FB2016.1 https://web.archive.org/web/20160414220547/https://www.facebook.com/parkyuha/posts/1278071235553121

朴 裕河さんが北原 みのりさんの投稿をシェアしました。
1月26日 ·
日本語使用の方々へ
ナヌムの家の所長が裁判背景について話した、事実に反する発言を北原みのりさんがFacebookに書いていらっしゃることを教えてもらいました。共有できないので転載します。
どなたでも、共通の友人の方は(Masanori Seki),
この文章を北原さんに伝えていただければ幸いです。
———
とりあえず簡単に記します。
1、会う前の、電話をめぐる話は嘘です。
最初は解決方針を聞きたいと考えました。訪ねていった時に事務局長に会え、挺身隊問題対策協議会と異なる路線(法的責任、立法など要求する代わりに補償金を求めて調停へ持っていく裁判をする)を追求していると聞いたのでさらに話をしたいと思っただけです。
所長と交わした電話メッセージも残っています。必要なら追って公開するつもりです。
そして次の年の4月(2014/4)に私は日本学研究者など有志と一緒にそうした声を出す「慰安婦問題、第3の声」というタイトルのシンポジウムを開きました。そしてそれまで外に出ることのなかったおばあさんたちの声をその時出したところ、日韓のメディアの注目を浴びました。支援団体は異なる声が出ることを恐れたと考えます。
2、NHKは、本が出た直後から(2013/8)私の本が韓国のメディアで受け入れられたことに関心を持ち、どのようになるのかを記録したいと言ってきました。その後私の授業に来て学生の話を撮ったり、本に関する動きを撮り続けていました。
ナヌムの家に行く(2013/12)時NHKがいっしょだったのは、慰安婦の方に会いたいと言ってたし、慰安婦問題に関する動きは何でも教えて欲しいと言われていたので知らせた結果にすぎません。
私は訪ねることを事前に通知しました。しかし安所長からの返事はありませんでした。初めて会う時NHKの人がいたのは、年初めのNHK会場の発言もあってナヌムの家にとっては印象が悪かったはずですが、記者本人は慰安婦問題解決に寄与したいと願っていた人です。
そして一緒に、あるハルモニの話を聞いたので、映像を撮らせて欲しいとお願いしたまでです。しかし安所長は拒否し、その場では撮れませんでした。しかも職員が部屋の中で話している私たちを頻繁に覗きに来てました。ほとんど監視体制でした。
そしてその方は2014年6月に亡くなりました。この経緯は同時的にFacebookにも書いたことがあります。私が告訴されたのはその1週間後です。
3、告訴の直後、私は交流のあった別のもと慰安婦の方二人と電話で話しました。そのうち1人は電話をかけてきました。
おばあさんたちは「強制連行していないと書いたんだって?!」「ソウル大教授5人があなたの本を悪いと言ってた」「あなたを(刑務所に)入れるべきだとおばあさんたちが言っている」と言いました。
知っておいていただきたいのは、ロースクールの分析であれ(酷い誤読に満ちた、読解でした)、「ソウル大5人」であれ、「ナヌムの家の所長」であれ、「代弁者の読解」から告訴が始まったと言うことです。
(この本にはおばさんたちの惨状を書いたところもたくさんあります。それをハルモニたちが聞く機会はきっとなかったことでしょう)
こうしたことをぜひ認識していただきたいと思います。
こうした、嘘が含まれている文章をシェアするのは即やめていただければと思います。
/web/20160414220547/https://www.facebook.com/minorikitahara/posts/1170462949645676

北原 みのり
1月26日 ·
衆議院議員会館で行われた「 2016 ナヌムの家のハルモニを迎えて 今伝えたいこと」の簡単なレポート。

89歳の姜日出(カンイルチュル)ハルモニ、90歳の李玉善(イ・オクソン)ハルモニお二人がいらっしゃった。

最初にナヌムの家の安所長が、年末の「合意」をハルモニたちと見ていたテレビで知ったことをお話になった。
安さんが話している最中、最前列の席に座っていた姜日出ハルモニが「私たちは知らなかったんだ」と300人は入る大会場に響く声で、叫ばれた。
癒えない怒り、まだこの方達をこれほど苦しめるのかとやりきれない思いになる。

その後に、ハルモニ二人がお話された。
李玉善ハルモニは「慰安所は人を殺す、ブタや牛のように殺す、死刑場だった」と。一日40人から50人の男の相手をさせられ、抵抗すると殴られ、そのために死ぬ人もいた、とお話になった。
李玉善ハルモニは、今も頭部に残る傷を見せて下さった。「抵抗してつけられた傷」「私は人間です。私は人間なのに日本によって連行された。(しかし日本は)このような問題を解決せず、私が何故このような場にこなければいけないのか。私は本当に怒ってます」とマイクが必要ないと思われるような、大きな、明確な声で怒りを表明された。

年末の「日韓合意」。まるで日韓関係の新しい幕開け!みたいに大手メディアは歓迎ムードだった。それはまるで「慰安婦」問題が、日韓関係のお荷物で、ようやくそこから解放されたかのような安堵も含まれているようだった。日本社会における、性被害者に対する視線の鈍感さが、こういう時に露呈するのだな・・・と実感するような「明るさ」だったと思う。
その報道の陰に、怒りと悔しさに叫んだ女性たちがいること。そして韓国の市民社会が「合意の白紙撤回」に向けて動き出そうとしていること。日本社会は向きあわなくてはいけないのだと思う。というか、今こそ、韓国と日本の市民でつながれる時でしょう! 反アベ、反パククネで。

最後に、安所長が「帝国の慰安婦」の著者である朴裕河さんを訴えた経緯についてお話になった。「帝国の慰安婦」を刑事告訴した経緯がよく分かるので、テープ起こししました (通訳は梁澄子さん)。ちょっと長いのですが、読んでいただけたら嬉しいです。

「2013年12月頃、突然朴裕河さんから電話がありました。
挺対協に反対する声をあげるべきだ、と言われたので、私は 挺対協と一緒に被害者の人権回復のために闘っているのに、なぜそういうことを私に言うのですか? と聞きました。
その次に(朴さんが)何を言ったかというと、『急いで言いたいことがあるから、世宗大学(朴氏の勤め先)に来てくれ』と言われました。私も都合がつかないので、そちらがナヌムの家に来て下さい、とお伝えしました。
そうしてある日突然、事前の連絡も、許可もなく、一人でもなく、NHKを一緒に連れて来たんです。NHKを何故連れてきたかと聞くと、朴裕河さんがハルモニたちと会うところを撮影したい、と言われました。それならば事前に連絡をするべきだと言うと、NHKの記者はさらに『朴裕河さんがナヌムの家でボランティア活動をしている姿を撮りたい』と言ってきました。私は『(朴裕河さんは)今までボランティア活動をしたこともないのに、どうやって撮るのか?』と言って、その日は撮影させませんでした。

そういうことがあったので、私は初めて『帝国の慰安婦』を二回読んだのです。
韓国で『帝国の慰安婦』が出版されたのは2013年7月だったと思いますが、当時は読む必要がないと思っていました。タイトルが『帝国の被害者』ではなく『帝国の慰安婦』ということで、これはハルモニを侮辱する本だと思ったので読まないつもりでいたのです。それでも(先のようなことがあったので)、抗議するためには朴裕河さんの本を読まなければいけないと思い、二回読みました。

その本を読んでみましたら、朴さんは(百数名の慰安婦たちによる)6冊の証言集を引用しているのですが、私が読んだ証言集の印象とはまるで違うと感じました。
しかし私はハルモニたちとは、ふだんから支援をする立ち場で読んだので、第三者の目で読んでもらった方がいいと考えて、パク・スナさんというロースクールで教えている方にこの本を読んでみてほしいと、渡しました。そこでロースクールの学生7人が分析し、非常に問題だという項目が100数項目、抽出されました。

それから私たちはハルモニたちにこの本を読んであげました。ハルモニたちは直接本を読めませんので、私たちが何度も何度も本を読んでさしあげました。
それを聞いたハルモニたちは、「私たちは被害者なのになぜ 売春婦と書かれているのか?」「日本軍に対して精神的な慰安/肉体的な慰安を与えた、というのはどういうことか?」「日本軍の同士、妻、協力者等と書いてあるのは全く理解できない。これは人権侵害だ」と仰いました。

これほどハルモニたちが怒っているのであれば、このままほっておいてはいけないと思いました。ハルモニたちには家族がいる方もいますが、法的な措置をとれる人がなかなかいない、お金もかかる、ということで、私たちのナヌムの家がお手伝いして、さきほどのパク・スナさんは漢陽大学のロースクールで教えているのですが、漢陽大学のロースクール が裁判費用を出して、この裁判をおこすことになりました。

はじめは、私たちは出版差し止めの仮処分申請だけをやろうと思いました。
なぜなら、韓国でも表現の自由は出版物に対して厳格に保護されますので、出版差し止めの仮処分だけをやろうと思いました。
名誉毀損でやろうと思っても、なかなか普通は刑事起訴ということには至りませんので、韓国でも。
しかしその後も、朴さんはハルモニたちとの関係について嘘を言うんです。これを聞いているうちに、これではだめだ、と。私たちが取れる法的措置は全部とらねば、朴裕河さんをおさえることはできない、と考えたのです。

そこで、3つの裁判を同時に起こしました。
一つは、出版差し止めの仮処分とハルモニたちに対する接近禁止。
もう一つは民事訴訟、名誉毀損による損害賠償を求める民事訴訟。
もう一つは名誉毀損による、刑事告訴です。
2014年6月17日に一度におこしました。

この出版差し止め仮処分に関する裁判は4回開かれました。原告のハルモニたちは四回全部出席したのですが、朴裕河さんは一度も参加せず、そういう形で被害者を無視しました。それでですね、裁判所の方も、販売禁止にはしていません。ただし、この本の中の34箇所の部分に関しては、このまま放置したのであれば、ハルモニたちの名誉を傷つけるということで、34箇所を削除しなければ、販売することも、また広報することも許さないという決定を出しました。
ところが、朴さんはこういう決定を受けながらも、34箇所だけを伏せ字にし、こういう部分が削除命令を受けたのだということをわざと出すような形で、新たに出版しました。そしてそのような法的な争いがある最中に、日本語版も出してしまったんです。
それに対してハルモニたちは大きく怒って反発されました。日本での出版というのは、裁判が終わった後でも充分にできるはずなのに、裁判中に出すということは法を無視していると仰いました。

それから刑事告訴についてですが、刑事告訴には対質尋問というのがありまして、一対一で被告と原告が両方に質問をするという、そういう制度があるのですが、これが二回あったのです。ナヌムの家からは柳喜男(ユ・ヒナム)ハルモニがそれにわざわざ出ていかれたのですが、朴裕河さんの方が拒否されたんです。
この刑事裁判というのは、起訴するかどうかというのは、一ヶ月くらいで決まるのですが、この事件には検察が悩み一ヶ月半かけて、2015年11月18日に在宅起訴になりました。虚偽事実流布の罪、ということです。

日本では、朴さんが、表現の自由を抑圧されている被害者で、検察が国家権力を使って朴さんを起訴したと思っている方が多いのですが、検察が自発的にやったわけではなく、ハルモニたちの刑事告訴に答え検察が捜査した結果として在宅起訴になったということです。法の保護を受けているのは、朴裕河さんの方です。

(先日)民事訴訟の判決が出たのですが、一人あたり3千万ウォンを要求していましたが、一人1千万ウォンの勝訴判決を受けました。
勝訴判決の中で、法律用語にない言葉が出てきます。裁判官が「全ての証拠をみて、朴さんの書いた内容は衝撃だ」と。「衝撃」、という言葉は法律用語では普通でないのですが、どれだけ人権侵害が酷いのか、ということを裁判官が表したのだと思います」