パク・ユハに日米韓の文化人ら支持表明 — 2017年12月7日

パク・ユハに日米韓の文化人ら支持表明

慰安婦本著者、有罪判決は不当 日韓文化人ら支援表明

政治 朝鮮半島
2017/12/7 17:24

 【ソウル=鈴木壮太郎】旧日本軍の従軍慰安婦問題を論じた「帝国の慰安婦」の著者、朴裕河(パク・ユハ)世宗大学教授が名誉毀損罪で有罪判決を受けたのは不当だとして、日韓を中心とする文化人ら98人が7日、連名で朴氏の裁判への支援を表明した。

 同日、記者会見した金映圭(キム・ヨンギュ)仁荷大名誉教授は、「司法や国家が裁判で思想の自由まで阻止できるのなら、韓国は過去のファッショ国家へと退行する」と懸念を表明。有罪判決を「誤った民族主義だ」と批判した。日本からは作家の大江健三郎氏、社会学者の上野千鶴子氏ら28人が名を連ねた。

 同書を巡って元慰安婦らが2014年6月に朴教授を告訴。ソウル東部地検が15年11月、朴教授を在宅起訴した。ソウル東部地裁は17年1月、無罪判決を言い渡したが、10月のソウル高裁での控訴審判決で一転、罰金1000万ウォン(約100万円)の有罪となった。

日経 https://web.archive.org/web/20171207105035/https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24381240X01C17A2FF2000/

全世界有識者ら『「帝国の慰安婦」有罪、思想的統制が復活したかのようだ」
2017年12月07日15時47分
中央日報日本語版

全世界の知識人が『帝国の慰安婦』を書いた世宗(セジョン)大学の朴裕河(パク・ユハ)教授の罰金刑は正当でないとして組織を構成し、上告審を支援する活動に出ることにした。

7日午前、ソウル中区(チュング)プレスセンターで「帝国の慰安婦訴訟支援会」は記者会見で「我々は『帝国の慰安婦』をめぐる賛否とは関係なく、朴教授に対する2審裁判部の罰金刑判決が我々の学界と文化系に重大な危機を招くと考える」とし「裁判所が有罪宣告を通じて示唆したのは、我々は今後身辺の危害を受けないためには国内外主流集団で『正しい』と認める歴史認識だけに従わなければならないということ」と主張した。

また「軍事独裁政権と共に姿を消したとされていた思想的統制が今一度復活したかのような、画一的な歴史解釈がもう一度強制されるかのような感じを受ける人は一人や二人ではないだろう」とし、「我々は朴教授の訴訟を支援し、そのために募金を始めようと思う」と明らかにした。

これに先立ち、朴教授は2013年に出版した『帝国の慰安婦』で慰安婦が「売春」であり、「旧日本軍と同志的関係」だったと書いて被害者の名誉を傷つけた容疑で2015年、不拘束起訴された。1審裁判部は無罪を宣告したが、2審裁判部は10月に罰金1000万ウォン(約103万円)を宣告し、朴教授は上告の意向を明らかにした。

「帝国の慰安婦訴訟支援会」には韓国人教授および有識者50人、早稲田大学の浅野豊美教授など日本人28人、MIT工科大学のノーム・チョムスキー教授など米国人20人など、今まで計98人の学者・法律家・ジャーナリストなどが参加している。

https://web.archive.org/web/20171207105304/http://japanese.joins.com/article/277/236277.html

nyt パク・ユハ刑事で勝訴 — 2017年2月9日

nyt パク・ユハ刑事で勝訴

Professor Who Wrote of Korean ‘Comfort Women’ Wins Defamation Case
By CHOE SANG-HUN JAN. 25, 2017

SEOUL, South Korea — A professor whose book about Japan’s World War II-era military brothels angered Korean women who once worked there was acquitted on Wednesday of defaming the women.

The professor of Japanese literature at Sejong University in Seoul, Park Yu-ha, published “Comfort Women of the Empire” in 2013. She has since faced civil and criminal complaints from nine South Korean women who said they were forced to work at the brothels during the war.

A year ago, Ms. Park lost a civil lawsuit when a court said she had defamed the women with “false” and “distorted” content in her book and ordered her to pay each of the nine 10 million won, or about $8,500.

But on Wednesday, Ms. Park won the criminal case. In a case closely followed by the South Korean news media, a judge in the Eastern District Court in Seoul ruled that her academic freedom must be protected.

“The opinions the defendant expressed in her book can invite criticism and objections and can even be abused by those who deny that the comfort women were forcibly mobilized,” said the justice, Lee Sang-yoon. “But academic expressions must be protected not only when they are right but also when they are wrong.”

Justice Lee said Ms. Park’s book should ultimately be judged by academics and citizens through free debate.

The issue of the women has been one of the most emotional disputes between South Korea and Japan. Historians say that at least tens of thousands of women, many of them Korean, were in the brothels from the early 1930s until 1945. A total of 238 women have come forward in South Korea, but fewer than 40 are still living, all of them in their 80s and 90s.

Prosecutors, who had asked the court to sentence Ms. Park to three years in prison, have a week to appeal the verdict.

When the judge read the verdict on Wednesday, Lee Yong-soo, 89, one of the nine women, stood up and denounced it. She also called Ms. Park a “pro-Japanese traitor,” according to South Korean news reports.

Ms. Park welcomed the decision and said she had been fighting not against the women but against their advocates — including local academics and journalists — who she said would not tolerate any opinions different from the mainstream narrative about the women.

Many intellectuals in South Korea and Japan have warned that Ms. Park’s legal troubles illustrated how dangerous it can be to challenge conventional wisdom in South Korea about historically delicate issues.

In her book, Ms. Park called for a more comprehensive view of the women in the brothels, euphemistically referred to by the Japanese as “comfort women.” They have been widely described in official South Korean history as young women forced or lured into sexual slavery. Ms. Park argues that such a picture was only partly true.

She wrote that there was no evidence that the Japanese government was officially involved in, and therefore legally responsible for, forcibly recruiting the women from Korea, then a colony of Japan. She said Korean collaborators, as well as private Japanese recruiters, were mainly responsible for placing Korean women, sometimes through coercion, in the “comfort stations.” She also said that life there included both rape and prostitution, and that some women developed a “comrade-like relationship” with Japanese soldiers.

Ms. Park’s critics in South Korea, including historians and former sex slaves, accuse her of selectively choosing historical data to parrot a view that many Japanese take on the issue. They call her a “pro-Japanese apologist.” Some right-wing politicians in Japan have angered Koreans by calling the women nothing but prostitutes.

South Korea officially says that Japan bears legal responsibility for using coercion in recruiting the women and in running the brothels. Tokyo says that the issue was settled once and for all in a 1965 treaty restoring diplomatic ties.

But in December 2015, the two governments announced what they called a “final and irreversible” settlement. In the deal, Japan expressed responsibility and made a new apology to the women, promising an $8.3 million fund to help provide old-age care. But some of the women have since rejected the deal because they said it failed to specify Japan’s “legal” responsibility or provide official reparations.

On the first anniversary of the deal in December, the women’s advocates established a bronze statue symbolizing the women in front of a Japanese consulate in South Korea. In protest, Japan recalled its envoy to South Korea.

http://megalodon.jp/2017-0209-0549-40/archive.is/WClYA

「帝国の慰安婦」著者に懲役3年求刑 — 2017年1月1日

「帝国の慰安婦」著者に懲役3年求刑

韓国検察、「帝国の慰安婦」著者に懲役3年求刑
ソウル=東岡徹2016年12月20日21時12分

著書「帝国の慰安婦」で元慰安婦らの名誉を傷つけたとして在宅起訴された韓国の朴裕河(パクユハ)世宗大教授(59)に対する公判が20日、ソウル東部地裁であった。検察側は慰安婦と日本軍が「同志的な関係」などとした表現が元慰安婦の名誉を毀損(きそん)したとして、懲役3年を求刑した。判決は来年1月25日に言い渡される。

検察側は国連の報告書や1993年の河野官房長官談話などをもとに、女性らが慰安婦になった経緯について「日本軍による物理的な強制があったことは明白な事実だ」と指摘した。慰安所での生活について「性奴隷だった」と主張した。

そのうえで、朴氏が著書で「自発的に行った売春婦」「朝鮮人慰安婦と日本軍の関係が基本的には同志的な関係」とした表現について、「虚偽」だと断定。原告の元慰安婦らの名誉を傷つけたと結論づけた。

一方、今回の裁判をめぐっては、検察や裁判所が歴史的な事実を評価し、刑事罰を科そうとするのは言論や学問の自由を脅かすという指摘があった。

この点について、検察側は「慰安婦の証言を恣意(しい)的に取捨選択し、主張を歪曲(わいきょく)して、学問や表現の自由を逸脱した」とした。

これに対し弁護側は、朴氏は慰安婦を「自発的な売春婦」と断定しておらず、「性奴隷」だとしていると訴えた。「同志」という言葉を使ったのは、日本の植民地だった朝鮮半島や台湾出身の慰安婦とそれ以外の国の慰安婦を区別するためだと説明した。慰安婦と日本軍が同志的な関係でないのは明らかだとした。

さらに朴氏は、執筆した動機は慰安婦問題を解決するのが目的だったと強調。無罪判決を求めた。

朴氏は終了後、記者団に対し、今回の裁判について「表現の自由の侵害だと思う」としながらも、「私の本を正しく読んでくれれば何の問題もない。だから表現の自由を論じる必要もない」と語った。(ソウル=東岡徹)

《「帝国の慰安婦」をめぐる経緯》 韓国の朴裕河(パクユハ)世宗大教授が、慰安婦とはそもそもどういう存在だったのかを考えるために、2013年8月に出版した。当初は評価されていたが、元慰安婦らが「自発的に行った売春婦」といった表現で名誉を傷つけられたとして出版禁止を求め、ソウル東部地裁は15年2月、34カ所を削除しなければ出版を認めないと決定した。朴氏は指摘された部分を「○」に変え、15年6月に「削除版」を出した。

15年11月にはソウル東部地検が朴氏を在宅起訴した。

16年1月には、元慰安婦9人が損害賠償を求めた民事訴訟で、ソウル東部地裁は朴教授に対し、1人当たり1千万ウォンの支払いを命じる判決を出した。

「帝国の慰安婦」を日本語で書き下ろした日本語版は朝日新聞出版から14年11月に出版されている。

http://www.asahi.com/articles/ASJDN31VFJDNUHBI00Q.html

東郷和彦 慰安婦合意と『帝国の慰安婦』 — 2016年7月30日

東郷和彦 慰安婦合意と『帝国の慰安婦』

慰安婦合意と『帝国の慰安婦』 東郷和彦
ハフィントンポスト年07月19日

はじめに

慰安婦問題は、まずは、日本軍の海外駐兵が拡大するに伴い当時日本の国内(本土・朝鮮・台湾)から海外に派遣された慰安婦問題として、1980年代後半に日韓関係の文脈で提起された。議論が進む中で、軍が進駐した現地の女性による慰安所の問題も併せ議論されるようになった。概ね三つの見方が成立した。

一つは、慰安婦は、軍が海外進駐にともなって連れて行った公娼であるとする「公娼派」の見方だった。もう一つは、この対極にある見方で、これら女性は物理的な強制を含む本人の意思に反する形で慰安所に連れてこられ、その本質は、強姦であるとする「制度的レイプ派」の見方だった。

その中間に、1993年の河野談話とこれを基礎として1995年に発足活動したアジア女性基金の考え方があり、女性たちが強いられた生活は苦しく悲惨なものであり、日本政府としてその責任を認め、謝罪し、償いのための行動をとるというものであった。「河野談話派」といってもよいと思う(なお私は、三つの立場の相克と河野談話支持という意見を、08年の『歴史と外交』(講談社新書・第二章)及び “East Asia’s Haunted Present”(Praeger Security International, Chapter Seven)で発表、以後一貫してそう述べてきた)。

90年代の半ばに河野談話とアジア女性基金による日本政府としての大きな方向性がでてから今日まで、慰安婦問題はゆれにゆれてきた。

慰安婦合意

20年間のゆれの後に成立した2015年12月28日の慰安婦合意は、安倍・朴両者が、それまでの主張から一定の譲歩をしたうえで歩み寄った勇気ある合意であり、関係者を驚かせるものがあった。

「慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からお詫びと反省の気持ちを表明する」と発表された安倍総理の言葉は、かつて安倍総理自身が批判してきた河野談話の文言を直接にひきつぐものであり、10億円の政府予算からの拠出は政府予算を使わなかったというアジア女性基金に対する挺身隊対策協議会(挺対協)の批判に直接答えるものだった。

他方今回の合意の実施をもって「この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」との韓国政府の態度決定は、韓国国内において発生しうる反発に照らせば思い切ったものであった。

しかしながら、政府間では約束したことを着実に実施すべきは当然として、問題がこれで消えたことを意味しない。傷ついた方々の感情がこれで完全に癒されたということにもなりえない。安倍総理の行った決断は、2015年8月14日の70周年談話における「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせない」ための行動であると言ってよいと思う。

しかしそのことは、とりもなおさずそこに、この決断以後、「私たち日本人は、世代を超えて過去の歴史に真正面から向き合い、…謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す」ために何をしなければいけないかが問われるという、安倍談話の最も重いメッセージが正面に現れたことを意味する(拙論『朝日新聞』2015年12月30日参照)。

こうした新たな責任のあり方を研究者が問うていく時期の到来を予期したかのように、朴裕河・世宗大学教授の『帝国の慰安婦』が出版されていたのである。

『帝国の慰安婦』

2013年8月に韓国語版が、2014年11月に日本語版が出版された『帝国の慰安婦』は、その勇気と覚悟をもって、多数の日本の読者を驚かせた。

第一に、慰安婦の証言を通じて、生命の危険にさらされる苛烈な戦線にいた慰安婦が、前線で戦う兵士との間に「共に戦う」という言わば「同志的」関係の下にあったという事実を、心理的・社会的な現象として本書の前半において生き生きと描き出している。

第二に、しかもその証言は、朴裕河氏自身が行ったインタビューに依拠するものは一つもなく、大部分は、挺対協自身が集めた膨大な証言集を丹念に読み解く中から選択されてきたものである。それは、著者自身が述べているように、慰安婦の状況の網羅的ないし全体状況の縮小的描写ではない。しかし、いかなる意味でも「捏造」とは言い得ないものであった。

第三に、けれどもここで語られる慰安婦の心理的・社会的実情は、これまで「制度的レイプ派」の人たちによって一貫してつくりあげられてきた、「日本軍ないし日本権力による純粋な被害者」という慰安婦についての固定観念を壊すものであった。更に、韓国人慰安婦の調達と慰安所の経営にあたり、韓国人社会の一部が参加してきた実態を慰安婦の証言の中から浮かび上がらせることによっても、「制度的レイプ派」が創ってきた固定観念に挑戦しているのである。

第四に、慰安婦支援として行われている様々な韓国内の「運動」に対する朴裕河氏の批判は呵責がない。挺対協が、初期の段階で挺身隊と慰安婦を混同したこと、アジア女性基金の真剣で善意を持った活動を韓国社会から遮断したことが述べられる。当初は7名、最終的には61名の女性がアジア女性基金の償い金をうけとっていながら、挺対協によって「非国民」として社会的に排除され、カミングアウトできない経緯も、当然にここに付け加えられるだろう(拙著『危機の外交』159ページ参照)。

現在も元「慰安婦」の一部の方々が共同生活を行う福祉施設「ナヌムの家」についても、ここは「完璧な被害者の記憶だけを必要とした空間だった」と、その運営者への批判は辛辣である(『帝国の慰安婦』145ページ)。

しかし最も鮮やかに描き出されるのは、「大使館前の少女像は、協力と汚辱の記憶を当事者も見るものもいっしょになって消去した<まったき被害者>としての像でしかない(『帝国の慰安婦』155ページ)」という慰安婦少女像に対する、厳しい批判であろう。

第五に、本書全体を読めば、これが、帝国という構造をつくり、その中に構造的な植民地をつくり、その中に構造的に韓国の女性をまきこんだ日本帝国とその植民地主義に対する鋭く本質的な批判の上に成り立っていることは明瞭である。「制度的レイプ派」に対する批判は強烈であるが、「公娼派」の議論にも全く与していない。

本書がこの問題に関心をもつ多くの日本人、特に「河野談話派」ともいうべき日本の「中道リベラル」の強い関心と支持を集めたのは、言わば当然のことであろう。

「制度的レイプ派」による批判

しかしながら、本書が、植民地時代の歴史において、韓国人が決して認識したくないこと、即ち、自らが植民統治と一体化した部分があったことを、慰安婦とその周辺に生きた人々と言う言わば最大の聖域に踏み込んで叙述している以上、その聖域をつくりあげてきた「制度的レイプ派」の朴裕河氏教授に対する批判は、激烈なものとなっていった。

2014年6月に彼らの支援の下に元慰安婦から①名誉棄損(刑事)、②損害賠償(民事)、③本の販売禁止等の仮処分(民事)の三つの訴訟が提起された。2015年2月③について一部敗訴(控訴)。同年11月18日に①について刑事起訴。2016年1月②について敗訴(控訴)。現在①の名誉棄損刑事裁判だけが進行中である。

2015年12月28日以降は、日韓合意が日本に法的責任と犯罪性を認めさせていないとしてその全面撤回を求め始めた挺対協他の「制度的レイプ派」の行動は、朴裕河教授の刑事訴追支持の運動と併行的な形をとるようになった。

「制度的レイプ派」たる日本のいわゆる左の論客が一斉にこの動きを支持し、日本語・韓国語・英語による発信を強化、その批判は、2015年11月26日朴裕河氏の刑事訴追に抗議して声をあげた54名(私を含む。本稿執筆の時点で67名、http://www.ptkks.net参照)の日米の言論人他、いわゆる「中道リベラル」派にも向けられている(http://fightforjustice.info/?lang=ko参照)。

しかしながら、この「制度的レイプ派」の動きについて以下の点をのべておかねばならない。先ず、「慰安婦の声をきかずに日韓政府が勝手に合意をした」という批判については、朴槿恵大統領が2016年1月13日の記者会見で、「外交省は各地で15回にわたり、関連団体や被害者と会い、多様な径路を通じて本当に何を望むか聞いた」という明確な反論を行い、挺対協もまた、少なくとも2015年の春頃から明らかに柔軟対応をとり始めていたという情報があるということである(拙著『危機の外交』160~161ページ参照)。

他方において朴裕河氏に対する名誉棄損についても、朴教授訴追の主先鋒となっているナヌムの家の安所長は二名の元慰安婦とともに2016年1月来日、衆議院会館での講演で、元慰安婦に対し本書の問題点を説明するために「抽出された百数十カ所の問題とされた箇所を何度も朗読した」と述べたというのである。作為的につくられた「名誉棄損」という罪状であるというのなら、韓国における言論形成について深刻な疑問をもたざるをえない。

おわりに

「制度的レイプ派」と「河野談話派」との間の溝は限りなく深い。

けれども、そのような対立と見解の相違は、歴史への真摯な対峙という立場を共有し、辛抱強い対話と相互理解への希求によって乗り超えるべきではないのか。

これこそ、法律上の犯罪としての「名誉棄損」によって一方の見解を排除することを、絶対にしてはならない問題と考えるべきではないのか。

韓国・日本・世界の心ある言論人は、更に心を尽くして、朴裕河氏の法的訴追と言う言論による暴力をやめさせるべく、一層声を大にするべきではないのか。

朴裕河氏の刑事訴追に抗議するリーダーであり、2016年4月28日、突然幽冥境を異にされた畏友若宮敬文氏を偲びつつ。

合掌

https://web.archive.org/web/20160730103909/http://www.huffingtonpost.jp/kazuhiko-togo/agreement-of-confort-women-problem_b_11063434.html
http://www.webcitation.org/6jNzU7WH3

パク・ユハ 鄭栄桓(チョン・ヨンファン)の『帝国の慰安婦』批判に答える — 2016年7月21日

パク・ユハ 鄭栄桓(チョン・ヨンファン)の『帝国の慰安婦』批判に答える

批判が向う地点はどこなのか? – 鄭栄桓(チョン・ヨンファン)の『帝国の慰安婦』批判に答える
2015-08-31 PARKYUHA.ORG

批判が向う地点はどこなのか? – 鄭栄桓(チョン・ヨンファン)の『帝国の慰安婦』批判に答える[1]

2015年 8月 31日 午後 4:50

鄭栄桓が私に対する批判を始めたのはずいぶん前のことだ。全部読んではいないが、彼が日本語のブログに連載した批判がSNSを通じて広がっていたので、一部読んだこともある。それに答えなかった理由は、まず時間的な余裕がなくて、彼の批判が悪意的な予断を急かすものだったからだ。

しかし、2月に私の本に対する仮処分判決が下されたとき、鄭栄桓の文章はハンギョレ新聞で私に対する批判として使われ、今は『歴史批評』という韓国の有力雑誌に掲載されるに至ったので、遅まきながら反論を書くことにする。

ところで、紙面を30枚(400字15枚)しかもらえなかった。わずか30枚で彼の批判に具体的に答えるのは不可能なことだ。幸か不幸か、また別の若い学者たちがほぼ同じ時期に『歴史問題研究』33号に「集談会」という形で『帝国の慰安婦』を批判したが、これに対する反論は100枚(400字50枚)が許されたので、論旨に関する具体的な反論はその紙面を活用することにする。

 民族とジェンダー

私が彼に初めて会ったのは、2000年代初め、私が最も関心を持っており、提案をしたこともあった日本のある研究会でだった。その研究会は日本の在日僑胞問題、沖縄問題など帝国日本が生み出した様々な問題に対する関心が高い場であったし、何より知的水準がとても高い場であったため、その存在を知ってからは機会があれば参加していた場であった。文富軾(ムン・ブシク)、鄭根埴(チョン・グンシク)、金東椿(キム・ドンチュン)などがその研究会で関心を持って招いたりしていた人々だった。

徐京植(ソ・キョンシク )もその研究会で非常に大切にされている存在であることがまもなく分かったし、私もまた彼に好感を持っていたので、彼と本を交換したりもした。ところが、私が在日僑胞社会の家父長制問題について発表してから、彼らの態度は変わった。徐京植は「ジェンダーより民族問題が先」だと露骨に話したこともあった。当時研究会のメンバーの中には、公的な場ではそう話す徐京植を批判しなくても、私的な場では徐京植を批判する人もいた。

いってみれば、徐京植、尹健次(ユン・コォンチャ)、そして今や鄭栄桓に代表される在日僑胞たちの私に対する批判は、基本的に「ジェンダーと民族」問題をめぐるポジションの違いから始まったのだ。興味深いことに、私に対して公式的かつ本格的に批判を行ったのはみんな男性の学者たちである。女性の場合は金富子(キム・プジャ)や尹明淑(ユン・ミョンスク)など慰安婦問題研究者に限られている。この構図をどのように理解するかが私と彼らの対立を理解する第一のヒントになるだろう。韓国で徐京植から始まった私に対する批判に加勢した学者たち―李在承(イ・ジェスン)、朴露子(パク・ノジャ)、尹海東(ユン・ヘドン)など―もみんな男性の学者であった。(もちろん、女性の学者、または女性学専攻者たちの中にも訴訟に反対したり、私に好意的に反応したりした人は極めて少なかった)。

後でまた書くだろうが、彼らの批判は約束でもしたかのように、私の論旨が「日本を免罪」するという前提から出発している。鄭栄桓が繰り返し強調するのもその部分だ。

 戦後/現代日本と在日僑胞知識人

鄭栄桓も言及したように私に対する批判は、10年前に書いた『和解のために』の刊行後から始まった。初めて批判したのは、挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)に関与した在日僑胞女性学者の金富子であった。少し経って、尹健次、徐京植は「詳しいことは金富子に任せて…」と言いながら極めて抽象的な批判を始めた。それにもかかわらず、金富子にも、徐京植にも、私は先に言及した研究会で知り合いになったために親しみを感じていたし、時間が経って私の本をもっと読んだら、理解してくれるだろうと思った。それを期待しつつ、その頃に出た『ナショナル・アイデンティティとジェンダー』を送った。

後日、私が反論を書くようになったきっかけは、徐京植がある日ハンギョレ新聞に載せたコラムだった。私を高く評価した日本のリベラル知識人が、私を利用して自分たちがしたい話をしているのだと彼は書き(「妥協を強要する和解の暴力性」、2008/9/13ハンギョレ新聞)、翌年、私に対する批判を含んだ尹健次の本がハンギョレに大きく紹介されたときだった。

当時、金富子などの批判に同調して批判したのはごく少数の日本人だったし、広がることはなかった。もっとも彼らが韓国で私への批判を始めたことに、私は驚かずにはいられなかった。なぜなら『和解のために』は刊行されて3年も経っていたし、彼があえて批判しなければならないほど韓国で影響力があった本ではなかったからだ。

そんな私の本を、彼らが韓国という空間で突然批判した理由を私はいまだ正確には知らない。問題は、徐京植が目指したのが現代日本の「リベラル知識人」(進歩知識人)だけでなく、彼らが築いてきた戦後日本に対する批判だったという点だ。日本のリベラル知識人たちは、実は植民地支配に対して法的責任を負いたがらないという彼の根拠のない推測は、その後韓国リベラルの日本不信に少なからず影響を及ぼしただろうと私は考えている。

ところで、私はこのときに反論を日本語で書いて日本のメディアに発表した。金富子の論文が載せられたのは日本のメディアだったからだ。ところが2年後の2009年の夏と冬に、ハンギョレ新聞の韓承東(ハン・スンドン)記者が尹健次教授の本の紹介に「日本の右翼に絶賛された『和解のために』を批判した本」だと書くという事態が起きた。韓国で「日本の右翼に絶賛」されるということがどんな波乱を起こすのか知らない人はいないはずだ。私はこの歪曲報道に接して驚愕した(これに関する経緯については『帝国の慰安婦』のあとがきにも書いた)。

 知識人の思考と暴力

徐京植の考え方(戦後日本と現代日本の知識人に対する批判)が彼の人気とあいまって韓国で確実に根を下ろしたという証拠は、2014年6月、私に対する告発状に徐京植の考え方(私が語った「和解」と赦しをあたかも日米韓の国家野合主義的思考であるかのように片付けてしまう思考)が書かれていたという点だ。私はそのとき、言論仲裁委員会に行かなかった私の5年前の選択を初めて後悔した。

すなわち、私に対する告発は、直接的にはナヌムの家という支援団体の誤読と曲解から始まったのだが、実は彼らをそうさせたのは裏で働いていた私に対する警戒心だった。そのような警戒心を作り、また見えないように支援していたのは知識人たちだった。私に対する最初の告発は、慰安婦についての記述が「虚偽」だという内容だったが、私が反駁文を書くと、原告側は途中で告発の趣旨を変えて私の「歴史認識」を問題にした。一連の過程において、自分たちと異なる不慣れな考え方は無条件に排斥し、手っ取り早い排斥手段として「日本の右翼」を持ち出したという点で知識人も、支援団体も変わりはなかった。

韓国の革新陣営で流通していた徐京植と尹健次などの本が、私についての認識を「日本を免罪しようとする危険な女性」と見做す認識を拡散させたと私は考える。もちろん慰安婦問題を否定し「日本の法的責任を否定」するというのが理由だ。

徐京植や尹健次は、私の本が日本右翼の思考を「具体的に」批判した本でもあるという点を全く言及せず、ただ「親日派の本」として目立たせたがっていた。

彼らの他にも私が知っている限り、私の本以前には慰安婦問題に対する否定派の考え方を具体的に批判した人は殆どいなかった。韓国や日本の支援者たちは慰安婦問題に否定的な人々に対しては頭ごなしに「右翼!」という言葉で指差しており、金富子が私に対して「右派に親和的」という言葉で非難したことはその延長線上のことだ。

それに比べれば鄭栄桓はそれなりにバランスを取ろうと努めており、その点は一歩進んだ在日僑胞の姿ではある。しかし、鄭栄桓は私の「方法」が何か不純な意図を持ったものに見せかけようとする方法を使っている。本全体の意図と結論を完全に無視し、文脈を無視した引用と共にフレームアップして「危険で不道徳な女性」と見せることが彼の「方法」だ。そのために私の本が結論的に「日本の責任」を問う本であるということは、どこにも言及されない。彼らは日本に責任を問うやり方が自分たちと異なるということだけで、私を非難しているのである。

それは多分、鄭栄桓が紹介した通り、彼らが20年余り守ってきた思考の強大な影響力が揺らぐ事態を迎えたためかもしれない。彼はそうした情況があたかも日本が責任を無化させる方向へ進んでいるかのように言っているが、それは鄭の理解でしかない。この数年間、慰安婦問題に極めて無関心だった日本人たちが、そして少女像が立てられた2011年以後に反発し始めた日本人たちが、私の本を読んだ後、慰安婦問題を反省的に見直すことができたと語ってくれている。

先日私は偶然、徐勝(ソ・スン)/徐京植兄弟に対する救命運動を20年以上してきたという日本人牧師の夫人が、慰安婦問題解決運動会の元代表だという事実を知った。直接的には関係がないように見えた徐京植も実際には慰安婦問題関係者と深い関係があったわけだ。私があえてこの文章で徐京植について言及する理由は、鄭栄桓が『和解のために』を批判した際、徐京植の批判を持ってきたからだ。『和解のために』に対する批判に出た人たちはほとんどが慰安婦問題に関与してきた人たちだったが、徐京植もまたそのような「関係」から完全に自由ではなかったわけである。私に対する徐京植の批判の論旨が告発状にそのまま援用されていたことを指摘したのは、「知識人の責任」を問うためであったが、ひょっとしたら彼の論旨自体、「無謀な」支援団体以上に、現実的なポジションと人的関係の影響から出たものかもしれない。

彼らの論旨は構造的に敵対と「粛清」を要求する。支援団体が国家権力を前面に出し私を告発したのはその結果でもある。私に対する糾弾を通じてあらわになったそうした彼らの方式と思考の欠陥がどこにあるのか、今後私はもう少し具体的に語っていくつもりだ。彼らのやり方が20年以上平和をもたらすこともできず、不和を醸してきた理由がまさにそのような思考の欠陥にあるからであり、それでは未来の平和も作ることができないからだ。

 批判とポジション

彼らは「戦後日本」を全く評価しない。そしてそのような認識が韓国に定着するのに大きく寄与した。

端的にいうと、良し悪しにかかわらず2015年現在の韓国の対日認識は、彼ら在日僑胞が作ったものと言っても過言ではない。もちろん彼らと連帯して20年以上「日本は軍国主義国家!」と強調し、「変わらない日本/謝罪しない日本/厚かましい日本」観を植え付け、2015年現在韓国人の7割が日本を軍国主義国家だと思い込ませた、挺対協をはじめとする運動団体の「運動」と、彼らの声をただそのまま書き取り続けてきた言論も少なからず役割を果たした。

彼らは、朴裕河は「日本(加害者)が悪かったのに韓国(被害者)が悪かったと言う」と、私が批判したのは「韓国」ではなく少女を守らなかった村共同体や、育てていながら売り飛ばした里親であり、そうしたことを許した思考である。鄭ほか批判者たちは私が日本を批判しないかのように人々に思い込ませたが、私が彼らの日本観を批判しながら指摘したかったのは、まさにそのような不正確でモラルを欠く「態度」であった。

私は彼ら在日僑胞が日本を批判するなら、自分たちを差別しないで教授に採用した日本についても言及した方が公正だと思う。金石範(キム・ソクボム)という作家が20年以上『火山島』を一つの文芸紙に連載して生活が可能になったのも戦後/現代日本でだった。

決してその変化が早いわけでもなく完璧であるわけでもないが、日本社会は変わったし、変わりつつある。それでも決して見ないようにしてきた葛藤の時間の末に、現在の日本はまさに私たちが知っているような姿に回帰中であるようにも見える。誰がそうさせたのか。関係というのはおおむね相対的なものである。

私が『和解のために』で話そうとしたのはそういったところだった。その本は2001年に教科書問題が起きて初めて、日本にいわゆる「良心的な知識人と市民」が存在するということをようやく知ったほど、戦後日本についての知識が浅かった10年前、韓国に向けて先ずは戦後日本がどんな出発をし、どんな努力をしてきたかを知らせようとした本だ。私たちの日本についての認識は、実は転倒した部分が少なくないと。

相手を批判するためにはまず、総体的な日本を知ってから行うのが正しい。それでこそ正確な批判ができるのではないだろうか。ところが様々な理由で私たちには総体的な日本が知らされていなかった。私は鄭栄桓の言うように日本のリベラル知識人が話したがっていたのを代弁したわけではなく、総体的な日本についてまず知らせようとしただけだ。否定的な部分を含めて、である。それはそうした作業に怠慢だった韓国の日本学研究者の一人としての反省を込めた作業だった。徐京植の批判は、私にはもちろんのこと、日本の革新・リベラル知識人に対する侮辱でしかない。

徐京植の批判は、私たちにようやくその存在が知らされた日本のリベラル知識人を批判からすることで、戦後/現代日本に対する信頼を失わせた。

もちろん日本に問題がないと言っているわけではない。問題は彼らの批判が決して正確ではないという点だ。しかも、日本がさらに変わるためにはリベラル知識人との連帯は当然必要である。それなのに、彼らを敵に回して鄭栄桓は誰と手を組んで日本を変化させようとしているのだろうか。徐京植や鄭栄桓の批判は、極めてモノローグ的だ。モノローグでは相手を変化させることはできない。

私は政治と学問、一般人と知識人に対する批判において「違い」を意識しながら書き、話す。鄭栄桓ら私を批判する学者との最も本質的な違いは、おそらくこの点にある。つまり、私は夏目漱石を批判し、彼をリベラル知識人として祭り上げた日本の戦後知識人と現代知識人を批判したが、それはそれくらい知識人の責任が大きいからだ。知識人の思考はときに政治を動かすこともある。しかし、ただ普通の生活を営むだけの一般人に対する批判は、その構えを異にするべきだというのが私の考え方だ。これが私の「方法」だ。モノローグよりダイアログの方が、論文においても実践においても生産的な「方法」になり得る。

 「日本の謝罪」を私たちはどこで確認するだろうか。

首相や天皇がいくら謝罪したところで、国民同士が同じ心情を持たなければ、日韓の一般人たちは最後まで疎通できず、不和にならざるを得ない。私たちは天皇や首相と対話するわけではないからだ。

日本の90年代は確かに曖昧だったが、日本政府と圧倒的多数の国民が謝罪する心を持っていた時代だった。私がアジア女性基金を評価したのはそのような政府と国民の心が込められたものだったからだ。批判者たちはそのような日本政府の謝罪と補償を「曖昧」だと非難したが、鮮明さ自体が目的である追及は、正義の実現という自己満足をもたらしてくれることもあるが、大慨は粛清につながる。当然、生産的な言説にもならない。実際に私に対する告発がそれを証明した。

「告発には反対するが…」と前置きしながら私を批判した人たちの中で、誰も実際に訴訟を棄却させようと行動に出た人はいなかった。批判者たちは韓国政府と支援団体の考え方と違った意見を述べるという理由で、彼らが私を抑圧することを当然視し、批判に乗り出すことで私への抑圧に加担した。学問的な見解を司法府が道具と使うように放っておいたり、自ら提出したりした。ところが、歴史問題に対する判断を国家と司法府に依存する行為こそ、学者にとっての恥辱ではないだろうか。私はそう思う。だから惨憺たる心境だ。(『歴史批評』112号、2015・8)

[1] 『歴史批評』に最初この文章を先に送ったが、具体的な反論ではないという理由で掲載されなかった。他の文書に差し替えたが、この文書の方がより重要だと今も考えている。『歴史批評』112号に掲載した文章とは多少重なる部分がある。その文書で私が言及した鄭栄桓の問題は、他の男性学者の書評や論文にもおおむね見受けられる。これについては「東アジアの和解と平和の声」発足記念シンポジウム文(「記憶の政治学を越えて」、2015・6)でも、その一端を指摘したことがある。そしてこの問題については今後もまた書くつもりだ。

出典 : 朴裕河 フェイスブックノート
https://web.archive.org/web/20160630231843/http://parkyuha.org/%E6%89%B9%E5%88%A4%E3%81%8C%E5%90%91%E3%81%86%E5%9C%B0%E7%82%B9%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%8B-%E9%84%AD%E6%A0%84%E6%A1%93%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A8/

米国の学者は支援運動側に関心を持ってきたので — 2016年5月24日

米国の学者は支援運動側に関心を持ってきたので

「米国でこの問題に関心を持っている方は(支援)運動側に関心を持ってきたので、私の議論には批判的なのだろう」

——————————-
「帝国の慰安婦」著者がワシントンで講演 「政府の声を唯一とするな」 学術的立場から冷静な議論を

・・・慰安婦問題で日本を糾弾してきた米コネティカット大学のアレクシス・ダデン教授は慰安婦問題を「日本による国家的な性奴隷制度」とし、日本政府が韓国政府に慰安婦像の撤去を求めていることを非難した。また、昭和天皇の戦争責任にも言及した。

 朴氏はシンポジウム後、記者団に「米国でこの問題に関心を持っている方は(支援)運動側に関心を持ってきたので、私の議論には批判的なのだろう」と指摘。学者同士の議論がより重要になると強調した。

https://web.archive.org/web/20160112101111/http://www.sankei.com/world/news/160112/wor1601120065-n1.html
https://web.archive.org/web/20160112104944/http://www.sankei.com/world/news/160112/wor1601120065-n2.html

パク・ユハvsアン所長 — 2016年4月15日

パク・ユハvsアン所長

FB2016.1 https://web.archive.org/web/20160414220547/https://www.facebook.com/parkyuha/posts/1278071235553121

朴 裕河さんが北原 みのりさんの投稿をシェアしました。
1月26日 ·
日本語使用の方々へ
ナヌムの家の所長が裁判背景について話した、事実に反する発言を北原みのりさんがFacebookに書いていらっしゃることを教えてもらいました。共有できないので転載します。
どなたでも、共通の友人の方は(Masanori Seki),
この文章を北原さんに伝えていただければ幸いです。
———
とりあえず簡単に記します。
1、会う前の、電話をめぐる話は嘘です。
最初は解決方針を聞きたいと考えました。訪ねていった時に事務局長に会え、挺身隊問題対策協議会と異なる路線(法的責任、立法など要求する代わりに補償金を求めて調停へ持っていく裁判をする)を追求していると聞いたのでさらに話をしたいと思っただけです。
所長と交わした電話メッセージも残っています。必要なら追って公開するつもりです。
そして次の年の4月(2014/4)に私は日本学研究者など有志と一緒にそうした声を出す「慰安婦問題、第3の声」というタイトルのシンポジウムを開きました。そしてそれまで外に出ることのなかったおばあさんたちの声をその時出したところ、日韓のメディアの注目を浴びました。支援団体は異なる声が出ることを恐れたと考えます。
2、NHKは、本が出た直後から(2013/8)私の本が韓国のメディアで受け入れられたことに関心を持ち、どのようになるのかを記録したいと言ってきました。その後私の授業に来て学生の話を撮ったり、本に関する動きを撮り続けていました。
ナヌムの家に行く(2013/12)時NHKがいっしょだったのは、慰安婦の方に会いたいと言ってたし、慰安婦問題に関する動きは何でも教えて欲しいと言われていたので知らせた結果にすぎません。
私は訪ねることを事前に通知しました。しかし安所長からの返事はありませんでした。初めて会う時NHKの人がいたのは、年初めのNHK会場の発言もあってナヌムの家にとっては印象が悪かったはずですが、記者本人は慰安婦問題解決に寄与したいと願っていた人です。
そして一緒に、あるハルモニの話を聞いたので、映像を撮らせて欲しいとお願いしたまでです。しかし安所長は拒否し、その場では撮れませんでした。しかも職員が部屋の中で話している私たちを頻繁に覗きに来てました。ほとんど監視体制でした。
そしてその方は2014年6月に亡くなりました。この経緯は同時的にFacebookにも書いたことがあります。私が告訴されたのはその1週間後です。
3、告訴の直後、私は交流のあった別のもと慰安婦の方二人と電話で話しました。そのうち1人は電話をかけてきました。
おばあさんたちは「強制連行していないと書いたんだって?!」「ソウル大教授5人があなたの本を悪いと言ってた」「あなたを(刑務所に)入れるべきだとおばあさんたちが言っている」と言いました。
知っておいていただきたいのは、ロースクールの分析であれ(酷い誤読に満ちた、読解でした)、「ソウル大5人」であれ、「ナヌムの家の所長」であれ、「代弁者の読解」から告訴が始まったと言うことです。
(この本にはおばさんたちの惨状を書いたところもたくさんあります。それをハルモニたちが聞く機会はきっとなかったことでしょう)
こうしたことをぜひ認識していただきたいと思います。
こうした、嘘が含まれている文章をシェアするのは即やめていただければと思います。
/web/20160414220547/https://www.facebook.com/minorikitahara/posts/1170462949645676

北原 みのり
1月26日 ·
衆議院議員会館で行われた「 2016 ナヌムの家のハルモニを迎えて 今伝えたいこと」の簡単なレポート。

89歳の姜日出(カンイルチュル)ハルモニ、90歳の李玉善(イ・オクソン)ハルモニお二人がいらっしゃった。

最初にナヌムの家の安所長が、年末の「合意」をハルモニたちと見ていたテレビで知ったことをお話になった。
安さんが話している最中、最前列の席に座っていた姜日出ハルモニが「私たちは知らなかったんだ」と300人は入る大会場に響く声で、叫ばれた。
癒えない怒り、まだこの方達をこれほど苦しめるのかとやりきれない思いになる。

その後に、ハルモニ二人がお話された。
李玉善ハルモニは「慰安所は人を殺す、ブタや牛のように殺す、死刑場だった」と。一日40人から50人の男の相手をさせられ、抵抗すると殴られ、そのために死ぬ人もいた、とお話になった。
李玉善ハルモニは、今も頭部に残る傷を見せて下さった。「抵抗してつけられた傷」「私は人間です。私は人間なのに日本によって連行された。(しかし日本は)このような問題を解決せず、私が何故このような場にこなければいけないのか。私は本当に怒ってます」とマイクが必要ないと思われるような、大きな、明確な声で怒りを表明された。

年末の「日韓合意」。まるで日韓関係の新しい幕開け!みたいに大手メディアは歓迎ムードだった。それはまるで「慰安婦」問題が、日韓関係のお荷物で、ようやくそこから解放されたかのような安堵も含まれているようだった。日本社会における、性被害者に対する視線の鈍感さが、こういう時に露呈するのだな・・・と実感するような「明るさ」だったと思う。
その報道の陰に、怒りと悔しさに叫んだ女性たちがいること。そして韓国の市民社会が「合意の白紙撤回」に向けて動き出そうとしていること。日本社会は向きあわなくてはいけないのだと思う。というか、今こそ、韓国と日本の市民でつながれる時でしょう! 反アベ、反パククネで。

最後に、安所長が「帝国の慰安婦」の著者である朴裕河さんを訴えた経緯についてお話になった。「帝国の慰安婦」を刑事告訴した経緯がよく分かるので、テープ起こししました (通訳は梁澄子さん)。ちょっと長いのですが、読んでいただけたら嬉しいです。

「2013年12月頃、突然朴裕河さんから電話がありました。
挺対協に反対する声をあげるべきだ、と言われたので、私は 挺対協と一緒に被害者の人権回復のために闘っているのに、なぜそういうことを私に言うのですか? と聞きました。
その次に(朴さんが)何を言ったかというと、『急いで言いたいことがあるから、世宗大学(朴氏の勤め先)に来てくれ』と言われました。私も都合がつかないので、そちらがナヌムの家に来て下さい、とお伝えしました。
そうしてある日突然、事前の連絡も、許可もなく、一人でもなく、NHKを一緒に連れて来たんです。NHKを何故連れてきたかと聞くと、朴裕河さんがハルモニたちと会うところを撮影したい、と言われました。それならば事前に連絡をするべきだと言うと、NHKの記者はさらに『朴裕河さんがナヌムの家でボランティア活動をしている姿を撮りたい』と言ってきました。私は『(朴裕河さんは)今までボランティア活動をしたこともないのに、どうやって撮るのか?』と言って、その日は撮影させませんでした。

そういうことがあったので、私は初めて『帝国の慰安婦』を二回読んだのです。
韓国で『帝国の慰安婦』が出版されたのは2013年7月だったと思いますが、当時は読む必要がないと思っていました。タイトルが『帝国の被害者』ではなく『帝国の慰安婦』ということで、これはハルモニを侮辱する本だと思ったので読まないつもりでいたのです。それでも(先のようなことがあったので)、抗議するためには朴裕河さんの本を読まなければいけないと思い、二回読みました。

その本を読んでみましたら、朴さんは(百数名の慰安婦たちによる)6冊の証言集を引用しているのですが、私が読んだ証言集の印象とはまるで違うと感じました。
しかし私はハルモニたちとは、ふだんから支援をする立ち場で読んだので、第三者の目で読んでもらった方がいいと考えて、パク・スナさんというロースクールで教えている方にこの本を読んでみてほしいと、渡しました。そこでロースクールの学生7人が分析し、非常に問題だという項目が100数項目、抽出されました。

それから私たちはハルモニたちにこの本を読んであげました。ハルモニたちは直接本を読めませんので、私たちが何度も何度も本を読んでさしあげました。
それを聞いたハルモニたちは、「私たちは被害者なのになぜ 売春婦と書かれているのか?」「日本軍に対して精神的な慰安/肉体的な慰安を与えた、というのはどういうことか?」「日本軍の同士、妻、協力者等と書いてあるのは全く理解できない。これは人権侵害だ」と仰いました。

これほどハルモニたちが怒っているのであれば、このままほっておいてはいけないと思いました。ハルモニたちには家族がいる方もいますが、法的な措置をとれる人がなかなかいない、お金もかかる、ということで、私たちのナヌムの家がお手伝いして、さきほどのパク・スナさんは漢陽大学のロースクールで教えているのですが、漢陽大学のロースクール が裁判費用を出して、この裁判をおこすことになりました。

はじめは、私たちは出版差し止めの仮処分申請だけをやろうと思いました。
なぜなら、韓国でも表現の自由は出版物に対して厳格に保護されますので、出版差し止めの仮処分だけをやろうと思いました。
名誉毀損でやろうと思っても、なかなか普通は刑事起訴ということには至りませんので、韓国でも。
しかしその後も、朴さんはハルモニたちとの関係について嘘を言うんです。これを聞いているうちに、これではだめだ、と。私たちが取れる法的措置は全部とらねば、朴裕河さんをおさえることはできない、と考えたのです。

そこで、3つの裁判を同時に起こしました。
一つは、出版差し止めの仮処分とハルモニたちに対する接近禁止。
もう一つは民事訴訟、名誉毀損による損害賠償を求める民事訴訟。
もう一つは名誉毀損による、刑事告訴です。
2014年6月17日に一度におこしました。

この出版差し止め仮処分に関する裁判は4回開かれました。原告のハルモニたちは四回全部出席したのですが、朴裕河さんは一度も参加せず、そういう形で被害者を無視しました。それでですね、裁判所の方も、販売禁止にはしていません。ただし、この本の中の34箇所の部分に関しては、このまま放置したのであれば、ハルモニたちの名誉を傷つけるということで、34箇所を削除しなければ、販売することも、また広報することも許さないという決定を出しました。
ところが、朴さんはこういう決定を受けながらも、34箇所だけを伏せ字にし、こういう部分が削除命令を受けたのだということをわざと出すような形で、新たに出版しました。そしてそのような法的な争いがある最中に、日本語版も出してしまったんです。
それに対してハルモニたちは大きく怒って反発されました。日本での出版というのは、裁判が終わった後でも充分にできるはずなのに、裁判中に出すということは法を無視していると仰いました。

それから刑事告訴についてですが、刑事告訴には対質尋問というのがありまして、一対一で被告と原告が両方に質問をするという、そういう制度があるのですが、これが二回あったのです。ナヌムの家からは柳喜男(ユ・ヒナム)ハルモニがそれにわざわざ出ていかれたのですが、朴裕河さんの方が拒否されたんです。
この刑事裁判というのは、起訴するかどうかというのは、一ヶ月くらいで決まるのですが、この事件には検察が悩み一ヶ月半かけて、2015年11月18日に在宅起訴になりました。虚偽事実流布の罪、ということです。

日本では、朴さんが、表現の自由を抑圧されている被害者で、検察が国家権力を使って朴さんを起訴したと思っている方が多いのですが、検察が自発的にやったわけではなく、ハルモニたちの刑事告訴に答え検察が捜査した結果として在宅起訴になったということです。法の保護を受けているのは、朴裕河さんの方です。

(先日)民事訴訟の判決が出たのですが、一人あたり3千万ウォンを要求していましたが、一人1千万ウォンの勝訴判決を受けました。
勝訴判決の中で、法律用語にない言葉が出てきます。裁判官が「全ての証拠をみて、朴さんの書いた内容は衝撃だ」と。「衝撃」、という言葉は法律用語では普通でないのですが、どれだけ人権侵害が酷いのか、ということを裁判官が表したのだと思います」

パク・ユハの反論 — 2016年4月5日

パク・ユハの反論

「慰安婦」強制連行、『帝国の慰安婦』著者の朴裕河教授の反論

2016.02.12 ハンギョレ日本

法的責任のドグマから抜け出ねば

 去る1月23日、『ハンギョレ』に「慰安婦、日本陸軍が主体となった典型的な人身売買であった」((キル・ユンヒョン記者・日本語版URLは下の関連記事を参照願います)というタイトルの記事が載った。 確かに朝鮮人慰安婦動員はいわゆる「軍人が連れていった物理的強制連行」ではなく「人身売買」の枠組みのなかでのことだった。実際、学界ではもはや「軍人が強制的に連れていった」というような議論はしていない。日本の強制性とそれに伴う法的責任を立証したがる学者たちの論議は、せいぜい移送時に日本軍部の船で移送したから日本国家の責任であるとか、騙されてつれて来たのを黙認したから犯罪である、という程度の議論である。

 そうした事実がこれまで韓国社会に広く知られてこなかったのは、関係者たちがその部分について社会に向けて明確に言ってこなかったからである。また一方では強姦は存在したが、慰安所での性関係が基本的には対価が支払われた関係だったことも、学者ならば誰でも知っている事実だ。よって慰安婦問題をめぐる「混乱と不信」は、キル・ユンヒョン記者が主張したような「簡単で中立的な言語の提示に失敗」したからではない。2014年8月に『朝日新聞』が過去の「強制連行」記事の内容を公式的に取り消し、修正して以降、似たような発言をする韓国人学者や言論、あるいは支援団体関係者たちがいなかったからである。

混乱の原因

 にもかかわらずこの記事は、「慰安婦充員の主体は日本陸軍」であることを「揺るがない事実」であると強調する。だがそれは大げさに強調しなくても、すでに日本が認めたことだ。もちろん私もまたその事実を否定したことはない。だが朝鮮人慰安婦は「日本軍の指揮下に詐欺やだましで強制連行」したものではない。業者にさまざまな便宜を与えたが、日本の軍部は「詐欺とだまし」は公式的には禁止した。「婦女売買条約が朝鮮に適用除外」されたことは事実であるが、詐欺性の募集を禁止せよという「内務省警保局長の通牒」は朝鮮半島では発見されていない事実は、ただちにあらゆる詐欺を許容したという話にはならない。朝鮮でのみ犯罪が許容されたであろうとの想像を根拠に、私の本を「結局は虚妄」であるというこの記者の主張は、私の本を歪曲し全国民を誤導する。
 長崎警察署文書には「前借金」を軍部が支給したという話はどこにも出てこない。文書には「紹介手数料を軍部が支給」(ママ)すると書いてあるが、この部分を取り上げてキル記者は「日本軍部が主体となり前借金をえさに女性たちを二年間の性売買に従事させる典型的な『人身売買』を施行」したと書く。だが文書にはどこまでもそうした「言葉」(ママ)を「売春業者がふれまわっている」(ママ)と書いてあるだけだ。売春業者が女性たちを募集した事実が「日本の警察にも衝撃的に受け取られた」のは、軍が「人身売買を主導」したからではない。警察はただ軍が女性たちを業者を通じて募集した事実に驚いただけだ。

 内務省が「警察の反対意見が相次ぐと当惑」し、朝鮮で募集し始めたとの話を証明する文言もどこにもない。婦女売買条約に関する国際条約(ママ)が朝鮮や台湾では「留保」されたという金富子教授の指摘は参考にしなければならないが、それがただちに「売春業に従事したことがない性病のない女性を植民地である朝鮮や台湾から大量に募集して慰安婦とした」という話になるわけではない。中国渡航に関する「通牒」が他には存在しない理由も、朝鮮人の中国移動は船ではなく汽車で移動できる場所であったためと見ねばならない。

 また、慰安婦を連れていった者が「剣を帯び、帽子をかぶった」「日本軍人」に見えたとしても、それが必ず日本の軍人であったわけではない。キル記者が引用した安秉直教授もいうように、日本軍は業者を軍属待遇し彼らに軍服を支給した。よって「結局、朝鮮での慰安婦動員は日本とは異なり性売買の経験のない未成年女性が多く、その手法も当時の日本の刑法の基準からみても犯罪といえる就業詐欺が大部分」だと断定できるわけではない。自ら行ったり、少女が属した共同体が知っていながら送り出したケースもまた少なくないからだ。日本政府は業者の便宜をはかったが「管理」は管理監督の意味が強く、業者が慰安婦を搾取しないようにした。

「法」の限界

 キル記者の記事が結論として引用した永井教授はこう書く。「軍から慰安所を委託された民間業者や依頼された募集業者が詐欺、誘拐によって女性を慰安所に連れてきて働かせた。」(ママ)そして「慰安所の管理者である軍がそれを摘発せずに、事情を知ってもなおそのまま働かせたような場合には、日本軍が『強制連行』を行なったと言われても、抗弁のしようがない。そのような犯罪の被害者である女性が、自分は日本軍によって『強制連行』されたと感じても不思議ではないからである。」(『世界』2015年9月号)

 この箇所は「強制連行」だと主張した文章ではない。むしろ詐欺・偽計の主体は「業者」であるといっている。ただ軍が知っていながら処罰しなければ、強制連行と感じうると言っているにすぎない。日本の軍部は当時むしろ業者が詐欺で連れてこないよう契約書を書くように確認した(女性のためのアジア平和国民基金編『「従軍慰安婦」関係資料集成』2)。もちろん契約書を書いたから問題がないという話ではない。「契約」という名の「法」の存在はむしろ人間を拘束する。

 同様にただひたすら国家賠償を立証し法的責任を問うために強制性を主張しようという発想は、法の外で行われたことに対しては加害責任を問えないという自家撞着に陥ることになる。「法」とは国家システムの中心にある者たちが作ったものであり、国家システムは近代以降いつでも男性中心主義的だった。重要なことは強制性の有無や国家賠償の有無ではなく、軍隊のために女性が必要であると考えた軍部の発想が、いかに女性たちを残酷な状況に追い込んだかである。強制連行論はもちろん人身売買論も「法的」責任にのみこだわる限り、法を犯さない空間では無力になるほかない。

「性奴隷」の主人は誰か

 植民地警察は当時横行した詐欺や誘拐を基本的には取り締まった。日本本土でなされた国民への法的保護は全く同じではないとしても、植民地でもなされた。植民地の女性たちだけが詐欺や拉致に露出するほど、「植民地警察」が不道徳であったというのは、90万近い「植民地日本人」の存在を認識できていない発言だ。植民地警察は「抱主たちの涙も人情もない行為に対しては当時の警察も憤りを感じ、その署では再び転売したところに紹介して最後まで救う方針で努力」した。また警察は「女性を凶悪な抱主の手から再び北支へ売り飛ばされる前にそれこそ危機一髪」(『毎日申報』、日帝強占下強制動員被害真相究明委員会、『戦時体制期朝鮮の社会相と女性動員』から再引用)直前に救助しもした。

 もちろん朝鮮人を含む植民地警察が植民地人に過酷ではなかったという話ではない。だが彼らもまた「法」に反することを取り締まる程度の仕事はしたし、女性たちの慰安所行きを防ごうと努力した痕跡も見える。帝国日本の軍部と業者はいつでも共犯だったわけではない。騙されて慰安所に来た場合、軍部が他の場所に就職させたケースはそれを示している(長沢健一『漢口慰安所』)。あるいはあまりに幼ければ帰しもした(『帝国の慰安婦』)。この二つの事実は、軍部の基本方針が詐欺や拉致性の人身売買を許容しなかったことを示している。植民地警察は契約書を書くよう業者に指針を下し、慰安婦となる当事者たちにも、渡航許可願を提出するようにした。このような「契約」という罠にしばられた慰安婦が「廃業」をするのが難しかったのは、彼らが身代の所有者である「業者」の奴隷だったからである。

 業者には日本人も多かった。特に規模が大きい遊郭などはむしろ日本人業者多かったようにみえる(西野瑠美子ほか『日本人「慰安婦」愛国心と人身売買と』)。国家政策に協力し経済/利潤を追求した中間階級の問題をみなければ、慰安婦問題の全貌をみたとはいえない。そして私たちは、いまだ男性の責任はもちろん、貧困階層を搾取する者たちの責任を問うたことがない。日本という民族主体と他の主体の責任を問うことを、ただ日本の責任を稀釈させるものとのみみなす主張は、階級と男性の責任を隠蔽する。

同志的関係/帝国の責任

 「韓国人はいつも貧しかったから、花盛りの娘たちを承諾のもとに金を稼がせたんだ。その時の金で五十円や百円もらえれば、期限は五年期限だか三年期限だかというように。戦争や日本人にやられた人たちが実際には多いよ。自分が金を稼ぐために行った人は多いって」(『強制的に連れていかれた朝鮮人軍慰安婦たち』5)という証言は、長らく埋もれてきた。「自分が金を稼ぐため」に行ったことをみることは、「満州の話は私は誰にもいわない。恥ずかしくて…家にきて質問されれば、やられたことだけ話してあげるよ」(『強制的に連れていかれた朝鮮人慰安婦たち』4)というように、自己検閲した証言が稀釈されることだと考えたためだ。

 しかし「韓国人はいつも貧しかったから」というこの証言ほど「帝国の支配構造」を明確に語った証言はほかにないだろう。ところが一つの声に一元化された20年の歳月のなかで、「強制連行は無かったと思う」と語ったお婆さんは、ただの一度もその言葉を公衆の前でいうことができないままこの世を去った。そしてこのお婆さんが亡くなると、支援団体はすぐに「お婆さんは国家賠償を願っていた」とインタビューで語ったことがある(2014年6月、ナヌムの家所長)。私はこうした人々の声を復元しようとしただけだ。強制であれ自発であれ、あるいは売春経験があろうがなかろうが、私は彼女たちを被害者であると考えた。

 『ハンギョレ』記事は朝鮮人慰安婦を「性売買経験がない」無垢な少女といいたがるが、こうした発想は少女ではない成年/売春女性たちを排除する。ところがこの記事にも出てきたように、慰安婦募集は30歳まで許容されていた。30歳の売春婦は被害者ではないのだろうか。1970年の『ソウル新聞』には「花柳界女性」もいたとはっきり書いてある。慰安婦を「少女」と考えたがることは、植民地を汚点のない「純潔な少女」と表象したい欲望が仕向けることだ。何より「未成年の少女」に対する執着は、むしろそれとは異なる慰安婦たちを抑圧する。

 私が「同志的関係」という用語を使ったのは、「ほかは違っても日本は北朝鮮と韓国にはあげなきゃだめだ。台湾までも理解できる。あそこも姓と名も日本式に直したから。私たちが国のために出なければいけないと同じ日本人扱いしたんだ。そうやって連れていったんだから、必ず補償をしなきゃならない。でも中国、フィリピンはみんな営業用で金を稼ぎにいったんだ。だからそれにはあげなくても大丈夫だよ」(『強制的に連れていかれた朝鮮人軍慰安婦たち』5)という声に、早くから出会っていたからだ。「同志的関係」があったが要求される構造であったし、それに従う「同志構造内の差別」について十分に説明した。しかし私を非難する人々はそれを黙殺した。
 私は慰安婦を朝鮮人日本軍と同じ徴兵と同じ枠組みで考えねばならないと考える。だが「法」は「軍人」は保護したが「慰安婦」は保護しなかった。日本人慰安婦に対しても同様であった。慰安婦がしたことを近代国家システムが必要視しながらも軽蔑したからである。「法」に依存し、歴史を判断する法至上主義ではなくても、歴史に対する反省、謝罪と補償は可能である。韓日合意は日本が謝罪と補償的意味を公式的に表明したという点で意義がある。ただ政府間合意のみでは十分ではない。加えて被害者の考えも一つではない。遅くともいまこそ国民間合意のための論議を始める必要がある。

http://megalodon.jp/2016-0214-1242-44/japan.hani.co.kr/arti/politics/23303.html

https://web.archive.org/web/20160401191903/http://japan.hani.co.kr/arti/politics/23303.html

ハングル

https://web.archive.org/web/20160401201526/http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/729598.html

パク・ユハ 給与差し押さえられる — 2016年2月16日

パク・ユハ 給与差し押さえられる

「帝国の慰安婦」著者 賠償金として給与差し押さえられる

【ソウル聯合ニュース】旧日本軍の慰安婦問題に関する著書「帝国の慰安婦」で慰安婦被害者から名誉を傷つけたとして訴えられている朴裕河(パク・ユハ)世宗大教授(日本語日本文学科)が、給与を差し押さえられたことが16日、分かった。

朴氏は2013年8月に「帝国の慰安婦」を出版。慰安婦被害者らは文中の表現34カ所が元慰安婦の名誉を傷つけたとし、2014年7月に1人当たり3000万ウォン(約285万円)の損害賠償を求める民事訴訟を起こした。

ソウル東部地裁は先月13日、朴氏の著書が慰安婦被害者の名誉を傷つけ人格権を侵害したとし、原告9人に計9000万ウォンの賠償金支払いを命じる判決を言い渡した。

判決で賠償金の支払いを求める仮執行が付されたことから、慰安婦被害者らは先月25日、朴氏と世宗大を経営する学校法人を相手取り、債権(賠償金9000万ウォン)の差し押さえおよび推尋(転付)命令をソウル西部地裁に申し立てた。法曹界関係者によると、ソウル西部地裁は今月1日にこれを認め、世宗大はこのほど朴氏に対し、賠償金の支払いが終わるまで今月から給与の一部を差し押さえると通知した。

朴氏は自身のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で、「全く予想していなかったことだ。ナヌムの家(慰安婦被害者が共同生活する施設)は私の名誉をさらに傷つけようとしているようだ」と心情を明かし、今後は積極的に対応することをほのめかした。

一方、朴氏は慰安婦被害者の名誉毀損(きそん)罪で在宅起訴され、刑事裁判も控えている。先月19日に国民参与裁判(裁判員裁判)を申請した。

また、今月1日から自身のホームページで、「帝国の慰安婦」から問題視された34カ所を削除したファイルを無料でダウンロードできるようにした。

2016/02/16

http://megalodon.jp/2016-0216-1906-03/www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/02/16/2016021601796.html

http://www.webcitation.org/6fKxOCCZi

パク・ユハ在宅起訴 2015.11 — 2016年1月22日

パク・ユハ在宅起訴 2015.11

聨合ニュース日 2015/11/19

「帝国の慰安婦」著者を名誉毀損で在宅起訴=韓国検察

韓国で出版された書籍「帝国の慰安婦」(原題)をめぐり、ソウル東部地検は19日、旧日本軍慰安婦に対する虚偽の事実を載せ慰安婦被害者の名誉を傷つけたとして、著者の朴裕河(パク・ユハ)世宗大教授(日本語日本文学科)を名誉毀損(きそん)の罪で在宅起訴したと明らかにした。

 ソウル近郊の施設「ナヌムの家」(京畿道広州市)で共同生活を送る慰安婦被害者11人は昨年6月、朴氏と出版社の代表を名誉毀損で刑事告訴すると同時に、出版と広告の差し止めを求める仮処分を申請していた。

 検察によると、朴氏は慰安婦の動員に関する事実を否定し、自発的に日本軍に協力したという趣旨で著述したことにより、公然と慰安婦被害者の名誉を毀損した。また、同書の「売春の枠組みに入る」や「日本国に愛国心を持ち、日本人兵士を精神的、身体的に慰安した日本軍の同志」などの記述は、客観的な記録と異なる虚偽の事実だと指摘した。

 日本の河野談話や国連の関連報告書、米下院の決議文などを確認したところ、慰安婦は性奴隷も同然の被害者で日本に協力しなかった事実が認められるにもかかわらず、朴氏がこれとは異なる虚偽の事実で被害者の人格と名誉を深く侵害し、学問の自由の範囲を逸脱したと、検察は強調した。

 出版社代表については、出版と編集に関し朴氏と話し合っただけで内容には関与しなかったとし、嫌疑なしとした。

 一方、出版と広告差し止めの仮処分申請を受け、裁判所は今年2月、「軍人の戦争遂行を助けた愛国女性」「自発的な売春婦」などと表現した部分を同書から削除しなければ軍慰安婦の名誉を損なう懸念があるとの判断を示している。朴氏は6月、問題となった部分を伏せ字にするなどした修正版をあらためて出版した。

 朴氏は昨年11月には日本で「帝国の慰安婦-植民地支配と記憶の闘争」という名で書籍を出版し、被害者らの反発を招いた。

https://web.archive.org/web/20151119205802/http://japanese.yonhapnews.co.kr/society/2015/11/19/0800000000AJP20151119002600882.HTML
http://megalodon.jp/2016-0122-0709-39/japanese.yonhapnews.co.kr/society/2015/11/19/0800000000AJP20151119002600882.HTML