもちろんわからない。

 その5日後の1月17日、フィリピンを訪問した自民党の河井克行総裁外交特別補佐は『安倍首相のメッセージとして、『「日本はアジア女性基金を設立し、歴代首相も謝罪の手紙を出した。私とあなたが築いてきた過去最高水準の日比関係が悪化することがないようにご理解とご支持を賜りたい」と伝え』たという(『』内は河井克行氏のブログから引用)。(あるネット記事は、このときのことを『河井は「日本側は激怒している」と伝えた』と報じている。)

 昨年11月のドゥターテ、トランプ首脳会談はいったい誰のおかげでできたのか、多額の経済援助が打ち切られてもいいのか、ということが『私とあなたが築いてきた過去最高水準の日比関係』の意味だったのだろう。これに対してドゥターテは「しっかりとした措置をとる」と返事した、という。つまり、この時点では態度を翻して、日本の圧力に屈したわけだ。

 河井克行氏のブログによると「大統領から『しっかりとした措置を取る』との表明があった」旨の発言をしたのですが、実を言えば、大統領との間ではもっと突っ込んだやり取りがありました。今回の撤去は道路工事のためと説明されていますが、情理に篤いドゥテルテ大統領が、あの時の約束を守ってくれたものと私は信じております。」(同じく河井氏のブログから)ふーむ、手柄を自分のものにしたい河井氏の誇張もあるだろうが、ドゥターテが「憲法に保障された表現の自由」とか「被害者の権利」とかといった表向きの言辞を捨て去って、像の撤去を約束した可能性は否定できない。

 一週間の間に、ドゥターテ大統領の頭の中で、憲法で保障された自由の概念が大きく変わったのか、ドゥターテ大統領も最初から像を撤去するつもりだったのだが自分が主導してやるのはまずいので像を擁護するフリをしていただけなのか、何か彼の気持ちを大きく揺るがせるようなことが起きたのか

https://web.archive.org/web20181231231900/http://eaphet.blogspot.com/2018/07/blog-post.html

この一か月後くらい(正確な日時が不明)に、奇怪な事件がおきた。ヴィーナスにつけられていた「”Filipina Comfort Women” Statue Designed By: Jonus Rocesという表題を書いた銅板に薬品のようなものがかけられ、字が読めないようにされた状態で発見されたのだ(右写真)。
 正面の「日本占領下の1942~45年に虐待を受けたフィリピン人女性犠牲者の記憶」という碑文は、タガログ語で書かれているためか損傷されず、裏側のこのプレートが傷つけられた。犯人にとって、銅板のほうが傷つけやすかったのか、タガログ語は読めなかったのか。

 「まにら新聞」によると「像周辺には昨年12月から約1カ月間は警備員が配置されていたが、最近はいなかったもよう。」とのこと。また同新聞はこれに続いて「日本大使館もこの件については知らなかったと話している。」と書いているが、それは「まにら新聞」がこの件について日本大使館に取材したことを意味している。同新聞は、大統領府、マニラ市にも同様の取材をしコメントを求めているが、結果はその誰もが「私がやったんじゃない」と言った。

突然現れたDPWHの重機(写真はまにら新聞より)
 そうして4月27日金曜日の夜10時、ロハス大通りの海岸側の歩道(ヴィーナスが設置されている場所)に二台の重機が現れた。重機はDepartment of Public Works and Highways (DPWH) というフィリピン政府機関に属している。下水システムの改良工事だと後に説明されたが、政府機関による夜になっての突然の工事に足を止めて問いただす人もいなかったらしい。(あとでメディアから、夜盗のような行為と言われてDPWHは「夜になって交通量が減るのを待って工事した。ごく普通のことだ。」と釈明している。)

 左写真は、27日の夕暮れ、数時間後に何が起きるか知らずに自分の作品の前で記念写真をとった作者のジョナス・ロセスさん(写真は「まにら新聞」より)。

 ドゥターテ大統領はダバオで会見し、以前の姿勢とは打って変わって「像はどこかほかの場所に建てたらいい。私的な場所に建てるなら問題ない。しかし、公共の場にはだめだ。…フィリピン政府としては他国を敵に回すような政策はとれない」などと述べた。

 ヴィーナス像は撤去後、ジョナス・ロセス氏のもとに返されたままで、次の場所は決まっていない。ガブリエラとしては私有地への移転は考えておらず、公共の場でなければ意味がないと強く主張している。

 右写真は、私たちが行ったときに「ここにあったのよ~」と近くで屋台を出している女性が教えてくれた場所。像があった場所には下水の上げ蓋のようなものが見える。まわりのタイルと色が少し違うくらいしか、見分ける方法はない。

 と、まあ、ここまでがメディアでおいかけることができる「顛末」なのだが、ガブリエラのサルバドール氏、アタデロ氏への取材の中で、少し裏側が見えてきたので、その話を以下に記しておく。

アジア開発銀行年次総会で
挨拶する中尾総裁
5月の初めにアジア開発銀行の年次総会が行われた。アジア開発銀行(ADB)は1966年に日本と米国が最大出資国となって創設された世界銀行アジア版みたいなもので、歴代総裁は日本人が務めてきた。本部はマニラ。この総会の前に、準備会合のようなものが数回開かれ、政府関係者、財界関係者などが準備会合に参加しているようだ。こうした準備会合に参加している財界関係者の「インサイダー証言」をサルバドール氏が教えてくれた。

 このインサイダー証言によると、ヴィーナス像撤去と新たなフィリピンへの経済支援とが抱き合わせにされた、という。具体的な金額は650億ペソだ。ただし、像はADB総会までに撤去してもらわないと、援助はむずかしい、と。これが真実かどうか私たちには確かめる術がないが、フィリピン国内でもこの話はささやかれていて、援助と引き換えに国民のプライドを売ったドゥターテという批判も聞かれるようになっているそうだ。

ボニファシオ公園内の慰安婦記念碑
ヴィーナス像は、フィリピンに建てられた最初の慰安婦記念碑ではない。最初のものは2003年にボニファシオ公園に建てられた記念碑だそうだ。私たちも知らなかったので、アタデロ氏に案内してもらった。

 碑は、公園の隅にひっそりと建っていた。アタデロ氏も、あれ、どこだっけ、と探し回らければならなかった。それほどに目立たない。だから生き延びてきた、のかもしれない。碑文にはこうある。

In memory of the victims of military sexual 第二次大戦時の軍による性奴隷被害
slavery during the second world war     者に捧ぐ

This historical marker is being offered in  この記念碑は第二次大戦時に日本
memory of the Filipina victims of Japanese 軍による性奴隷の被害を受けた
military sexual slavery during the second  フィリピン人犠牲者を忘れない
world war.                 ために建てられた。

During the Japanese occupation of the   フィリピンが日本に占領された
Philippines, approximately 1,000 women became とき、約1000人の女性
victims of military sexual slavery by the  たちが大日本帝国軍によって
Japanese Imperial Army.          性奴隷被害者にされた。

All over the country, in these “comfort   フィリピン全土の慰安所その他
stations” or sites were the institutional   の場所で日本軍による強姦と
and organized rape and abuse of women by 女性への虐待が、制度的、
the Japanese military were committed.   組織的に行われた。

Through this historical marker, a memorialization この記念碑を通して
of the history of the women victims    これらの被害女性たちを記憶し
will be achieved in the hope that this   この悲劇が二度と繰り返される
tragedy will never happen again and that ことなく、軍の性奴隷の被害
henceforth, no generation of Filipino victims に会うフィリピン人が二度と
will never be memorialized as victims of  記念されることがないことを
military sexual slavery.           祈る。

Unveiled by his honor mayor Jose L. Atienza Jr. 2003年4月22日 市長
on this 22nd day of April 2003         ホセ・アティエンサ

(原文は英語、日本語は筆者の適当な訳文なのでそのつもりで見てください)
・・・

ロハス大通りのヴィーナス像は、日本大使館にも遠くなく、ADBにもまあ遠くなく、観光地の真ん中だったので狙い撃ちされたのかもしれない。

 フィリピンには日本軍や神風特攻隊を記念する碑は400ほどあるのに、フィリピン女性の性的被害について記憶しようとする碑はこれ一つしかない。

https://eaphet.blogspot.com/2018/08/blog-post.html

台灣東亞歷史資源交流協會 East Asia Popular History Exchange,Taiwan