イ・ヨンフン教授「韓国人の自己批判書だ」 発言全文 — 2019年11月22日

イ・ヨンフン教授「韓国人の自己批判書だ」 発言全文

李栄薫ソウル大名誉教授「韓国人の自己批判書だ」 発言全文
2019.11.21 産経
https://www.sankei.com/politics/news/191121/plt1911210051-n1.html

韓国でベストセラーとなった『反日種族主義』の編著者、李栄薫ソウル大名誉教授は21日、東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見し、同書について「韓国現代文明に沈潜している『原始』や『野蛮』を批判した」「韓国人の自己批判書だ」などと説明した。慰安婦問題やいわゆる徴用工問題についても見解を述べた。冒頭発言の全文は次の通り。

 私と同僚研究者5人が書き、さる7月に出版した本『反日種族主義』は、韓国現代文明に沈潜している「原始」や「野蛮」を批判したものです。こんにち、韓国はその歴史に原因がある重い病を患っています。 個人、自由、競争、開放という先進的な文明要素を抑圧し、駆逐しようとする集団的、閉鎖的、共同体主義が病気の原因です。一言で言えば、文明と野蛮の対決です。私は世界のどの国もこのような対決構図から自由な国はないと思います。

 世界中のどの国も、その近代化の歴史において、このような対決構図による危機を経験していない国はありません。日本も1868年に明治維新を遂行して以来1930年代に至って、国家体制の大きな危機に瀕したことがあります。1948年に成立した大韓民国も、やはり建国70余年で大きい危機を迎えています。

 危機の兆候は非常に深刻です。下手すると、この国の自由民主主義体制は解体されるかもしれません。本『反日種族主義』は、そのような危機感から書かれました。韓国人たちに危機の根源がどこにあるのかを叫びました。それは、ほかでもない、われわれの中に沈潜している野蛮な種族主義であると告発しました。

 世界の先進社会の構成員は、自由人としてその活動範囲が世界に延びている世界人です。

 ある社会が先進化するということは、そこに属する人々が自由な世界人として進化することでもあります。大韓民国の建国は、このような自由、開放、永久平和の先進的理念に基づいてなされました。

 その後から今まで、この国が、第2次世界大戦以後に成立した数多くの新生国の中でまれにみる大きい成功を成し遂げたのは、このような世界が共有する先進理念に服したためです。

 1965年に韓国と日本の間で国交正常化がなされたのも、このような理念に基づいてのことでした。国交正常化を推進した朴正煕大統領は、わが国民に歴史の旧怨にとらわれないで、アジアの模範的な反共産主義、自由民主の国家として自信感と主体意識を持ち、日本と対等な位置で新しい未来を開いていこうと訴えました。

 それ以降の日本との緊密な協力関係は、韓国経済の高度成長を可能にさせました。1990年、盧泰愚委大統領は、日本の国会で次のように演説しました。

 「こんにち、われわれは、自国を守れなかった自らを自省するだけで、過ぎ去ったことを思い返して誰かを責めたり、恨んだりしません。次の世紀に東京を出発した日本の若者たちが玄界灘の海底トンネルを通り抜けてソウルの友達と一緒に北京やモスクワへ、パリとロンドンへと大陸をつないで世界を一つにする友情の旅行ができるような時代を共に作っていきましょう」

 韓国人がこのような認識と国際協力にもっと専心していたら、今頃より自由で豊かな先進社会を作れたはずです。

 しかし、その後に展開された歴史は、それとは違う方向に進みました。歴史は、大きい費用を払ってこそ、ほんの少しの進歩を許すのかもしれません。 

 1993年に成立した金泳三政権以来、「民主化」と「自律化」の名の下で、韓国社会に深く沈潜してきた野蛮な種族主義が頭をもたげました。日本との関係は、協力から対立に転換しました。北朝鮮との統一政策では、「自由」の理念に代わって「わが民族同士」という民族主義が優位を占めるようになりました。

 韓国の「自由民主主義体制」と北朝鮮の「全体主義体制」が連邦の形態で結合した後、統一国家へ前進できるという幻想が国民的期待として成立しました。

 1992年に提起されてから今までの27年間、韓日両国の信頼と協力を妨げてきた最も深刻な障害は、いわゆる慰安婦問題です。

 朝鮮総督府と日本軍の官憲が日本軍の性的慰安のために、純潔な朝鮮のおとめを連行・拉致・監禁したという主張ほど、韓国人の種族主義的な反日感情を刺激したものはありません。

 度重なる日本政府の謝罪と賠償にも関わらず、この問題が韓国で鎮定されることなく、むしろ増幅してきたのは、それが当代韓国人の精神的動向、すなわち「反日種族主義の強化」という傾向に応えたからです。

 私は、本『反日種族主義』の中で、さる27年間この問題に従事してきた韓国と日本の研究者たちと運動団体を批判しました。彼らは元慰安婦たちの定かでない証言に基づいて、慰安婦の存在形態とその全体像を過度に一般化する誤りを犯しました。

 彼らは朝鮮王朝以来、こんにちまで、長期存続した性売買の歴史において、日本軍慰安婦が成立した1937年から1945年の8年間だけを切り取る間違いを犯しました。日本軍慰安婦制は、近代日本で成立し、植民地朝鮮に移植された公娼制の一部でした。慰安婦制は、公娼制の軍事的編成に他なりません。女性たちが軍慰安所に募集された方式や経路も、女性たちが都市の遊郭に行ったそれと変わらないものでした。就業、廃業、労働形態、報酬の面でもそうでした。

 韓国における慰安婦制は1945年以後、都市の私娼、韓国軍特殊慰安部隊、米国軍慰安婦の形へと、さらに繁盛しました。1950年代、60年代において、韓国政府によって慰安婦と規定され、性病検診の対象となった女性の数は、1930年代、40年代の娼妓と慰安婦に比べてなんと10倍以上でした。彼女たちの労働の強さ、所得水準、健康状態、業主との関係は、1930年代、40年代に比べてはるかに劣悪なものでした。

 既存の研究は、このように韓国現代社会に深く浸透した慰安婦制の歴史には目をつぶっています。この点は、既存の研究者と運動団体が犯した最も深刻な誤りといえます。

 さる27年間、韓国において慰安婦問題が悪化してきたのは、関連研究者たちと運動団体の責任が非常に重いです。彼らはまるで歴史の裁判官のように振る舞ってきました。彼らが元慰安婦を前に立たせて行進するとき、彼らを阻止できる何の権威も権力も存在しませんでした。彼らがこの問題に関する日本政府との協約を破棄するよう叫ぶとき、韓国政府は黙従しました。彼らは政府の上から君臨しました。国民の強力な反日種族主義が彼らを絶対的に支持したからです。

 彼らは強制連行説と性奴隷説を武器にして、日本の国家的責任を追及してきました。

 その執拗(しつよう)さは、日本との関係を破綻にすると言っても過言ではないほど盲目的でした。

 皮肉にも、強制連行説と性奴隷説は、日本で作られたものです。ある日本人は、朝鮮の女性を強制連行した自身の犯罪を告白する懺悔録を書きました。ある歴史学者は、性奴隷説を提起して、韓国の研究者と運動団体を鼓舞しました。それは、歴史学の本分を超えた高度に政治化した学説でした。

 彼らは、韓国の社会史、女性史、現代史に対して何も知らない状態でした。彼らの韓国社会と政治に対する介入は不当であり、多くの副作用が派生されました。

 今のところ、両国の関係を難しくしている徴用工問題も韓国人の種族主義的な視点から提起されたものです。信じがたいかもしれませんが、2005年に盧武鉉政権が被徴用者に補償を行う当時まで、韓国ではそのことに関する信頼できる論文や研究書が一つも存在しませんでした。

 (韓国)政府は、1939年から日本に渡った全ての朝鮮人を徴用の被害者と見なしました。その中には、1944年の8月以後の、本当の意味での徴用だけでなく、以前からあった日本の会社の募集や総督府の斡旋(あっせん)も含まれていました。

 募集と斡旋は、当時の政治情勢からみて、まったく圧力がなかったとはいえませんが、あくまでも日本の会社との契約関係でした。彼らに加えて、韓国政府は連鎖移民の形で日本に自由渡航した人々まで徴用の被害者と見なしてしまう、笑ってはすまされない寸劇を演じました。

 以降、何人かの韓国人がより多くの補償を求めて国境を越えて日本でも裁判を起こしました。彼らは皆、徴用ではなく募集と斡旋の経路で日本に渡った人たちです。自国の国際的威信などには見向きもしない彼らの「僭越(せんえつ)」は、彼らだけの責任ではありません。 

 韓国の反日種族主義は、彼らの国際的裁判を支持しました。彼らは日本でも心細くありませんでした。慰安婦問題のときと同様、いわば「良心的」日本人が彼らを物心両面で支援しましたが、結果的には両国の信頼・協力関係を阻害するのに寄与しただけです。

 歴史の進歩は、遅い速度でしか進まないようです。

 韓国は人口が5000 万以上でありながら一人当たりの所得水準が3万ドル以上の世界で10カ国もない先進グループに属しています。それでも、この国の精神文化には19世紀までの朝鮮王朝が深い影を落としています。朝鮮王朝は、明・清の中華帝国の諸侯国でした。朝鮮王朝は、完璧に閉鎖された国家でした。

 中国は世界の中心として、日本は海の中の野蛮人として認識されていました。人間の「生と死」の原理は、自然宗教のシャーマニズムに多く規定されていました。個人、自由、利己心、商業を正当化する政治哲学の進歩はないか、微弱でした。

 その結果、18世紀から19世紀の朝鮮の経済は、深刻な停滞を招きました。人口の多数は、なお原始と文明の境界線でさまよっていました。さる20世紀に渡って韓国人の物質生活には実に大きい変化がありました。しかし、人々の社会関係、精神文化、ひいては国際感覚において本質的な変革はありませんでした。私は、こんにちの韓国の反日種族主義を以上のような歴史的視座から理解しています。 こんにち、韓国で日本は理解の対象ではありません。もっぱら仇怨の対象なだけです。日本が韓国を支配した35年間は恥の歴史なだけです。それに対する客観的評価は、「植民地近代化論」と言われ、反民族行為として糾弾されます。その結果、こんにちの韓国人は、自分たちの近代文明がどこから、どのように生まれてきたのかを知りません。こんにちの韓国人は、自分の歴史的感覚において朝鮮王朝の臣民そのままです。同様に、こんにちの韓国人はこんにちの日本を旧帝国の延長として、ファシスト国家として感覚しています。 

 本『反日種族主義』の日本語翻訳と出版には多くの煩悶(はんもん)がありました。すでに指摘したように、本『反日種族主義』は、韓国人の自己批判書です。

 自国の恥部をあえて外国語、しかも日本語で公表する必要があるかという批判を予想することは難しくありません。それでもわれわれが出版に同意したのは、それが両国の自由市民の国際的連帯を強化するのに役に立つだろうという判断からでした。

 広く開かれた国際社会においてその波長が国際的でない事件は一件もありません。韓国人が患っている病もそうです。病気は知らせた方がよいです。 

 実は、われわれのそのような悩みは本『反日種族主義』の韓国語版の出版のときからありました。それでもわれわれの主張に多くの韓国人が応えてくれました。 

 建国70年に、少なくない韓国人が自由理念に基づいた世界人として成熟しました。全国の主要書店で本『反日種族主義』は、 総合ベストセラー1位の地位を相当な期間占めました。それは正に望外の事件でした。 

 遅いながらも、歴史は着実に進歩の道を歩みました。そのような期待を本『反日種族主義』の日本語版にも懸けたいです。韓国人には自身の問題を国際的な観点から省察する好機になるでしょう。また、日本人には、韓国問題を、「親韓」あるいは「嫌韓」という感情の水準を超えて前向きに再検討できるきっかけになれると思います。

 韓国と日本は、東アジアにおける自由民主主義の堡塁(ほうるい)です。この自由民主主義が、韓半島の北側に進み、大陸にまで拡散できることを望みます。

 このような歴史的課題のため、韓日両国の自由市民が、お互いに信頼・協力する必要があります。

 本『反日種族主義』がそのような国際的な連帯を強化するのに、ほんの少しでも役立てば、それ以上の喜びはありません。

 最後に、本『反日種族主義』の日本語版の出版をしていただいた文芸春秋様には感謝の気持ちを申し上げたいです。また、韓国に対するご愛情と憂慮のお気持ちでこの本を購入していただいた日本の読者の皆さまにも御礼申し上げます。以上です。

「主戦場」 エセックス大学の上映会でデザキ監督が語ったこと — 2019年11月21日

「主戦場」 エセックス大学の上映会でデザキ監督が語ったこと

慰安婦問題に迫る映画「主戦場」 英エセックス大学の上映会でデザキ監督が語ったことは
小林恭子 yahoo news
2019 11/19

 第2次世界大戦時の慰安婦問題を主題にしたドキュメンタリー映画「主戦場」が、このところ、話題になっている。

 「KAWASAKIしんゆり映画祭」(10月末から11月4日)では、安全性を理由にいったんは上映中止とされながらも、最終日に上映が実現したことで大きな注目を集めたばかりだ。

 日本で、慰安婦問題と言えば…どう表現したらよいのだろう。

 例えば、日本語のウィキペディアでは、以下の説明になっている。

 旧日本軍の慰安婦に対する日本の国家責任の有無に関する問題。慰安婦問題にはさまざまな認識の差異や論点があり、日本・大韓民国・アメリカ合衆国・国際連合などで1980年代ころから議論となっている。慰安婦は当時合法とされた公娼であり民間業者により報酬が支払われていたこと、斡旋業者が新聞広告などで広く募集をし内地の日本人女性をも慰安婦として採用していたことなどから国家責任はないとの主張がある一方、一般女性が慰安婦として官憲や軍隊により強制連行された性奴隷であるとの主張もある。

出典:(ウィキペディア)

 筆者自身は、「河野談話」を踏まえ、日本やほかのアジア諸国の女性たちが兵士たちに性的サービスを行っていたこと、今でもその時の後遺症に苦しんでいる人やその遺族がいることを事実として認識している。

 しかし、国がどの程度関与していたのか、どんな女性たちだったのか、本人の同意があったのかどうかなどについては、国内で意見が分かれていることも承知している。欧米で英訳として使われる「sex slave(性の奴隷)」という言い方に反論する、あるいは怒りを表明する人も少なくない、ということも。

 日系アメリカ人ミキ・デザキ氏が監督した「主戦場」は、保守系政治家、タレント、歴史修正主義者、リベラル系学者などのインタビューと並行して、元慰安婦や慰安婦の遺族への取材映像、証言のアーカイブフィルムなどを交えた作品だ。

 デザキ氏にとって、監督第1作目の映画である。上智大学大学院の修士課程卒業のために作ったという。

 慰安婦問題という論争を呼ぶトピックを真正面から取り扱ったこの映画は、公開当時からじわじわと人気を高めた。

 初夏、筆者は一時帰国中に「主戦場」を渋谷のある映画館で最初に見た。場内は満員で、上映後は次の回を見ようとする人の長い列ができていた。観客の年齢層は20代から70代ぐらい。

 日本人にとっては、つらい過去を指摘されるような、慰安婦問題。これを取り上げた映画を多くの日本人が映画館に列を作るほど見たがっていることに、筆者は驚いた。何らかの回答を得たい、という気持ちが強いのだろうか。

 まだまだ決着していない、戦後の大きな問題であることは、確かだ。

 「主戦場」は、今秋、欧州各国で上映会が開催されており、デザキ監督も映画と一緒に各国を回っている。

 11月6日はウィーン、その後は英国、フランス、ノルウェー、ドイツ、イタリア、スイス、スウェーデンなど、12月上旬まで上映ツアーが続く。

 筆者は、11月11日、英南部エセックス大学での上映会に行ってみた。

 講義型の教室には数十人の観客がいた。大学ということで、学生・院生が多いが筆者を含む中高齢者の姿もあった。

 映画を映し出す役目は監督自身である。

 夏に見た時に見落としていた個所が、よみがえる。「当時は、女性はモノとして見られていた」という元日本兵の素朴な物言いが心に残る。

 さまざまなことが筆者の頭を駆け巡った。

 慰安婦たちが日韓の政治的な道具にされたことへの怒り、女性たちの境遇への思い、女性として、たった一人でも意に反する状態に置かれた女性がいたことの衝撃、そのような行為をしながらも日々戦い続けた兵士たち、そして今もなお、レイプや性的虐待が敵を攻撃する手段として使われていること(ボスニア戦争、ルワンダ内戦、ナイジェリアのボコ・ハラムによる少女たちの拉致など無数にある)などだ。日韓のみで起こったことではなく、第2次大戦のときだけでもない。今現在、形を変えながら発生していることなのだ。

 映画は、最初と最後の方に元慰安婦の映像を入れた。最初の映像は役人に怒りをぶちまける元慰安婦の姿。最後の方はつらさ、悲しみを語る元慰安婦のアーカイブ映像だ。

 作品は保守系・歴史修正主義的な人々の言論とリベラル系学者の見方を「両論併記」的に対比させているが、最終的には、慰安婦問題に対する日本側の責任を問う姿勢が出ていたと筆者は思う。この慰安婦たちのつらさ・痛み・苦しみに対し、日本側はどう対処するのか、という問いである。これは筆者が日本人だからそう思ったのかもしれないが。見る人によって、様々なメッセージを受け取る映画なのだろう。

 この点で、この映画は今年同じく話題となった映画「新聞記者」(東京新聞の望月衣塑子記者が書いた本を基にしたが、実際にはフィクション。新聞記者と内部通報者が政府の悪事を暴こうとする)とは、別の着地点を選択したように筆者は思った。

 筆者は「新聞記者」を高く評価しているものの、最後に内部通報者が心変わりをしたのか、あるいは実名を出して暴露することを決心したのかをあえて描いていない点を残念に思った。いずれかを選択することによる、制作側の覚悟を見たかった。

 翻って、「主戦場」は慰安婦たちの方に最後は軸足を置いた。「中立」ではない。その評価は観客に委ねられた。

 欧州にいる方は、スケジュールを確認して、上映イベントに足を運んでみてはどうだろうか。観客が映画監督に直接問いかけをすることができる機会はあまりないだろうから。

監督との一問一答から
 上映後の監督との一問一答の一部を伝えたい。

ーしんゆり映画祭での上映中止の決定とその後について

 「上映中止の決定は、脅しの懸念があるという理由でした。『懸念』です」

 

 「幸運なことに、映画監督の是枝裕和氏がこれは検閲であると発言してくれまして、大きなニュースになりました」

 

 「最終的に上映可能となりました」

 「日本ではこのような形で表現の自由が制限されることがトレンドになりつつあります」

 「今、ケント・ギルバートを含む5人に提訴されています。結論が出るまで、1年、あるいは10年ぐらいかかるかもしれません」

 ーその訴訟についての映画が次の作品になるのでしょうか?

 「いいえ、そういうことはありません(笑)」

 「予告編が混乱させるものだったようで、左派系の人はこんな映画は見ないと言い、右派系はまさに私たちの主張を出すものだと言って歓迎したのですが(会場、笑)」

 

 「アメリカではこういう訴訟は、スラップ訴訟(注:提訴することによって被告を恫喝することを目的とした訴訟)と言われています。これは、基本的には表現の自由を抑制するものです」

 

 「刑事責任を問う訴訟もあって、少々心配していますが」

 「私の学位を取り消すべきだという主張をしている人もいます」

―元慰安婦が涙を流す映像が最後の方に出てきます。なぜもっとこうした映像を使わなかったのですか。

 「同様の質問をした人は、たくさんいました」

 「あの映像は最近見つかったものですが、あのような種類の映像を頻繁には使いたくなかったのです。その理由は、慰安婦の映像はこれまで、政治的な文脈の中で使われてきましたし・・・」

ー過剰に感情的にしたくなかったのでしょうか。

 「そうですね。慰安婦制度の否定論者は、慰安婦の証言動画が感情的で、作為的だとして批判します。そう言って、論破しようとします」

 「逆に、日本で、ある学生が言ったのですが、なぜ最後にあのような映像を入れたのか、と。それまでは論理的に話が進んできたのに、なぜ最後にあのような感情を刺激するような動画を入れるのか、と。1分、いや30秒ぐらいの動画でさえ、そう言われるのです」

 「一部の日本人は、こうした証言は全くの嘘だと言います。ですから、『感情』という部分をなるべく取って、扇情的にはならないようにしたかったのです。こういう映像は日本やアメリカでもよく使われますし、感情を刺激されるのですが、同時に、慰安婦たちが微笑んでいる動画も簡単に見つかるのです」

ー日本の方は、この映画をどのように受け止めているのでしょうか。右派保守系の方でしょうか、それともリベラル左派系なのでしょうか(筆者の質問)。

 「一般的に言うと、日本人は右派系の考えの側にいると思います。私の母もそうですし、あるリベラル系の(日本人の)先生がいるのですが、私が慰安婦についての映画を作っていると言うと、『ああ、あれはみんな嘘だよ』と言いました。ですので、私が知っている人に限ると、左派系の人でも、(慰安婦問題は)韓国による嘘だと思っているようです」

 「映画を見た人は、ツイッターで判断すると、『衝撃だ』、『日本政府がこんなことをやっていたとは知らなかった』とか書いていますね。前向きの評価でした。50の劇場で公開されましたし、ドキュメンタリー映画としては大ヒットです」

 「唯一、ネガティブな見方をしていたのは、極右の人々です。『こんな映画は見るんじゃない』、と言っています。この映画を人々が見ることを怖がっています。上智大学の生徒の一人がこう言いました。『(慰安婦問題について)左派系の人々の意見を聞いたのは初めてだ』と。それで考えが変わったそうです」

 「若い人の大部分が慰安婦問題を知らないのです。このため、非常に大きな衝撃として受け止めるようです。理解するために2-3回見る人もいます。一般的に言うと、反応は前向きだったと思います」

―現在の日韓の政権で、問題は解決に向かうと思いますか?

 「現政権ではその可能性はゼロだと思います。若い人の反応を見ると、どれほどひどいことが起きたかを理解して、謝罪へという動きが出そうなのですが、現在の政権では・・・。希望はありますが」

 

 「日本の若い人が政治的にアクティブ(活動的)であれば別なのですが。実際にはそうではありません。韓国社会では、政治的にとても活動的です。でも、日本社会では歴史的な理由、過去のデモが粉砕されてきたことなどから、人々は政治的活動が実を結ぶということを想像できないのです。韓国では、民主化の動きがあって、成功例があります」

 「日本では変化にとても時間がかかるのです」

―証言記録はあるのでしょうか。兵士の証言記録はどうでしょうか。一般公開されていますか。

 「韓国語ですが、あります。ほかにも(山崎朋子の)『サンダカン八番娼館』もありますし」

 「(中国帰還兵のインタビューをおさめた)『日本鬼子(Japanese Devils)』というドキュメンタリー映画があります。しかし、中国からの帰還兵の証言ということで、重要視されていません」

 「東京には、『アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館』があって、ここにも証言がおさめられています」

―映画の中に出てきた偏向している人々について、どこに行けば資料があるのでしょうか。

 「右派系は左派系を、左派系は右派系を『偏向している』といいますが、まず『偏向している」というのはどういう意味でしょうか」

―極端な考えを持っている、ということでしょうか。

 「例えば、(歴史学者)吉見義明の本を読めば、偏向しているということになるのかどうか、ですよね」

 「人間である限り、誰にも偏向はあります。歴史学者が書いた本を読んで、私は理解を深めています。歴史修正主義者で、ほかの人の本を読まない人が書いた本ではなく(注:映画の中に、ほかの人が書いた本を読まないという人が出てくる)。歴史修正主義者のほとんどが歴史学者ではありません」

 「私が見るところでは、99.99%の歴史学者は、こうした女性たちが性の奴隷であったと考えていると思います」

 「まるで地球温暖化を否定するようなものです。ほとんどの科学者が実際に発生していると考え、1%がこれに同意していません」

 「映画を通して、私は(慰安婦問題について)両方の意見を出そうとしました。最後は、見る人が決めることです」

―保守・右派系のシフトについて、日本は特別なのでしょうか。それとも世界の動きなのでしょうか。

 「日本がますます右傾化しているということを、多くの人が指摘しています。先生が国歌を歌っているかを生徒がチェックするという学校もあるそうです」

 「超国家主義の学校を作ろうとしている、という話もあります。教育勅語を言わせる学校です。右傾化が進んでいると思いますが、それは自民党が作っているのでしょう」

 「米国のスティーブ・バノン(トランプ米大統領の元側近)が日本に来た時、安倍首相はトランプ以前にすでにトランプだったと言ったそうです」

―この問題について、保守・右派系を動かしているのは何でしょうか。

 「自分たちの祖父は間違ったことをしていない、韓国人はうそつきだということでしょうか。自分たちがこんなことをやるはずがない、と。ある登場人物がこう言いました。『そんなことは中国人ならするだろうけど、自分たちはしない』と」

「問題を指摘すると、日本人は自分が個人的に攻撃されていると思う」

 モデレーターの一人で、エセックス大学の人権フェロー、藤田早苗先生は以下のように述べた。

 「慰安婦問題は政治問題でもありますが、これは人権の視点からはユニバーサルな問題でもあります」

 「愛国主義というのは、厄介なトピックです。日本の問題を指摘すると、日本人は自分が個人的に攻撃されていると思うのです」

 

 「そういう面もあって、慰安婦問題についてきちんとした議論や謝罪ができないのではないかと思っています」

 「日本の問題を批判すると、その人がバッシングにあいます。私自身も反日本と思われて、サイバー上でバッシングにあいました」

 「今、韓国をヘイトする、中国をヘイトするという気運が高まっていて、私はとても懸念しています」

 ***

 上映後の雑談の中で、監督が次の作品の構想を立てていることを知った。どのような作品かについてはまだ公表していないという。

https://news.yahoo.co.jp/byline/kobayashiginko/20191119-00151570/

http://archive.is/l5WcJ

米国で流行る造語と慰安婦問題 麗澤大学准教授・ジェイソン・モーガン — 2019年11月5日

米国で流行る造語と慰安婦問題 麗澤大学准教授・ジェイソン・モーガン

米国で流行る造語と慰安婦問題 麗澤大学准教授・ジェイソン・モーガン

sankei 2019.11.5

最近の米国で流行(はや)っている「新しい英語」がある。日本ではまだあまりなじみがないと思うが、「woke」「virtue signaling」という2つの「造語」だ。この単語を知ると、米国で左翼系の人々を中心に、なぜ「慰安婦問題」が誤って理解され関心が持たれるのか、問題点が分かるかもしれない。

 ≪「woke」の新たな意味≫

 「woke」は、みなさんが中学などで習った語彙リストにも出たかと思うが「wake」の過去・過去分詞形で、普通は「目を覚ました」を意味する。しかし最近の米国では、使い方が大きく違ってきた。人々を「啓蒙(けいもう)している」などの意味合いで使われている。つまり、眼球が覚めたではなく、心の目が覚めた、というわけだ。

 この使い方で人々を「啓蒙している」人と、「啓蒙していない」人を分けられる。普通の、一般市民より自分の知識や理解がはるかに優れているという意味を持つ。「He is so woke」という英語は、文法的に間違っているが、「彼は、本当の物事の動きが分かっていて、社会の本当の問題などに目が覚めている」という意味になる。

 いうまでもないが、左翼同士で「woke」と言って褒め合っている。(ちなみに、左翼の目から見ると、保守系は決して「woke」ではない。「原始人」と呼んでいただいているわけだ)

 同じように「woke」の人は、「virtue signaling」をすることで、自分の「目が覚めた」状態を周りの人に知らせる。「virtue」(美徳)と「signaling」(発信)の造語で、自分のポリティカル・コレクトネス(政治的公正)を社会に発信して、自分の「wokeness」を伝えようとしている行動を指す。

 例えば、アメリカンフットボールの試合が始まる前に、星条旗の前で米国の国歌を斉唱するときに、歌うのを拒んで、跪(ひざまず)く選手がいる。本人に言わせれば、自分が「woke」だから跪いている、と答えるけれど、保守系の人によると、それは「virtue signaling」にすぎない。

 ≪自分をアピールしたい意識≫

 つまり、自分が人々を啓蒙している、自分が政治的に公正だとみんなに思われたい、という心境、精神が動機で、公の場で明らかに礼を失したことをあえてする。

 自分の道徳の優秀さを周りの社会に知らせている行動を「virtue signaling」と言う。それが事実を無視して独り善がりなら、「法螺(ほら)を吹く」と言う面白い日本語があるが、私はこれに近いと思う。

 「慰安婦問題」を例にしてみたい。韓国や米国の左翼の感情的な反応は半端ではない。最近もワシントン近郊の南部バージニア州に全米5体目の慰安婦像が設置されたことが報じられた。どうしてだろう。少しでも勉強すれば、韓国などによる「慰安婦は性奴隷」などという主張は、事実に基づかず嘘だと理解できるはずなのに。米国の人々は、そんなにだまされやすくないのに、自称エリートの人たちも、慰安婦問題の嘘を、なぜ信じ込むのだろうか。

 しかし、ポリティカル・コレクトネスにこだわる人は、自分の理解の深さ、知識の広さを常に宣伝して、アピールしたいと思っている。そこでは「慰安婦問題」がとても役に立つ。

 左翼系の人たちにとっては、慰安婦は、犠牲者だからだ。「woke」な人は、現在の人も過去の人もみな、「犠牲者」と「加害者」に分ける。「奴隷」と「白人」、「全世界」と「アメリカ」、そして「慰安婦」と「日本」など。前者は被害者で、後者は加害者だ。

 ≪歴史事実に関係なく責める≫

 いずれの場合にも、犠牲者の方を取って自分の優しさとポリティカル・コレクトネスを見せたいので、慰安婦問題に便乗して自分の「加害者」と「犠牲者」の分け方の腕を振るっている。

 とりわけ米国の左翼系の大学教授らはこの通りに動いている。米国の教授らは、慰安婦問題について話すと、歴史の事実が分かっていないにもかかわらず、居丈高に日本を責めることが少なくない。

 このパラドックス(逆説)の解読は、左翼系の人たちにとって慰安婦問題を追及する上で結局、歴史の事実は関係ない、ということではないか。

 正しいかどうかではなく、「virtue signaling」が目的なので、「慰安婦は性奴隷」などという誤った理解をしていても関係ない。繰り返して語ると自分も「woke」だと思われると考え、慰安婦問題を取り上げたり、慰安婦についての大騒ぎをあおったりするわけだ。歴史のファクトはどうでもいいのだ。

 昔は、野球といった米国の国民が共有する趣味のスポーツがあったが、今は残念ながら左翼はそれに興味を失い、「virtue signaling」に取り組んでいるように見える。悲しいのはそれは日本に対して大きな影響を与えていることだ。

https://special.sankei.com/f/seiron/article/20191105/0001.html