「慰安婦合意」のソウルを歩く 少女像前が「劇場」に 静けさ一転、怒る若者集い

毎日新聞2016年1月13日 東京夕刊

 そこはさながら「劇場」だった。テーマは慰安婦。この冬、ソウルを旅しながら、日韓両政府で妥結した慰安婦問題がなおもくすぶっている風景を目にした。和解の道は本当に開けたのだろうか?【鈴木琢磨】

 ソウルはミセモンジと呼ばれる大陸から流れ込んだ大量の微小粒子でかすんでいた。はなをかむとティッシュが少し黒ずむ。いつのまにか違ってきた隣国の首都だが、この冬は別の意味でも違った。日韓国交正常化50周年の年が暮れようとしていた昨年12月28日の慰安婦問題を巡る日韓合意である。「最終的かつ不可逆的」な解決ができたのなら、旅もさぞ楽しかろうと思ってみたが、甘かった。アグチム(アンコウの蒸し煮)でマッコリを飲んでいてもあの像が浮かんでくる。そう、日本大使館前にある少女像である。

 私が滞在していた12月26日からこの5日まで、散策がてらウオッチした。合意までは人だかりはなかった。少女像は毛糸の帽子をかぶり、マフラーを巻いている。聯合ニュース本社そばだからか、社会部の若い女性記者がひとり張り込んでいる。「日本の方ですか?」。寒空の下での談話取りの苦労を思い出し、答えてあげたくなったが、うーん、歴史は難しいね、とあいまいに笑って通り過ぎた。

 ところが日韓の合意があってから、ここは「劇場」と化した。あれは30日正午からの「水曜集会」だった。1992年から支援団体が毎週水曜日に開き、もう1211回になるというが、ここまでの盛り上がりはなかっただろう。歩道を埋めつくした高校生らが亡くなった元慰安婦の写真を抱えている。「人間の尊厳は決して金では補償されない」。手紙の朗読あり、ギターをつまびくフォークソングあり、女子高生の合唱あり。「屈辱合意に反対します。おばあさん、力を出して」。つぶらな瞳が訴える。

 そして一人の元慰安婦がマイクを握りしめ、身の上を語りだすや、ウオーという叫び声が。見れば、顔一面に韓国の国旗をペイントした青年が「少女像移転に反対する」と大書したプラカードを持ち、泣きじゃくっている。カメラマンが一斉にシャッターを切る。なかには墨でしたためた文言も。「倭寇は殺人強盗を反省せよ」。それはよせ、とたしなめる姿はどこにもない。

 集会前日、つまり合意の翌日、ソウルから車で1時間ほどのところにある元慰安婦たちが暮らす「ナヌムの家」に足を運んだ。あたりはトマトの温室が並ぶのどかな農村である。朝、ホテルでテレビを見ていたら、韓国外務省の幹部が説明に出向くとの速報があった。動きが早いな、根回しもできていたのかと感じたが、そうでもなかった。6人の元慰安婦の待つ応接室に恐縮至極のていで第2次官が入ってくる。合意内容を説明したが、元慰安婦たちは受け入れられない旨、述べた。次官はぎこちなくメモをとる。

 リニューアルされた併設の歴史館を男子高校生らが参観していた。記者会見を終えたおばあさんが個室へと戻ろうとすると、肩を抱き、やさしく声をかけている。敷地内には亡くなった元慰安婦の墓があり、正面玄関には胸像が並ぶ。日本からの訪問者も数人いたが、スタッフが韓国メディアのインタビューに応じてもらえるか、と尋ねると、ちゅうちょしていた。施設には伊藤博文を暗殺した安重根の獄中書まで飾ってある。静かに慰安婦問題を考えようにも日本人には違和感が先に立つ。

「あいくち突きつける平和はよそう」

 ソウルの演劇タウン、大学路で慰安婦の芝居をやっている、と耳にした。アルコ芸術劇場の小劇場で「ハナコ」が上演中だった。チケットは完売していたが、待っているとキャンセルが出た。韓国の女性学者がカンボジアにいる韓国人が元慰安婦ではないかとの情報でテレビマンを伴い現地を訪ねる。カメラを構え、証言を引き出そうと躍起になるテレビマンが過熱するメディアを風刺しておかしかったが、舞台が暗転し、元慰安婦の回顧シーンになると落ち込んだ。「オトウサン」と呼ばれる日本人業者らしい男の顔が闇に浮かび、ささやく。「軍人がくるぞー。準備しろ」。客席からもれるすすり泣き。ここでもほとんどが若者だった。

 この合意で韓国社会は変わるのか? いささか憂鬱になりつつ、朝からテレビのニュースショーをながめていたらいつしか話題が4月の総選挙へと移っていた。2017年の大統領選、ポスト朴槿恵(パククネ)も占っている。人気のトップは潘基文(バンキムン)国連事務総長、地球村の要職にあるその人物が朴大統領との電話協議で「英断だった」と日韓合意を評価したのはいかがなものか、と辛口のコメンテーターが苦言を呈していた。もっと多くの時間を割いてあれこれ伝えていたのは財閥、SKグループのスキャンダルだったが……。

 集会のあった日の夕方、景福宮に近いベーカリーでコーヒーを飲んでいたら、ガラス越しに朴大統領を乗せた専用車が猛スピードで目の前を通り過ぎた。スモークガラスで表情はうかがえなかったが、心中は察する。対日強硬路線を脱し、安倍晋三首相との首脳会談にも応じ、なんとか慰安婦問題の妥結をみたのに国論が分裂、政権批判にさらされているからだ。青瓦台(大統領府)に太いパイプを持つ日韓関係の長老に会った。「君子豹変(ひょうへん)はオーバーだが、あの強気だった安倍首相も変わった。外交に100点はない。日韓とも指導者が強いのは野党がばらばらだから。相似形だ」。そして少女像について続けた。「相手ののどもとにあいくちを突きつけ、平和の象徴だ、歴史の象徴だ、と言うのはよしたほうがいい」

 年が明け、少女像の周辺は静かになりつつあったが、毛布を持ち込み、十数人が夜遅くまで座り込んでいる。歩道には黄色いメッセージカードが張られ、道行く人が少女像と記念写真を撮っていく。募金する人もいる。ふと目をやると、段ボール箱で器用に小屋を組み立てている女性がいた。満足な家にも住めない若者の貧困を訴えるらしい。過去と現在、どちらも重要ということか、素朴なパフォーマンスにベテラン記者が舌を巻いていた。「彼女、頭いいねえ」

 日韓の合意がなされたからといって、またいつの日か少女像が移されたとしても、日本人も韓国人も植民地支配の歴史について知らないでいいはずはない。より多くの史料を発掘し、それぞれが考えなければならないだろう。少女像からすぐ、観光客でにぎわう仁寺洞通りに老舗の古本屋がある。朴正熙(パクチョンヒ)政権下のソウルを旅したころから通っているが、劇場ソウルとはまるで異なる、しんとして風格を漂わせる書棚に貴重な近現代史がたくさん眠っている。旅の土産に1冊を買い求めた。

http://megalodon.jp/2016-0113-1900-12/mainichi.jp/articles/20160113/dde/012/030/014000c