名誉棄損裁判 朝日一審勝訴 — 2016年7月31日

名誉棄損裁判 朝日一審勝訴

慰安婦報道訴訟、朝日新聞社勝訴 「記事、名誉毀損に当たらぬ」 東京地裁
2016年7月29日

朝日新聞の慰安婦に関する報道で「国民の名誉が傷つけられた」として、渡部昇一・上智大名誉教授ら国内外の2万5722人が朝日新聞社に謝罪広告や1人1万円の慰謝料を求めた訴訟の判決で、東京地裁(脇博人裁判長)は28日、原告の請求を棄却した。原告は控訴する方針。

 対象は、慰安婦にするため女性を無理やり連行したとする故吉田清治氏の証言記事など、1982~94年に掲載された計13本の記事。原告側は「日本国民の国際的評価を低下させ、国民的人格権や名誉権が傷つけられた」と訴えた。

 判決は、記事は旧日本軍や政府に対する報道や論評で、原告に対する名誉毀損(きそん)には当たらないとした。報道によって政府に批判的な評価が生じたとしても、そのことで国民一人一人に保障されている憲法13条の人格権が侵害されるとすることには、飛躍があると指摘した。また、掲載から20年以上過ぎており、仮に損害賠償の請求権が発生したとしてもすでに消滅している、とも述べた。

 朝日新聞社広報部は「弊社の主張が全面的に認められた、と受け止めています」との談話を出した。

http://megalodon.jp/2016-0731-0508-17/www.asahi.com/articles/DA3S12485042.html

東郷和彦 慰安婦合意と『帝国の慰安婦』 — 2016年7月30日

東郷和彦 慰安婦合意と『帝国の慰安婦』

慰安婦合意と『帝国の慰安婦』 東郷和彦
ハフィントンポスト年07月19日

はじめに

慰安婦問題は、まずは、日本軍の海外駐兵が拡大するに伴い当時日本の国内(本土・朝鮮・台湾)から海外に派遣された慰安婦問題として、1980年代後半に日韓関係の文脈で提起された。議論が進む中で、軍が進駐した現地の女性による慰安所の問題も併せ議論されるようになった。概ね三つの見方が成立した。

一つは、慰安婦は、軍が海外進駐にともなって連れて行った公娼であるとする「公娼派」の見方だった。もう一つは、この対極にある見方で、これら女性は物理的な強制を含む本人の意思に反する形で慰安所に連れてこられ、その本質は、強姦であるとする「制度的レイプ派」の見方だった。

その中間に、1993年の河野談話とこれを基礎として1995年に発足活動したアジア女性基金の考え方があり、女性たちが強いられた生活は苦しく悲惨なものであり、日本政府としてその責任を認め、謝罪し、償いのための行動をとるというものであった。「河野談話派」といってもよいと思う(なお私は、三つの立場の相克と河野談話支持という意見を、08年の『歴史と外交』(講談社新書・第二章)及び “East Asia’s Haunted Present”(Praeger Security International, Chapter Seven)で発表、以後一貫してそう述べてきた)。

90年代の半ばに河野談話とアジア女性基金による日本政府としての大きな方向性がでてから今日まで、慰安婦問題はゆれにゆれてきた。

慰安婦合意

20年間のゆれの後に成立した2015年12月28日の慰安婦合意は、安倍・朴両者が、それまでの主張から一定の譲歩をしたうえで歩み寄った勇気ある合意であり、関係者を驚かせるものがあった。

「慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からお詫びと反省の気持ちを表明する」と発表された安倍総理の言葉は、かつて安倍総理自身が批判してきた河野談話の文言を直接にひきつぐものであり、10億円の政府予算からの拠出は政府予算を使わなかったというアジア女性基金に対する挺身隊対策協議会(挺対協)の批判に直接答えるものだった。

他方今回の合意の実施をもって「この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」との韓国政府の態度決定は、韓国国内において発生しうる反発に照らせば思い切ったものであった。

しかしながら、政府間では約束したことを着実に実施すべきは当然として、問題がこれで消えたことを意味しない。傷ついた方々の感情がこれで完全に癒されたということにもなりえない。安倍総理の行った決断は、2015年8月14日の70周年談話における「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせない」ための行動であると言ってよいと思う。

しかしそのことは、とりもなおさずそこに、この決断以後、「私たち日本人は、世代を超えて過去の歴史に真正面から向き合い、…謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す」ために何をしなければいけないかが問われるという、安倍談話の最も重いメッセージが正面に現れたことを意味する(拙論『朝日新聞』2015年12月30日参照)。

こうした新たな責任のあり方を研究者が問うていく時期の到来を予期したかのように、朴裕河・世宗大学教授の『帝国の慰安婦』が出版されていたのである。

『帝国の慰安婦』

2013年8月に韓国語版が、2014年11月に日本語版が出版された『帝国の慰安婦』は、その勇気と覚悟をもって、多数の日本の読者を驚かせた。

第一に、慰安婦の証言を通じて、生命の危険にさらされる苛烈な戦線にいた慰安婦が、前線で戦う兵士との間に「共に戦う」という言わば「同志的」関係の下にあったという事実を、心理的・社会的な現象として本書の前半において生き生きと描き出している。

第二に、しかもその証言は、朴裕河氏自身が行ったインタビューに依拠するものは一つもなく、大部分は、挺対協自身が集めた膨大な証言集を丹念に読み解く中から選択されてきたものである。それは、著者自身が述べているように、慰安婦の状況の網羅的ないし全体状況の縮小的描写ではない。しかし、いかなる意味でも「捏造」とは言い得ないものであった。

第三に、けれどもここで語られる慰安婦の心理的・社会的実情は、これまで「制度的レイプ派」の人たちによって一貫してつくりあげられてきた、「日本軍ないし日本権力による純粋な被害者」という慰安婦についての固定観念を壊すものであった。更に、韓国人慰安婦の調達と慰安所の経営にあたり、韓国人社会の一部が参加してきた実態を慰安婦の証言の中から浮かび上がらせることによっても、「制度的レイプ派」が創ってきた固定観念に挑戦しているのである。

第四に、慰安婦支援として行われている様々な韓国内の「運動」に対する朴裕河氏の批判は呵責がない。挺対協が、初期の段階で挺身隊と慰安婦を混同したこと、アジア女性基金の真剣で善意を持った活動を韓国社会から遮断したことが述べられる。当初は7名、最終的には61名の女性がアジア女性基金の償い金をうけとっていながら、挺対協によって「非国民」として社会的に排除され、カミングアウトできない経緯も、当然にここに付け加えられるだろう(拙著『危機の外交』159ページ参照)。

現在も元「慰安婦」の一部の方々が共同生活を行う福祉施設「ナヌムの家」についても、ここは「完璧な被害者の記憶だけを必要とした空間だった」と、その運営者への批判は辛辣である(『帝国の慰安婦』145ページ)。

しかし最も鮮やかに描き出されるのは、「大使館前の少女像は、協力と汚辱の記憶を当事者も見るものもいっしょになって消去した<まったき被害者>としての像でしかない(『帝国の慰安婦』155ページ)」という慰安婦少女像に対する、厳しい批判であろう。

第五に、本書全体を読めば、これが、帝国という構造をつくり、その中に構造的な植民地をつくり、その中に構造的に韓国の女性をまきこんだ日本帝国とその植民地主義に対する鋭く本質的な批判の上に成り立っていることは明瞭である。「制度的レイプ派」に対する批判は強烈であるが、「公娼派」の議論にも全く与していない。

本書がこの問題に関心をもつ多くの日本人、特に「河野談話派」ともいうべき日本の「中道リベラル」の強い関心と支持を集めたのは、言わば当然のことであろう。

「制度的レイプ派」による批判

しかしながら、本書が、植民地時代の歴史において、韓国人が決して認識したくないこと、即ち、自らが植民統治と一体化した部分があったことを、慰安婦とその周辺に生きた人々と言う言わば最大の聖域に踏み込んで叙述している以上、その聖域をつくりあげてきた「制度的レイプ派」の朴裕河氏教授に対する批判は、激烈なものとなっていった。

2014年6月に彼らの支援の下に元慰安婦から①名誉棄損(刑事)、②損害賠償(民事)、③本の販売禁止等の仮処分(民事)の三つの訴訟が提起された。2015年2月③について一部敗訴(控訴)。同年11月18日に①について刑事起訴。2016年1月②について敗訴(控訴)。現在①の名誉棄損刑事裁判だけが進行中である。

2015年12月28日以降は、日韓合意が日本に法的責任と犯罪性を認めさせていないとしてその全面撤回を求め始めた挺対協他の「制度的レイプ派」の行動は、朴裕河教授の刑事訴追支持の運動と併行的な形をとるようになった。

「制度的レイプ派」たる日本のいわゆる左の論客が一斉にこの動きを支持し、日本語・韓国語・英語による発信を強化、その批判は、2015年11月26日朴裕河氏の刑事訴追に抗議して声をあげた54名(私を含む。本稿執筆の時点で67名、http://www.ptkks.net参照)の日米の言論人他、いわゆる「中道リベラル」派にも向けられている(http://fightforjustice.info/?lang=ko参照)。

しかしながら、この「制度的レイプ派」の動きについて以下の点をのべておかねばならない。先ず、「慰安婦の声をきかずに日韓政府が勝手に合意をした」という批判については、朴槿恵大統領が2016年1月13日の記者会見で、「外交省は各地で15回にわたり、関連団体や被害者と会い、多様な径路を通じて本当に何を望むか聞いた」という明確な反論を行い、挺対協もまた、少なくとも2015年の春頃から明らかに柔軟対応をとり始めていたという情報があるということである(拙著『危機の外交』160~161ページ参照)。

他方において朴裕河氏に対する名誉棄損についても、朴教授訴追の主先鋒となっているナヌムの家の安所長は二名の元慰安婦とともに2016年1月来日、衆議院会館での講演で、元慰安婦に対し本書の問題点を説明するために「抽出された百数十カ所の問題とされた箇所を何度も朗読した」と述べたというのである。作為的につくられた「名誉棄損」という罪状であるというのなら、韓国における言論形成について深刻な疑問をもたざるをえない。

おわりに

「制度的レイプ派」と「河野談話派」との間の溝は限りなく深い。

けれども、そのような対立と見解の相違は、歴史への真摯な対峙という立場を共有し、辛抱強い対話と相互理解への希求によって乗り超えるべきではないのか。

これこそ、法律上の犯罪としての「名誉棄損」によって一方の見解を排除することを、絶対にしてはならない問題と考えるべきではないのか。

韓国・日本・世界の心ある言論人は、更に心を尽くして、朴裕河氏の法的訴追と言う言論による暴力をやめさせるべく、一層声を大にするべきではないのか。

朴裕河氏の刑事訴追に抗議するリーダーであり、2016年4月28日、突然幽冥境を異にされた畏友若宮敬文氏を偲びつつ。

合掌

https://web.archive.org/web/20160730103909/http://www.huffingtonpost.jp/kazuhiko-togo/agreement-of-confort-women-problem_b_11063434.html
http://www.webcitation.org/6jNzU7WH3

新財団は「許し難い売国行為」 北朝鮮 —

新財団は「許し難い売国行為」 北朝鮮

日本が犯した性奴隷犯罪や強制連行

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「許し難い売国行為だ」 北朝鮮が韓国の朴槿恵大統領を非難

 北朝鮮の韓国向け宣伝サイト「わが民族同士」は29日までに、韓国政府が元慰安婦を支援する「和解・癒やし財団」を設立したことについて「許し難い売国行為だ」と朴槿恵(パク・クネ)大統領を非難する論評を掲載した。

 論評は、朴政権が財団を設立したのは、日韓を「野合」させ北東アジアでの戦略を実現しようとする米国の圧力に屈したものだと主張。「外部勢力にへつらい同じ民族とは対決する朴政権を放置していては、いつまでも民族の恨みは晴らせない」と強調した。

 その上で「われわれは過去に日本が犯した性奴隷犯罪や強制連行に対する徹底した謝罪と賠償を受けるため最後まで闘争する」と表明した。(共同)

産経2016.7.29

https://web.archive.org/web/20160730102706/http://www.sankei.com/world/news/160729/wor1607290026-n1.html

鬼郷 日本上映へ 監督インタビュー — 2016年7月26日

鬼郷 日本上映へ 監督インタビュー

<インタビュー>慰安婦映画『鬼郷』の監督「日本の配給拒否に落胆…謝罪の日を待ちつつ」

「日本の配給拒否に挫折して落ち込んだりもしたが、あきらめることはできなかった」

映画『鬼郷』(チョ・ジョンレ監督)が7月21日、東京を皮切りに全国ツアー上映会を始める。チョ・ジョンレ監督は20日、単独で日本に渡り9月まで13都市を直接回る予定だ。企画製作から公開まで何と14年を要した作品。チョ・ジョンレ監督は「『鬼郷』は生涯の宿題であり課題だ。これから再びスタートだ」と熱意を燃やした。

2月24日に公開した『鬼郷』は1943年わけも分からぬまま日本軍の手で連れていかれて家族のもとを離れた14歳のジョンミン(カン・ハナ扮)と少女の胸が痛む経過を描いた映画だ。日本軍の慰安婦被害者である姜日出(カン・イルチュル)さんの実話をもとに作られた。

公開後、累積観客数358万6535人を突破して興行に大成功した『鬼郷』チームは、映画化を許諾した慰安婦女性らと国民からの声援に報いる道は世界中に『鬼郷』のストーリーを伝えることだと判断し、海外での公開を持続的に推進してきた。

その結果、『鬼郷』は在日同胞が中心となった日本人権団体の支援を受けて日本国内13都市で「共同体上映」方式での上映会を進めている。日本の配給会社を通じて正式な公開を推進していたが、これはついに失敗に終わってしまったという。

これに関してチョ・ジョンレ監督は日本への出国を前に韓国日刊スポーツに『鬼郷』興行の後日談や海外上映会、10億ウォン寄付、そして今後の計画などいまだ終わらぬ『鬼郷』の話を打ち明けた。

--正式公開の不発に物足りなさが残らないか。

「もちろん心残りはある。だがあまり欲張りたくはない。実は『鬼郷』について深い関心を見せていた日本の配給会社があった。配給会社は映画を観て『大丈夫だ。良い』と言っていたが直接的な配給は当然大変だったのだろう。2回も挫折を体験した。だが彼らの意に全面的に従わなければならなかったし、私たちも初めから攻撃的に対応するつもりはなかった。それでもじっとしているわけにもいかない。それで別のルートを計画することになった。それが共同体の上映だった。『全国を回ってあちこちの地域で上映会をしてみよう』と考えて現実化した」

--上映会が進められる途中で日本側の反発がある可能性も高かったはずだが。

「その通りだ。今も相変わらずだ。ひとまず私たちが借りなければならない建物が日本の建物なので、無条件に手順を踏まなければならない。要請すればすべての段階に対する審査を進めた後、許可が出る。拒否や拒絶をした所もある。『無条件にダメ』というのではなく丁重に拒絶されたそうだ。だが私たちがどんな映画を上映するのか隠す必要がないだけに、隠す理由もない。可能なラインで解決しようとしてみる。そのため現地の人たちの協力が切実で、まだ明確なスケジュールを申し上げることができない」

--観客の関心度はどのぐらいか。

「申し込みを受けているが、在日同胞の方たちとその知人たちだけでも席が埋まったそうだ。知人たちはほとんどが日本人だ。今回の第1次ツアーの反応を見て第2次、第3次上映会も企画するつもりだ」

--広報も別に進めているのか。

「広報をあまりにもやらないわけには行かないが大々的に広報することになればかえって上映会に良くない影響を及ぼすようで、地域のコミュニティを中心に観客を集めている。ところがすでに多くのうわさが立っているようだ(笑)」

--監督の目標がまた達成されるようだ。

「私がいつもしている話だが、国民が支持してくれたことに報いる道は世界中に私たちがされたことを伝えることだ。韓国での正式公開をはじめとして米国・カナダ・豪州、日本での試写会まで計10万回程度の上映になった。私たちの少女ら20万人ほどが慰安婦として連れて行かれたが、それに比べればまだ10万回程度なのでもっと上映しなければならない。死ぬまでやる。驚くべきことであり感謝したのは、ある地域で映画を上映すればそこから連鎖的に上映の要請が入ってくる。多くの人々が知れば知るほど真実に近づき、きちんと伝えるほど解決できる方法も多くなることなので良いことだ。そうなれば日本でも謝罪する日が来るのではないかと思う」

中央日報日本語版 2016.7.19
https://web.archive.org/web/20160719201550/http://japanese.joins.com/article/421/218421.html
http://megalodon.jp/2016-0720-0509-00/japanese.joins.com/article/421/218421.html

鬼郷 東京上映会 —

鬼郷 東京上映会

「消してはいけない歴史」・・・涙涙なった慰安婦映画『帰郷』東京上映会

聯合 2016.7.21

日本人と在日同胞400人観覧・・・観客「彼らの被害と苦痛分かった」
チョ・ジョンネ監督「戦争ない世の中作る平和の渡欧されるのを」

(東京=聯合ニュース)照準型特派員=映画の後半部。老年の軍隊慰安婦生存者役を演じた俳優ソン・スクが戦場で死んだ友達を賛えて嗚咽する時、客席のすすり泣くということは絶頂に達した。 映画が終わってしばらくの間、後援者数万人の名前が上がってくる間もそのむせび泣きの声は止まなかった。

21日の夕方、東京の荒川のあるホテル内公演会場で日本人と在日同胞約400人が参加する中、慰安婦を題材にした映画『鬼郷』の上映会が開かれた。

昨年の末韓日軍隊慰安婦合意にともなう被害者支援財団が27日頃韓国で正式発足し、日本政府や日本メディアからは軍隊慰安婦の話がほとんど出てこない状況でまだ癒されない被害者の痛みに共感する時間だった。
127分の上映時間ずっと悲しくて苦痛だったが、監督と主演俳優の舞台挨拶が終わって帰宅する観客の顔では歴史に対する「覚醒」この州は「カタルシス」も感じることができた。

慰安婦被害者支援活動をしてきた日本人女性生きようケイコ(65)さんは聯合ニュース記者に「絶対に許されないこのような歴史を消そうとするのは、更に許されないと思う」として「未来と平和のためには歴史を消してはいけないということを改めて感じた」と話した。

会社員田中ユキ(23)さんは「私たちは戦争を起こした世代ではないが慰安婦が受けた被害と苦痛をまともに習った」として「私たち自らがこうしたことが無いようにするにはどのようにするべきかを考えなくてはいけない」と話した。

チョ・ジョンネ監督は舞台挨拶を通じて「反日」を目的に映画を作ったのが決してないと強調し、「映画が平和の道具になってこの映画を通じて戦争がない世の中がくるように願う気持ちで作った」と話した。

主演俳優である在日同胞4世降下や量は”(慰安婦被害者役割を受け持ったので)撮影して苦痛だという不安があったが慰安婦ハルモニの人生を考え、その人の苦痛と悲しみを考えるのでそのような私の不安は何でもないと考えることになった」と話した。

今回の上映会は在日本朝鮮人総連合会関係者たちが主軸を成した「平和と統一のための6・15映画上映会実行委員会」が主管した。

チョ・ジョンネ監督は当初日本で正式封切りを推進して不如意だから日本各地を回って試写会形式の巡回上映会を開くことになった。

『鬼郷』は慰安婦被害者であるカン・イルチュルおばあさんが美術心理治療中に描いた「乗せられる少女たち」をモチーフにして、被害者の証言に基づいて作られた劇映画だ。

国内外数万人が「十匙一飯」で出した後援支援金と俳優および製作スタッフのタレント寄付を通じて作ったこの映画は今年2月封切りして観客359万人を集めて『鬼郷』シンドロームを産んだ。

“지워선 안될 역사”…울음바다된 위안부 영화 ‘귀향’ 도쿄상영회

일본인·재일동포 400명 관람…관객 “그들의 피해와 고통 알게됐다”
조정래 감독 “전쟁없는 세상 만드는 평화의 도구되길”
(도쿄=연합뉴스) 조준형 특파원 = 영화의 후반부. 노년의 군위안부 생존자 역을 맡은 배우 손숙이 전장에서 죽은 친구를 기리며 오열할때 객석의 훌쩍거림은 절정을 이뤘다. 영화가 끝나고 한 참 동안 후원자 수만명의 이름이 올라오는 동안도 그 흐느낌 소리는 멈추지 않았다.

21일 저녁 일본 도쿄 아라카와(荒川)의 한 호텔 내 공연장에서 일본인과 재일동포 약 400명이 참석한 가운데 위안부 소재 영화 ‘귀향’의 상영회가 열렸다.

작년말 한일 군위안부 합의에 따른 피해자 지원재단이 27일께 한국에서 정식 발족하고, 일본 정부나 일본 언론발로는 군위안부 이야기가 거의 나오지 않는 상황에서 아직 치유되지 않은 피해자들의 아픔에 공감하는 시간이었다.
127분의 상영시간은 내내 슬프고 고통스러웠지만 감독과 주연배우의 무대인사까지 끝나고 귀가하는 관객의 얼굴에서는 역사에 대한 ‘각성’이 주는 ‘카타르시스’도 느낄 수 있었다.

위안부 피해자 지원활동을 해온 일본인 여성 사세 게이코(65) 씨는 연합뉴스 기자에게 “절대 용납될 수 없는 이런 역사를 지우려고 하는 것은 더욱더 용납될 수 없다고 생각한다”며 “미래와 평화를 위해서는 역사를 지워선 안 된다는 것을 새롭게 느꼈다”고 말했다.

회사원 다나카 유키(23) 씨는 “우리는 전쟁을 일으킨 세대는 아니지만 위안부들이 받은 피해와 고통을 제대로 배웠다”며 “우리들 스스로가 이런 일이 없도록 하려면 어떻게 해야할지를 생각하지 않으면 안 된다”고 말했다.

조정래 감독은 무대인사를 통해 ‘반일’을 목적으로 영화를 만든 것이 결코 아니라고 강조하면서 “영화가 평화의 도구가 되어서 이 영화를 통해 전쟁이 없는 세상이 오길 바라는 마음으로 만들었다”고 말했다.

주연배우인 재일동포 4세 강하나 양은 “(위안부 피해자 역할을 맡았기에) 촬영하면서 고통스러울 것이라는 불안이 있었지만 위안부 할머니들의 인생을 생각하고 그분들의 고통과 슬픔을 생각하니 그런 나의 불안은 아무것도 아니라고 생각하게 됐다”고 말했다.

이번 상영회는 재일본조선인총연합회 관계자들이 주축을 이룬 ‘평화와 통일을 위한 6·15 영화상영회 실행위원회’가 주관했다.

조정래 감독은 당초 일본에서 정식 개봉을 추진했다가 여의치 않자 일본 각지를 돌며 시사회 형식의 순회 상영회를 열게 됐다.

‘귀향’은 위안부 피해자인 강일출 할머니가 미술 심리치료 중에 그린 ‘태워지는 처녀들’을 모티브로 하고, 피해자들의 증언을 토대로 만들어진 극영화다.

국내외 수만명이 ‘십시일반’으로 낸 후원금과 배우 및 제작진의 재능기부를 통해 만들어 진 이 영화는 올 2월 개봉해 관객 359만명을 끌어모으며 ‘귀향’ 신드롬을 낳았다.

http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2016/07/21/0200000000AKR20160721201300073.HTML
http://archive.is/IRMGZ

チョン・ヨンファン 「同志的関係にあったと言うのは兵士から見た慰安婦像」 — 2016年7月21日

チョン・ヨンファン 「同志的関係にあったと言うのは兵士から見た慰安婦像」

人模様
女性たちの声に耳傾け 鄭栄桓さん

毎日新聞2016年6月25日 東京夕刊

「被害を受けた女性たちの名誉回復がなされてこそ真の和解が可能になる」と明治学院大准教授の鄭栄桓(チョンヨンファン)さん(35)は主張する。慰安婦問題を題材にした新著「忘却のための『和解』」(世織書房刊)の出版記念セミナーがこの春、東京で開かれた。

千葉県生まれの在日朝鮮人3世。祖父は日本の植民地支配時代に今の韓国の慶尚南道からやって来た。そうした自分のルーツもあり歴史学の道へ進んだ。

自著では日本の言論界で一定の評価を得た「帝国の慰安婦」(朴裕河(パクユハ)著)を取り上げる。戦争遂行のため「愛国的になれ」「日本人になれ」と言われた朝鮮人慰安婦を通して「植民地支配とは何かを考えた」(朴さん)という。これに対して鄭さんは「愛国的あるいは日本兵と同志的関係にあったと言うのは兵士から見た慰安婦像。それを女性たちの声であるかのようにとらえるのは問題だ」と指摘する。「まずは日本政府が加害の事実と向き合い、法的責任を認めること。そこから新たな未来が築かれる」と説く。【明珍美紀】

http://mainichi.jp/articles/20160625/dde/041/070/054000c

パク・ユハ 鄭栄桓(チョン・ヨンファン)の『帝国の慰安婦』批判に答える —

パク・ユハ 鄭栄桓(チョン・ヨンファン)の『帝国の慰安婦』批判に答える

批判が向う地点はどこなのか? – 鄭栄桓(チョン・ヨンファン)の『帝国の慰安婦』批判に答える
2015-08-31 PARKYUHA.ORG

批判が向う地点はどこなのか? – 鄭栄桓(チョン・ヨンファン)の『帝国の慰安婦』批判に答える[1]

2015年 8月 31日 午後 4:50

鄭栄桓が私に対する批判を始めたのはずいぶん前のことだ。全部読んではいないが、彼が日本語のブログに連載した批判がSNSを通じて広がっていたので、一部読んだこともある。それに答えなかった理由は、まず時間的な余裕がなくて、彼の批判が悪意的な予断を急かすものだったからだ。

しかし、2月に私の本に対する仮処分判決が下されたとき、鄭栄桓の文章はハンギョレ新聞で私に対する批判として使われ、今は『歴史批評』という韓国の有力雑誌に掲載されるに至ったので、遅まきながら反論を書くことにする。

ところで、紙面を30枚(400字15枚)しかもらえなかった。わずか30枚で彼の批判に具体的に答えるのは不可能なことだ。幸か不幸か、また別の若い学者たちがほぼ同じ時期に『歴史問題研究』33号に「集談会」という形で『帝国の慰安婦』を批判したが、これに対する反論は100枚(400字50枚)が許されたので、論旨に関する具体的な反論はその紙面を活用することにする。

 民族とジェンダー

私が彼に初めて会ったのは、2000年代初め、私が最も関心を持っており、提案をしたこともあった日本のある研究会でだった。その研究会は日本の在日僑胞問題、沖縄問題など帝国日本が生み出した様々な問題に対する関心が高い場であったし、何より知的水準がとても高い場であったため、その存在を知ってからは機会があれば参加していた場であった。文富軾(ムン・ブシク)、鄭根埴(チョン・グンシク)、金東椿(キム・ドンチュン)などがその研究会で関心を持って招いたりしていた人々だった。

徐京植(ソ・キョンシク )もその研究会で非常に大切にされている存在であることがまもなく分かったし、私もまた彼に好感を持っていたので、彼と本を交換したりもした。ところが、私が在日僑胞社会の家父長制問題について発表してから、彼らの態度は変わった。徐京植は「ジェンダーより民族問題が先」だと露骨に話したこともあった。当時研究会のメンバーの中には、公的な場ではそう話す徐京植を批判しなくても、私的な場では徐京植を批判する人もいた。

いってみれば、徐京植、尹健次(ユン・コォンチャ)、そして今や鄭栄桓に代表される在日僑胞たちの私に対する批判は、基本的に「ジェンダーと民族」問題をめぐるポジションの違いから始まったのだ。興味深いことに、私に対して公式的かつ本格的に批判を行ったのはみんな男性の学者たちである。女性の場合は金富子(キム・プジャ)や尹明淑(ユン・ミョンスク)など慰安婦問題研究者に限られている。この構図をどのように理解するかが私と彼らの対立を理解する第一のヒントになるだろう。韓国で徐京植から始まった私に対する批判に加勢した学者たち―李在承(イ・ジェスン)、朴露子(パク・ノジャ)、尹海東(ユン・ヘドン)など―もみんな男性の学者であった。(もちろん、女性の学者、または女性学専攻者たちの中にも訴訟に反対したり、私に好意的に反応したりした人は極めて少なかった)。

後でまた書くだろうが、彼らの批判は約束でもしたかのように、私の論旨が「日本を免罪」するという前提から出発している。鄭栄桓が繰り返し強調するのもその部分だ。

 戦後/現代日本と在日僑胞知識人

鄭栄桓も言及したように私に対する批判は、10年前に書いた『和解のために』の刊行後から始まった。初めて批判したのは、挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)に関与した在日僑胞女性学者の金富子であった。少し経って、尹健次、徐京植は「詳しいことは金富子に任せて…」と言いながら極めて抽象的な批判を始めた。それにもかかわらず、金富子にも、徐京植にも、私は先に言及した研究会で知り合いになったために親しみを感じていたし、時間が経って私の本をもっと読んだら、理解してくれるだろうと思った。それを期待しつつ、その頃に出た『ナショナル・アイデンティティとジェンダー』を送った。

後日、私が反論を書くようになったきっかけは、徐京植がある日ハンギョレ新聞に載せたコラムだった。私を高く評価した日本のリベラル知識人が、私を利用して自分たちがしたい話をしているのだと彼は書き(「妥協を強要する和解の暴力性」、2008/9/13ハンギョレ新聞)、翌年、私に対する批判を含んだ尹健次の本がハンギョレに大きく紹介されたときだった。

当時、金富子などの批判に同調して批判したのはごく少数の日本人だったし、広がることはなかった。もっとも彼らが韓国で私への批判を始めたことに、私は驚かずにはいられなかった。なぜなら『和解のために』は刊行されて3年も経っていたし、彼があえて批判しなければならないほど韓国で影響力があった本ではなかったからだ。

そんな私の本を、彼らが韓国という空間で突然批判した理由を私はいまだ正確には知らない。問題は、徐京植が目指したのが現代日本の「リベラル知識人」(進歩知識人)だけでなく、彼らが築いてきた戦後日本に対する批判だったという点だ。日本のリベラル知識人たちは、実は植民地支配に対して法的責任を負いたがらないという彼の根拠のない推測は、その後韓国リベラルの日本不信に少なからず影響を及ぼしただろうと私は考えている。

ところで、私はこのときに反論を日本語で書いて日本のメディアに発表した。金富子の論文が載せられたのは日本のメディアだったからだ。ところが2年後の2009年の夏と冬に、ハンギョレ新聞の韓承東(ハン・スンドン)記者が尹健次教授の本の紹介に「日本の右翼に絶賛された『和解のために』を批判した本」だと書くという事態が起きた。韓国で「日本の右翼に絶賛」されるということがどんな波乱を起こすのか知らない人はいないはずだ。私はこの歪曲報道に接して驚愕した(これに関する経緯については『帝国の慰安婦』のあとがきにも書いた)。

 知識人の思考と暴力

徐京植の考え方(戦後日本と現代日本の知識人に対する批判)が彼の人気とあいまって韓国で確実に根を下ろしたという証拠は、2014年6月、私に対する告発状に徐京植の考え方(私が語った「和解」と赦しをあたかも日米韓の国家野合主義的思考であるかのように片付けてしまう思考)が書かれていたという点だ。私はそのとき、言論仲裁委員会に行かなかった私の5年前の選択を初めて後悔した。

すなわち、私に対する告発は、直接的にはナヌムの家という支援団体の誤読と曲解から始まったのだが、実は彼らをそうさせたのは裏で働いていた私に対する警戒心だった。そのような警戒心を作り、また見えないように支援していたのは知識人たちだった。私に対する最初の告発は、慰安婦についての記述が「虚偽」だという内容だったが、私が反駁文を書くと、原告側は途中で告発の趣旨を変えて私の「歴史認識」を問題にした。一連の過程において、自分たちと異なる不慣れな考え方は無条件に排斥し、手っ取り早い排斥手段として「日本の右翼」を持ち出したという点で知識人も、支援団体も変わりはなかった。

韓国の革新陣営で流通していた徐京植と尹健次などの本が、私についての認識を「日本を免罪しようとする危険な女性」と見做す認識を拡散させたと私は考える。もちろん慰安婦問題を否定し「日本の法的責任を否定」するというのが理由だ。

徐京植や尹健次は、私の本が日本右翼の思考を「具体的に」批判した本でもあるという点を全く言及せず、ただ「親日派の本」として目立たせたがっていた。

彼らの他にも私が知っている限り、私の本以前には慰安婦問題に対する否定派の考え方を具体的に批判した人は殆どいなかった。韓国や日本の支援者たちは慰安婦問題に否定的な人々に対しては頭ごなしに「右翼!」という言葉で指差しており、金富子が私に対して「右派に親和的」という言葉で非難したことはその延長線上のことだ。

それに比べれば鄭栄桓はそれなりにバランスを取ろうと努めており、その点は一歩進んだ在日僑胞の姿ではある。しかし、鄭栄桓は私の「方法」が何か不純な意図を持ったものに見せかけようとする方法を使っている。本全体の意図と結論を完全に無視し、文脈を無視した引用と共にフレームアップして「危険で不道徳な女性」と見せることが彼の「方法」だ。そのために私の本が結論的に「日本の責任」を問う本であるということは、どこにも言及されない。彼らは日本に責任を問うやり方が自分たちと異なるということだけで、私を非難しているのである。

それは多分、鄭栄桓が紹介した通り、彼らが20年余り守ってきた思考の強大な影響力が揺らぐ事態を迎えたためかもしれない。彼はそうした情況があたかも日本が責任を無化させる方向へ進んでいるかのように言っているが、それは鄭の理解でしかない。この数年間、慰安婦問題に極めて無関心だった日本人たちが、そして少女像が立てられた2011年以後に反発し始めた日本人たちが、私の本を読んだ後、慰安婦問題を反省的に見直すことができたと語ってくれている。

先日私は偶然、徐勝(ソ・スン)/徐京植兄弟に対する救命運動を20年以上してきたという日本人牧師の夫人が、慰安婦問題解決運動会の元代表だという事実を知った。直接的には関係がないように見えた徐京植も実際には慰安婦問題関係者と深い関係があったわけだ。私があえてこの文章で徐京植について言及する理由は、鄭栄桓が『和解のために』を批判した際、徐京植の批判を持ってきたからだ。『和解のために』に対する批判に出た人たちはほとんどが慰安婦問題に関与してきた人たちだったが、徐京植もまたそのような「関係」から完全に自由ではなかったわけである。私に対する徐京植の批判の論旨が告発状にそのまま援用されていたことを指摘したのは、「知識人の責任」を問うためであったが、ひょっとしたら彼の論旨自体、「無謀な」支援団体以上に、現実的なポジションと人的関係の影響から出たものかもしれない。

彼らの論旨は構造的に敵対と「粛清」を要求する。支援団体が国家権力を前面に出し私を告発したのはその結果でもある。私に対する糾弾を通じてあらわになったそうした彼らの方式と思考の欠陥がどこにあるのか、今後私はもう少し具体的に語っていくつもりだ。彼らのやり方が20年以上平和をもたらすこともできず、不和を醸してきた理由がまさにそのような思考の欠陥にあるからであり、それでは未来の平和も作ることができないからだ。

 批判とポジション

彼らは「戦後日本」を全く評価しない。そしてそのような認識が韓国に定着するのに大きく寄与した。

端的にいうと、良し悪しにかかわらず2015年現在の韓国の対日認識は、彼ら在日僑胞が作ったものと言っても過言ではない。もちろん彼らと連帯して20年以上「日本は軍国主義国家!」と強調し、「変わらない日本/謝罪しない日本/厚かましい日本」観を植え付け、2015年現在韓国人の7割が日本を軍国主義国家だと思い込ませた、挺対協をはじめとする運動団体の「運動」と、彼らの声をただそのまま書き取り続けてきた言論も少なからず役割を果たした。

彼らは、朴裕河は「日本(加害者)が悪かったのに韓国(被害者)が悪かったと言う」と、私が批判したのは「韓国」ではなく少女を守らなかった村共同体や、育てていながら売り飛ばした里親であり、そうしたことを許した思考である。鄭ほか批判者たちは私が日本を批判しないかのように人々に思い込ませたが、私が彼らの日本観を批判しながら指摘したかったのは、まさにそのような不正確でモラルを欠く「態度」であった。

私は彼ら在日僑胞が日本を批判するなら、自分たちを差別しないで教授に採用した日本についても言及した方が公正だと思う。金石範(キム・ソクボム)という作家が20年以上『火山島』を一つの文芸紙に連載して生活が可能になったのも戦後/現代日本でだった。

決してその変化が早いわけでもなく完璧であるわけでもないが、日本社会は変わったし、変わりつつある。それでも決して見ないようにしてきた葛藤の時間の末に、現在の日本はまさに私たちが知っているような姿に回帰中であるようにも見える。誰がそうさせたのか。関係というのはおおむね相対的なものである。

私が『和解のために』で話そうとしたのはそういったところだった。その本は2001年に教科書問題が起きて初めて、日本にいわゆる「良心的な知識人と市民」が存在するということをようやく知ったほど、戦後日本についての知識が浅かった10年前、韓国に向けて先ずは戦後日本がどんな出発をし、どんな努力をしてきたかを知らせようとした本だ。私たちの日本についての認識は、実は転倒した部分が少なくないと。

相手を批判するためにはまず、総体的な日本を知ってから行うのが正しい。それでこそ正確な批判ができるのではないだろうか。ところが様々な理由で私たちには総体的な日本が知らされていなかった。私は鄭栄桓の言うように日本のリベラル知識人が話したがっていたのを代弁したわけではなく、総体的な日本についてまず知らせようとしただけだ。否定的な部分を含めて、である。それはそうした作業に怠慢だった韓国の日本学研究者の一人としての反省を込めた作業だった。徐京植の批判は、私にはもちろんのこと、日本の革新・リベラル知識人に対する侮辱でしかない。

徐京植の批判は、私たちにようやくその存在が知らされた日本のリベラル知識人を批判からすることで、戦後/現代日本に対する信頼を失わせた。

もちろん日本に問題がないと言っているわけではない。問題は彼らの批判が決して正確ではないという点だ。しかも、日本がさらに変わるためにはリベラル知識人との連帯は当然必要である。それなのに、彼らを敵に回して鄭栄桓は誰と手を組んで日本を変化させようとしているのだろうか。徐京植や鄭栄桓の批判は、極めてモノローグ的だ。モノローグでは相手を変化させることはできない。

私は政治と学問、一般人と知識人に対する批判において「違い」を意識しながら書き、話す。鄭栄桓ら私を批判する学者との最も本質的な違いは、おそらくこの点にある。つまり、私は夏目漱石を批判し、彼をリベラル知識人として祭り上げた日本の戦後知識人と現代知識人を批判したが、それはそれくらい知識人の責任が大きいからだ。知識人の思考はときに政治を動かすこともある。しかし、ただ普通の生活を営むだけの一般人に対する批判は、その構えを異にするべきだというのが私の考え方だ。これが私の「方法」だ。モノローグよりダイアログの方が、論文においても実践においても生産的な「方法」になり得る。

 「日本の謝罪」を私たちはどこで確認するだろうか。

首相や天皇がいくら謝罪したところで、国民同士が同じ心情を持たなければ、日韓の一般人たちは最後まで疎通できず、不和にならざるを得ない。私たちは天皇や首相と対話するわけではないからだ。

日本の90年代は確かに曖昧だったが、日本政府と圧倒的多数の国民が謝罪する心を持っていた時代だった。私がアジア女性基金を評価したのはそのような政府と国民の心が込められたものだったからだ。批判者たちはそのような日本政府の謝罪と補償を「曖昧」だと非難したが、鮮明さ自体が目的である追及は、正義の実現という自己満足をもたらしてくれることもあるが、大慨は粛清につながる。当然、生産的な言説にもならない。実際に私に対する告発がそれを証明した。

「告発には反対するが…」と前置きしながら私を批判した人たちの中で、誰も実際に訴訟を棄却させようと行動に出た人はいなかった。批判者たちは韓国政府と支援団体の考え方と違った意見を述べるという理由で、彼らが私を抑圧することを当然視し、批判に乗り出すことで私への抑圧に加担した。学問的な見解を司法府が道具と使うように放っておいたり、自ら提出したりした。ところが、歴史問題に対する判断を国家と司法府に依存する行為こそ、学者にとっての恥辱ではないだろうか。私はそう思う。だから惨憺たる心境だ。(『歴史批評』112号、2015・8)

[1] 『歴史批評』に最初この文章を先に送ったが、具体的な反論ではないという理由で掲載されなかった。他の文書に差し替えたが、この文書の方がより重要だと今も考えている。『歴史批評』112号に掲載した文章とは多少重なる部分がある。その文書で私が言及した鄭栄桓の問題は、他の男性学者の書評や論文にもおおむね見受けられる。これについては「東アジアの和解と平和の声」発足記念シンポジウム文(「記憶の政治学を越えて」、2015・6)でも、その一端を指摘したことがある。そしてこの問題については今後もまた書くつもりだ。

出典 : 朴裕河 フェイスブックノート
https://web.archive.org/web/20160630231843/http://parkyuha.org/%E6%89%B9%E5%88%A4%E3%81%8C%E5%90%91%E3%81%86%E5%9C%B0%E7%82%B9%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%8B-%E9%84%AD%E6%A0%84%E6%A1%93%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A8/

[下訳]シドニー市民の足捉えた「慰安婦問題告発漫画展」 — 2016年7月18日

[下訳]シドニー市民の足捉えた「慰安婦問題告発漫画展」

シドニー市民の足捉えた「慰安婦問題告発漫画展」

▲シドニー市民の足捕獲された「慰安婦問題告発漫画展」
日本軍慰安婦問題を告発する漫画展「支持しない花」が16日、オーストラリアのシドニーのクイーンビクトリアビル前の広場で開かれた。シドニー平和の少女像建立推進委員会が主催したイベントでは、2014年にフランスアングレーム国際漫画祭に出品された作品11点と、オーストラリアで活動する作家の作品2点が展示された。正午から午後4時まで開かれたこの日の行事は、週末を迎え、シドニーの繁華街に出てきた地元の人と観光客の注目をひきつけた。去る9日、韓国人密集居住地であるストラスフィールドで開始した今回の漫画展は、来る23日には、チェスウッドで、30日にはイーストウッドで開催される予定である。
シドニー聯合ニュース

日本軍慰安婦問題を告発する漫画展」負けない花」が16日、オーストラリアのシドニーのクイーンビクトリアビル前の広場で開かれた。シドニー平和の少女像建立推進委員会が主催したイベントでは、2014年にフランスアングレーム国際漫画祭に出品された作品 11点と、オーストラリアで活動する作家の作品2点が展示された。正午から午後4時まで開かれたこの日の行事は、週末を迎え、シドニーの繁華街に出てきた地元の人と観光客の注目をひきつけた。去る9日、韓国人密集居住地であるストラスフィールドで開始した今回の漫画展は、来る23日には、チェッツウッドで、30日にはイーストウッドで開催される予定である。シドニー聯合ニュース

http://megalodon.jp/2016-0718-0636-36/www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20160718027032
https://web.archive.org/web/20160717215352/http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20160718027032

▲ 시드니 시민 발길 붙잡은 ‘위안부 문제 고발 만화전’
일본군 위안부 문제를 고발하는 만화전 ‘지지 않는 꽃’이 16일 호주 시드니의 퀸빅토리아빌딩 앞 광장에서 열렸다. 시드니 평화의 소녀상 건립 추진위원회가 주최한 행사에는 2014년 프랑스 앙굴렘 국제만화축제에 출품됐던 작품 11점과 호주에서 활동하는 작가의 작품 2점이 전시됐다. 정오부터 오후 4시까지 열린 이날 행사는 주말을 맞아 시드니의 번화가로 나온 현지인들과 관광객들의 눈길을 사로잡았다. 지난 9일 한인 밀집 거주지인 스트라스필드에서 시작한 이번 만화전은 오는 23일에는 채스우드에서, 30일에는 이스트우드에서 열릴 예정이다.
시드니 연합뉴스

일본군 위안부 문제를 고발하는 만화전 ‘지지 않는 꽃’이 16일 호주 시드니의 퀸빅토리아빌딩 앞 광장에서 열렸다. 시드니 평화의 소녀상 건립 추진위원회가 주최한 행사에는 2014년 프랑스 앙굴렘 국제만화축제에 출품됐던 작품 11점과 호주에서 활동하는 작가의 작품 2점이 전시됐다. 정오부터 오후 4시까지 열린 이날 행사는 주말을 맞아 시드니의 번화가로 나온 현지인들과 관광객들의 눈길을 사로잡았다. 지난 9일 한인 밀집 거주지인 스트라스필드에서 시작한 이번 만화전은 오는 23일에는 채스우드에서, 30일에는 이스트우드에서 열릴 예정이다.

釜山に慰安婦被害資料館 — 2016年7月12日

釜山に慰安婦被害資料館

韓国・釜山に慰安婦被害資料館設立へ 推進委が発足

2016/07/12 聯合ニュース日本語版

【釜山聯合ニュース】旧日本軍による慰安婦被害に関する資料や文学作品を展示する歴史文学館の設立を目指す推進委員会が12日、釜山市内で発足式を行い、公式活動を開始した。

 設立推進委の共同常任推進委員長には東亜大名誉教授で詩人の姜恩喬(カン・ウンギョ)氏、新羅大のイ・ソンヒ教授、慶星大の崔恩姫(チェ・ウンヒ)教授が就任し、推進委には釜山の市民団体や個人が参加する。今後3年間で10億ウォン(約9000万円)の寄付を集めることを目標とする。

 歴史文学館では慰安婦問題の関連資料や文学作品を展示するほか、東アジアの被害事例や資料を収集する活動を行う。

 設立推進委は寄付金が3億ウォンを超えた時点で敷地の購入などを検討し、歴史文学館を運営する法人も設立する計画だ。 

http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2016/07/12/0200000000AJP20160712004100882.HTML?input=www.tweeter.com

イ・ヨンフン「強制動員、本当に奴隷?」 — 2016年7月9日

イ・ヨンフン「強制動員、本当に奴隷?」

日帝強制徴用、本当に’奴隷の記憶’であったか 2016-07-08

「日本強制占領期間と日本の帝国主義戦争は韓国人に何を意味したのかを考えなければならない。」

李栄薫(イ・ヨンフン)教授(ソウル大経済学)は去る5日、チョンギュジTV「奴隷記憶の政治」編で強制徴用が持つ意味を論じた。李教授は多くの韓国人が考える強制徴用の実状と歴史、補償に対する見解まで詳しく説明した。多数の韓国人は強制徴用にあって様々な苦痛と圧迫を受けたが賃金は一銭も受けとれなかったような奴隷生活をしたと考える。

これについて李教授は「盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の時、強制動員真相究明委員会を設置して、日帝時代の全動員を強制動員と規定した」として「強制動員被害者が申告すれば一定金額を補償するとするや多くの被害者の証言が変質し、奴隷の記憶が誕生した」と説明した。引き続き「物質主義.的な方式でしか過去の歴史を清算できないことが、すなわち奴隷記憶の特質」と話した。

強制徴用でも実際、一銭も受けとれないわけではなかった。李教授は同僚研究者のイ・ウヨン落星垈(ナクソンデ)経済研究所博士の論文「戦時期、日本に動員された朝鮮人炭鉱部の賃金と民族間格差」も紹介した。この論文によれば当時、朝鮮人徴用者の平均賃金は71.95円だった。このうち18.6%に当たる13.37円は貯蓄金で、34.5%に当たる24.84円は韓国に送金して家族を扶養した。

李教授は「朝鮮人と日本人の手当てに差はあまりなかった」として「さらに日本人よりもっと多く受けとった朝鮮人も存在した」と話した。「これは朝鮮人と日本人の差別ではなく熟練のレベルの差だった」と強調した。私たちが知っている未支給金は1945年8月5日の解放前、何カ月か分だと付け加えた。

彼はこれに先立って強制徴用生存者50人余りにインタビューした。李教授は真の意味の過去の歴史清算のためならば、物質的補償より先にしなければならないことがあると強調した。その最初が真相究明のための学術研究がまともになされなければならないという点だ。朝鮮人労務者の未支払い金の場合、多数が1945年光復前3カ月程度の水準だった。これを正確に把握せず、単に申請だけで補償したのは正しくないということだ。

二番目は強制徴集と自発的志願の間の溝の解消だ。志願入隊した事例も強制徴集に分類し、その子孫が政府から補償を受ける問題点を解消すべきだという。李教授は「その時代の人々は奴隷ではなかった」として「彼らを奴隷にしたのは現代人の政治」と話した。引き続き「彼らの魂が故郷に戻って慰められるようにしたいなら、韓国人が歴史を正しく記憶しなければならない」と強調した。

キム・ヒョンジュン、チョンキュジェニュース

ソース:韓国経済 蚯蚓φ ★@

http://megalodon.jp/2016-0709-0708-39/www.hankyung.com/news/app/newsview.php?aid=2016070894011
https://web.archive.org/web/20160708124850/http://www.hankyung.com/news/app/newsview.php?aid=2016070894011