名誉棄損裁判 朝日一審勝訴 — 2016年7月31日

名誉棄損裁判 朝日一審勝訴

慰安婦報道訴訟、朝日新聞社勝訴 「記事、名誉毀損に当たらぬ」 東京地裁
2016年7月29日

朝日新聞の慰安婦に関する報道で「国民の名誉が傷つけられた」として、渡部昇一・上智大名誉教授ら国内外の2万5722人が朝日新聞社に謝罪広告や1人1万円の慰謝料を求めた訴訟の判決で、東京地裁(脇博人裁判長)は28日、原告の請求を棄却した。原告は控訴する方針。

 対象は、慰安婦にするため女性を無理やり連行したとする故吉田清治氏の証言記事など、1982~94年に掲載された計13本の記事。原告側は「日本国民の国際的評価を低下させ、国民的人格権や名誉権が傷つけられた」と訴えた。

 判決は、記事は旧日本軍や政府に対する報道や論評で、原告に対する名誉毀損(きそん)には当たらないとした。報道によって政府に批判的な評価が生じたとしても、そのことで国民一人一人に保障されている憲法13条の人格権が侵害されるとすることには、飛躍があると指摘した。また、掲載から20年以上過ぎており、仮に損害賠償の請求権が発生したとしてもすでに消滅している、とも述べた。

 朝日新聞社広報部は「弊社の主張が全面的に認められた、と受け止めています」との談話を出した。

http://megalodon.jp/2016-0731-0508-17/www.asahi.com/articles/DA3S12485042.html

パク・クネ 少女像の撤去「慰安婦合意に言及ない」 — 2016年4月27日

パク・クネ 少女像の撤去「慰安婦合意に言及ない」

少女像の撤去「慰安婦合意に言及ない」 朴大統領が発言
ソウル=東岡徹2016年4月26日

韓国の朴槿恵(パククネ)大統領は26日、慰安婦問題の日韓合意に関連し、ソウルの日本大使館前に設置された「少女像」について、「少女像の撤去と連携されているが、合意で言及もまったくされなかった問題で、扇動してはならない」などと述べた。

少女像をめぐっては、日韓合意で韓国政府が適切に解決されるよう努力すると明記されている。日本政府は合意に基づいて少女像の移転を求めており、発言の真意を問う声が出そうだ。

朴大統領は韓国の新聞社やテレビ局の編集局長らとの昼食会で、日韓合意に対する反発が多い中で、どう解決していくかなどと問われた。朴大統領は安倍晋三首相と3月に会談した際に合意を誠実に履行していくことを確認したなどと説明。少女像についても自ら触れ、「(少女像の問題は)被害者を助けることにならない」「混乱を引き起こしてはならない」などとも語った。

一方、萩生田光一官房副長官は今月、テレビ番組で「財団の設立式典の日に、大使館の前に像がそのまま残っている姿は想像したくない」などと述べていた。

日韓合意では韓国政府が元慰安婦を支援する財団を設立し、日本政府が10億円を拠出することになっているが、少女像の移転はその前提にはなっていない。韓国では日本政府は少女像の移転を10億円拠出の前提にしているのではないかといった声が出ていたことから、朴大統領も日本政府の言動を牽制(けんせい)した可能性もある。

また、朴大統領は北朝鮮情勢について、「5回目の核実験はほぼ準備は終わっており、いつでも決心すれば、できる状態だ」と述べた。(ソウル=東岡徹)

http://megalodon.jp/2016-0426-2115-29/www.asahi.com/articles/ASJ4V62S9J4VUHBI01K.html

識者はどうみる? 日米韓の3人に聞く — 2015年12月31日

識者はどうみる? 日米韓の3人に聞く

慰安婦問題合意、識者はどうみる? 日米韓の3人
朝日2015年12月31日

日韓関係で最大の懸案だった慰安婦問題を解決させるとした28日の合意について、その評価や今後の課題を日米韓の識者に聞いた。

■歩み寄り、対中関係改善にも

《シーラ・スミス氏 米外交問題評議会上級研究員(日本政治・外交政策)》

日韓両政府が合意にこぎ着けたのは、うれしい驚きだ。双方の立場には開きがありすぎて、妥協は難しいと思っていた。今年は国交正常化50周年であり、双方の指導者にとって年内合意が重要だったのだろう。

合意内容には、建設的な外交の成果が見てとれる。安倍晋三首相にとっては、おわびの言葉と旧日本軍の関与を明言したことで保守派の反発を招く可能性がある。ただ、保守派の安倍政権だからこそ妥協できた面はあると思う。民主党政権では、より激しい反発を招いただろう。朴槿恵(パククネ)大統領も「最終的かつ不可逆的」という表現を受け入れた。韓国側としても、とても心地よいとは言えない内容だ。

今後は、合意の実施に移る。両政府にとって簡単ではなく、批判も強まるだろう。悲観的になる必要はないが、手放しで楽観的でいられるわけでもない。韓国政府がソウルの日本大使館そばの慰安婦少女像の問題を完全にコントロールできるとは思えない。米国でも、韓国系住民グループによる慰安婦像の建設に対し、韓国政府が説得に動くのかどうか興味深い。

今回の合意には、米政府は直接的な役割は果たさなかった。米国の圧力で両国が歩み寄ったという見方があるが、それは違う。少なくとも米政府の当局者たちは、最終的には日韓両国が和解しなければならない問題であり、米国が圧力をかけるのは筋違いだと見ていたからだ。

日米韓、日中韓の二つの3カ国関係にとっても、合意の意味は大きい。安全保障上の懸案になっている日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の締結は、すぐには難しいだろうが、成り行きを見守りたい。日中韓では、韓国がより中立的な立場を取り戻し、関係改善に向かうだろう。これは米国にも有益だ。(聞き手・小林哲)

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専門は日本政治・外交政策。米コロンビア大学で博士号(政治学)を取得。ボストン大などを経て現職。東大、慶大、琉球大でも研究した経験がある。

■新財団は被害者の意見尊重を

《鄭鉉柏氏 韓国・成均館大教授(歴史学)》

今回の合意は、過去よりも多少進展があったが、法的責任が明記されていないのは残念だ。依然、被害者らが反発している点にも注目すべきだ。過去の歴史を清算する過程では、まず被害者の意見が重要だ。被害者たちの理解と納得、受け入れが先行しなければならない。

韓国政府が少女像の移転について、被害者や女性団体との協議なしに外交交渉で議論して発表したことは正しくない。政府の一方的な交渉に対し、韓国の市民社会は怒っている。

合意で日韓が新たに設立する財団を通じたお金の使い道は、まず被害女性たちの意見を聴き、それに従うべきだ。韓国政府は現在、被害者支援財団の設立を急いでおり、市民団体の反発を招いている。市民団体は、基金を使った財団について、適切ではない人々が起用され、政策が決められることを懸念している。

女性団体は、「民族の恥を表に出すな」という韓国男性の圧力のなか、戦争による女性の人権侵害問題を国際社会に告発した。これは韓国社会が民主化したからこそ可能だった。

韓国挺身隊(ていしんたい)問題対策協議会(挺対協)の運動が民族主義的な傾向を持っている、という評価は正しくない。すでに挺対協は、慰安婦問題が韓日間の問題だという認識を超え、世界各地の戦争や内乱の際に起きる女性暴力との闘いに、活動の中心を移しつつある。

今回の慰安婦問題合意が高度の政治判断であることは事実だ。「年内妥結」を公言した朴槿恵大統領の功績を実現するためでもあった。米国の要求を受け入れた面もある。慰安婦問題という人権問題を、韓日政府がそのように政治的に利用したことを遺憾に思う。(聞き手・牧野愛博)

1953年生まれ。「韓国女性団体連合」「21世紀女性フォーラム」など女性の人権問題を扱った市民運動で長く活躍。86年から現職。現在、「市民団体連帯会議」や「市民平和フォーラム」の共同代表も務める。

■足りない被害者との対話、補う相当な努力必要

《吉沢文寿氏 新潟国際情報大教授(朝鮮現代史)》

慰安婦問題は、1965年の国交正常化時に日韓政府が置き去りにした戦争被害者の人権回復が根本だ。にもかかわらず、今回も両政府が元慰安婦の女性たちと対話した形跡はない。50年前、日米韓三国の「反共同盟」強化を優先し、政治家・官僚主導で合意を強行したことが今日の問題を招いた、という歴史的省察がなされていない。

日本政府はアジア女性基金の反省を踏まえ、民間からの募金ではなく、日本の国家予算で事業を進めることを約束した。とはいえ、今回の日韓合意を意味あるものとするならば、被害者との対話など、足りない部分を補う相当な努力が必要だ。

被害者が何よりも求めているのは金銭ではなく、誠意だ。韓国政府ばかりに説得を任せるのではなく、日本側もどのような事実に責任があるのかを、被害者に対して明確に伝える必要がある。この問題を真摯(しんし)に考えるなら、安倍首相は「代読」の謝罪ではなく、パフォーマンスと非難される覚悟で訪韓し、被害者に向かって自らの言葉で直接伝えてほしい。

被害者に対して「これしかないから受け入れなさい」と言うことは、和解を強要するハラスメントになる。ソウルの日本大使館前の「平和の碑」(いわゆる少女像)の移転にメディアの関心が集まっているが、目障りだから消したいのではないかと受け取られれば、被害者の不信感は募るばかりだ。この問題を前面に持ち出すと、事業は進まなくなるだろう。(聞き手・武田肇)

朝鮮現代史専攻。日韓国交正常化の過程を研究し、近著に「日韓会談1965――戦後日韓関係の原点を検証する」がある。「日韓会談文書・全面公開を求める会」の共同代表。

http://megalodon.jp/2015-1231-1739-44/digital.asahi.com/articles/ASHD003SKHDZUHBI028.html?rm=841

[eng] asahi パク・ユハ在宅起訴 — 2015年11月22日

[eng] asahi パク・ユハ在宅起訴

Author of ‘Comfort Women of the Empire’ indicted in South Korea
November 20, 2015

By YOSHIHIRO MAKINO/ Correspondent
SEOUL–Prosecutors here indicted a South Korean university professor on defamation charges, saying she falsely described former “comfort women” who provided sex to Japanese soldiers during World War II.

Park Yu-ha, a professor at Sejong University, was charged without arrest on Nov. 18 in connection to her book, “Comfort Women of the Empire.”

The Seoul Eastern District Prosecutors Office concluded that Park, through the book, defamed the honor of former comfort women and deviated from academic freedom.

“It is extremely regrettable that my ideas were not accepted,” Park said on Nov. 19. “But the indictment has become an opportunity for my assertions to be known widely.”

In the book, Park wrote that she sees the relationship between the “empire” (Japan) and the “colony” (Korean Peninsula) as the backdrop for the Korean comfort women issue.

She explained that as the war progressed, Korean women who were poor and lacked protection of their rights were sent to battlefronts as comfort women for Japanese troops.

In the book, Park raised the issue of whether the women were “sex slaves” or “prostitutes.”

Based on testimonies of former comfort women and other people, Park said the actual conditions and circumstances surrounding the women were diverse.

But the prosecutors office takes the stance that the Korean women were forcibly mobilized by the Japanese government and its military forces, making the victims the equivalent of “sex slaves.”

The office cited the statement of apology to former comfort women issued in 1993 by then Japanese Chief Cabinet Secretary Yohei Kono and a United Nations report.

Prosecutors took issue with what they described as “false facts” in Park’s book.

One is her description saying comfort women were within the framework of “prostitution” and comforted Japanese soldiers with “patriotism.” The other is a passage saying that, officially, the comfort women were not forcibly taken away by Japanese forces, at least on the Korean Peninsula.

“Comfort Women of the Empire” was published in summer 2013.

After former comfort women sought a temporary injunction against publication of the book, the Seoul Eastern District Court in February 2015 ruled that it could not permit publication of the book unless some parts were deleted.

A modified version was later published.

Former comfort women also filed a criminal complaint against Park in June 2014, saying she had defamed them.

The Japanese version of the book was published in November 2014 by Asahi Shimbun Publications Inc.

The Japanese version and the Korean version both aim to deepen understanding between the peoples of Japan and South Korea through a re-examination of the comfort women issue.

However, Park, who studied in Japan, wrote the Japanese version herself, and the structures and expressions used in the Japanese version are different from those in the Korean version.

http://megalodon.jp/2015-1122-0825-57/www.peeep.us/59885620
https://web.archive.org/web/20151121232608/http://www.peeep.us/59885620

朝日 慰安婦の碑・像 米の事情 — 2015年11月18日

朝日 慰安婦の碑・像 米の事情

慰安婦の碑・像 米の事情は
2015年11月18

米国のアジア系住民が多い地域を中心に、旧日本軍の慰安婦の碑や像の設置をめぐる議論が続いている。西海岸では、サンフランシスコ市議会で設置を促す決議が採択された一方、設置が計画されていたフラトンでは白紙になった。慰安婦碑の背景にある米社会の事情や、米国での慰安婦問題の受け止めを取材した。

サンフランシスコ市議会は9月22日、慰安婦の碑設置を強く促す決議案を全会一致で採択した。

「戦後70年の年に、計り知れない苦痛を味わった女性を追悼する場をつくる」とする決議の審議を、推進派と反対派の双方が真剣な表情で傍聴した。

議会で中心的な役割を務めたエリック・マー市議によると、決議は南京事件をめぐって日本政府の責任を問い、補償を求めてきた中国系の市民団体などから提案があった。

サンフランシスコは、約85万人の人口のうち中国系が約2割を占める。戦前の移住者や台湾系の住民も多く、「中国系」といっても多様だが、政治的な存在感は大きい。マー市議自身も中国系だ。

決議を推進する側には、コリア(韓国・朝鮮)系や日系の米国人や関連団体も加わった。9月17日に開かれた議会公聴会には、元慰安婦で韓国在住の李容洙(イヨンス)さんもコリア系団体に招かれて出席し、発言した。第2次世界大戦中に米国に強制収容された日系人への補償を求める運動の経験者らも、碑を支持する発言をした。

決議に反対する日系人もいた。市の消防委員も務めるスティーブ・ナカジョウさんは「アジアで起きた惨事に区切りをつけ、米国で一緒に暮らすという考え方に反する」と述べた。

慰安婦について「賃金を払われた女性たちで、扱いは悪くなかった」などと訴えた在米日本人もいた。カリフォルニア州グレンデールに建った慰安婦像の撤去を求める訴訟を2014年に起こした目良浩一さんは「李さんの現在と過去の証言が変わってきている」と指摘した。

だが、こうした訴えは市議たちの理解を得られなかった。デービッド・カンポス市議は「起きた事を否定する人々に言う。恥を知れ」と批判。最終的には、11人の市議全員が決議案に賛成した。

一方、「日本だけを批判することはおかしい」という意見には賛同が集まり、「世界的な女性の人身売買を止めるための教育を促す」などの文言が決議案に加わった。

マー市議によると、来年中の設置を目指しており、設置のため14万ドル(約1700万円)以上の寄付が集まっているという。

■フラトンは計画一転 日本の働きかけ影響?白紙

米国に建つ慰安婦碑や像の文言などについて、外務省は「日本の考え方や立場と相いれないものであり、極めて残念」としている。

サンフランシスコ市議会の決議をめぐっては、日本のサンフランシスコ総領事らが事前に市議を訪ねた。市議会関係者によると、過去の日本政府の謝罪や、アジア女性基金を通じて元慰安婦に償い金が支払われた経緯が説明されたという。

慰安婦像の計画が進められていたカリフォルニア州フラトンでも、日本のロサンゼルス総領事館が市長に、像を設置しないよう求めた。フラトン市は結局、市立博物館に像を提供する予定だった「カリフォルニア州コリア系米国人フォーラム」(KAFC)と条件が折り合わず、今年7月に設置が白紙に戻った。

フラトンに像が設置されなくなったことについて、韓国では「日本の妨害工作があったのではないか」と推測する報道もあった。朝日新聞が情報公開請求で得た、KAFCが市幹部へ送ったメールでも「(設置の)条件が厳しくなったことで、(日本側の働きかけが中止理由という)推測が事実かどうかを考えさせられている」と市の対応に疑問を投げかけていた。

このメールなどによると、問題の一つは、像が原因で起きうる事故などに備え、市が保険の費用負担をKAFCに求めたことだった。市側は「どの提供者にも求めている」としたのに対し、KAFC側は「このような条件は初めてだ。条件が厳しすぎて応じられない」などと伝えていた。

同市のグレッグ・セボーン市長は「日本側の働きかけは関係ない」と明言する。だが、日本の総領事館関係者は「我々の働きかけが功を奏したのではないか。厳格な条件には、フラトン市の政治的な判断もあったと思う」と位置づける。

一方、目良さんらが起こしたグレンデールの慰安婦像をめぐる訴訟では、原告側が敗訴した。「外交は米政府の専権事項であり、米政府の権限を市が侵害した」などと主張したが、「SLAPP(スラップ)訴訟」と呼ばれる、「言論の自由な行使を妨げるための訴訟」と認定された。市側の弁護士費用など約15万ドル(約1800万円)の支払いも命じられた。訴訟は、控訴審が続いている。

日本による抗議が、反発を招いた例もある。米国の歴史教科書での慰安婦に関する記述をめぐり、ハワイの日本総領事館が昨年、筆者の大学准教授に内容の訂正を申し入れたことは、米国では「戦中の行為の否定的な描写を、安倍政権が和らげようとする試み」(ウォールストリート・ジャーナル)などとも報道された。

■移民結束、政治力の拡大図る

米国で最初に慰安婦碑ができたのは、ニューヨーク近郊のニュージャージー州パリセイズパークだ。推進した「コリア系米国市民力向上」のドンチャン・キム代表は、米下院が慰安婦問題の決議を07年に採択した際、採択を求める活動をした一人だ。決議は日本政府に対して慰安婦問題の責任を認め、公式に謝罪するよう求めた。

キム氏は朝日新聞の取材に対し「決議にかかわった議員から『地元では何も活動しないのか』と問われ、碑の設置を考えた」と文書で答えた。朝日新聞が虚偽と判断した「済州島で女性を強制連行して慰安婦にした」という故・吉田清治氏の証言については「私たちの取り組みの根拠にしていない」と答えた。

碑は10年にできたが、注目を集めるようになったのは、在ニューヨーク日本総領事館が12年に碑について申し入れをしてからだった。直後に日本の国会議員らが現地を訪問し、「20万人以上の女性や少女が日本帝国の軍隊によってさらわれた」という碑の表現について「事実と異なる」と抗議。韓国で大きく報じられ、日米のメディアにも取り上げられた。

多様な移民が暮らす米国では、それぞれの民族集団による歴史やアイデンティティーを再確認する活動が珍しくない。

ニュージャージー州ハッケンサックのバーゲン郡庁舎前には、100年前に起き、いまも論争が続くアルメニア人虐殺のほか、米国の奴隷制度、ユダヤ人大虐殺(ホロコースト)、19世紀のアイルランド飢饉(ききん)を伝える石碑が並ぶ。13年3月、コリア系の団体が費用を出し、慰安婦の碑が加わった。当時の郡長だったキャスリン・ドノバン氏は「誰かの責任の追及ではなく、二度と起きないように記憶すべきだという考えで認めた」と話す。

こうした活動の背景には、民族ごとに結束して政治的な力を発揮する、移民社会の現実もある。

米国では1970年代から、コリア系の移民が急増した。2010年の米国勢調査では約171万人が「コリアン」と回答し、日本人や日系人ら「ジャパニーズ」と答えた約130万人を上回った。

米連邦議会関係者の一人は「多くの米国人は慰安婦問題を知らない」と話す一方で、「アジア系住民が多い地域の議員はこの問題を認識している。関心がある地元の有権者がいるからだ」と話す。

14年にバージニア州から初当選したバーバラ・コムストック下院議員(共和党)は、教科書で「日本海」と、韓国政府が主張する「東海」を併用するとの決議案を連邦議会で提起すると公約した。民主党候補も同じ主張をし、ワシントン・ポストは社説で「コリアンにおもねり過ぎている」と指摘した。

出身国との心情的なつながりも運動を後押しする。「多くの移民は米国で差別を経験し、母国に強い親近感を持つ」とニューヨーク市立大のピョンガプ・ミン教授(社会学)は語る。特に、韓国メディアの報道は、米国のコリア系社会でも影響が大きいという。日系などほかの移民と比べて、一世や二世が多いのも、母国とのつながりが強い一因だ。

■「慰安婦は人権の問題」との見方 米政府、日韓歩み寄り促す

米国では、慰安婦の問題は人身売買などとつながる、人権の問題としてとらえられることが多い。

メリーランド州議会で今年3月、慰安婦問題に関する決議案が審議されたときは、アジア系団体だけでなく、強制売春を含む人身売買の問題に取り組む団体も公聴会で支持を表明した。決議案は上院で可決されたが、下院は通過していない。

米政府は、国内の慰安婦碑や像については関与する姿勢を示していない。一方、米国では政府関係者や東アジアの外交・安全保障に詳しい識者を中心に、同じ米国の同盟国である日韓の関係が悪化することを懸念し、歩み寄りを促す発言も目立つ。

ジョン・ケリー国務長官は5月にソウルで韓国の朴槿恵(パククネ)大統領と会談後、日韓両国が歴史問題で「ともに抑制し、未来志向の癒やし」に向かうよう期待を込めた。慰安婦問題も「とんでもない人権侵害だ」と述べながら、韓国にも和解の努力を求めた。

日本の安倍晋三首相と朴大統領が11月に会談し、慰安婦問題の協議を加速させることで合意したことについて、米国は歓迎している。ダニエル・ラッセル国務次官補は会談直後、ニューヨークの講演で「日韓国交回復から50年という節目の年に、慰安婦問題について話し合う合意をしたことは特に意義が大きい」と関係改善に期待を込めた。

(ニューヨーク=中井大助、ロサンゼルス=平山亜理、サンフランシスコ=宮地ゆう)

http://megalodon.jp/2015-1118-1845-53/digital.asahi.com/articles/DA3S12072838.html?rm=150

首脳会談 朝日社説 — 2015年11月3日

首脳会談 朝日社説

安倍首相と韓国の朴槿恵(パククネ)大統領による初の首脳会談がきのう、ソウルで実現した。

2人がそれぞれ、国を率いる政治トップに決まったのは3年も前のことだ。この間、一度も公式の会談はなかった。

隣国でありながら異常な事態が続いたのは、戦時下に過酷な性労働を強いられた元慰安婦たちの問題をめぐる駆ログイン前の続きけ引きのためだ。

(社説)日韓首脳会談 本来の関係を取り戻せ
2015年11月3日 朝日

問題の進展を確保した会談を望む朴氏に対し、安倍氏は「前提条件なし」を主張し続けた。ようやくその平行線を破って会談してみると、「早期妥結をめざして交渉を加速させていく」ことで一致した。

こんなごく当たり前の意思確認がなぜ、いまに至るまでできなかったのか。互いの内向きなメンツや、狭量なナショナリズムにこだわっていたのだとしたら、残念である。

2人には、この3年間で失われた隣国関係発展の機会を取り戻すべく、約束通り、積極的な協議を指示してもらいたい。

その際、双方が忘れてはならないことがある。慰安婦協議は国の威信をぶつけ合うのではなく、被害者らの気持ちをいかに癒やせるのかを最優先に考える必要があるということだ。

慰安婦の実態は、これまでの日韓での研究でかなりのことが明らかになってきた。それは、女性としての尊厳を傷つけた普遍的人権の問題である。

日本政府は、50年前の日韓協定により、法的には解決済みだと主張する。これに対して韓国側には、日本の法的責任の認定と国家賠償を求める声がある。

実際には、日韓両政府はこれまでの水面下での協議で、かなり踏み込んだ協議を続けてきた。

それらを踏まえて双方がいま認識しているのは、どちらか一方の主張をすべて貫くことはできず、双方が一定の妥協をして「第3の道」を探る以外にないという現状である。

今回の首脳会談は米国の後押しで実現したが、首脳同士が会ったからといって、万事上向くほど現在の両国関係は簡単ではない。一方で日韓ともに「このままではいけない」という意識が強いことも事実だろう。

首脳会談では、北朝鮮政策を含む安全保障問題や、韓国が環太平洋経済連携協定(TPP)に加わった場合の日本の協力なども話し合われた。

日韓は慰安婦問題の交渉を急ぎつつ、両国民がともに利益を高めるために協力していくという、隣国としての本来の姿を早く取り戻さねばならない。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S12048533.html?rm=150

ユネスコ遺産 朝日 — 2015年10月12日

ユネスコ遺産 朝日

慰安婦資料、韓国で記憶遺産申請の動き 日韓の火種にも
ソウル=東岡徹2015年10月12日

ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界記憶遺産に、中国が申請していた慰安婦に関する資料は登録されなかった。しかし、韓国では元慰安婦の支援団体が中心になって登録をめざしている。こうした動きを韓国政府も支援しており、今後は日韓間で火種になるおそれがある。

韓国女性家族省や文化財庁によると、元慰安婦の女性たちが共同生活を送る「ナヌムの家」など民間団体が中心になって登録をめざしている。韓国政府は今年5月、日本の植民地支配からの解放70周年を記念する事業の一つに世界記憶遺産への登録を盛り込んだが、政府はあくまでも民間の活動を支援する立場だという。現在は、来年3月の申請に向けて資料や文献の整理をしているという。

記憶遺産への登録をめざすのは慰安婦問題を国際社会に訴え、日本政府から対応を引き出すねらいもある。ただ、日本側の反発を生み、関係悪化につながりかねない。韓国外交省報道官は6日の記者会見で、登録は「民間レベルの努力の一環」と強調し、「両国関係に影響を及ぼすとは考えていない」と述べた。

さらに、韓国政府は日本の植民地時代に朝鮮半島から動員された「徴用工」の記録についても申請を検討している。韓国文化財庁による世界記憶遺産の公募に、韓国政府機関が応じ、口述記録など33万6797点を文化財庁に提出した。

徴用工をめぐっては、「明治日本の産業革命遺産」のユネスコ世界文化遺産登録で日韓が動員の「強制性」で対立した経緯がある。韓国政府は「強制労働」と位置づけており、世界記憶遺産に登録することでその主張を強めるねらいもあるとみられる。(ソウル=東岡徹)

https://web.archive.org/web/20151012092514/http://www.asahi.com/articles/ASHBB452XHBBUHBI00Y.html

永井和 朝日 — 2015年7月2日

永井和 朝日

(慰安婦問題を考える)「慰安所は軍の施設」公文書で実証 研究の現状、永井和・京大院教授に聞く

慰安婦や慰安所の実態はどこまでわかってきたのでしょうか。1993年、当時の河野洋平官房長官は「河野談話」で、慰安所の設置、管理に旧日本軍が関与していたことを明らかにしました。警察や軍の公文書などの資料をもとに、慰安所は軍の施設として設置されたことを明らかにした永井和・京都大大学院教授ら歴史研究者に、「河野談話以降」の研究の現状について聞きました。

■募集や渡航、軍が警察に協力を要請 慰安施設設置のため、軍の規則改定

――研究を始めた経緯は。

「1998年に授業で慰安婦問題をめぐる歴史論争を取り上げたのがきっかけで、慰安所成立の経緯を史料に即して解明しようと考え、2000年に最初の論文を発表しました」

――明らかになった事実は。

「日本軍の慰安所は軍が設置した軍の後方施設であることを軍や警察の公文書で実証しました。軍の組織である以上、軍は慰安婦問題に対する責任を免れないことになります。『慰安所は戦地における公娼施設、つまり民間の売春施設であり、軍に責任はない』という主張への批判でもあります」

――慰安所が作られた経緯は。

「日中戦争開始直後の37~38年、内務省警保局が慰安婦の募集や渡航に関して発したり報告を受けたりした一連の警察関連文書(資料〈1〉~〈5〉、〈7〉)が96年、警察大学校で見つかりました。当時、中国戦線で日本軍が慰安所を設置し、女性を募集した経緯が詳しくわかります」

「まず37年12月、中国に展開した中支那方面軍で『将兵の慰安施設の一端』として『前線各地に軍慰安所』を設置するよう定められました。上海の日本軍特務機関と憲兵隊、日本総領事館が業務分担協定を締結。軍の依頼を受けた業者が日本内地と朝鮮に派遣され、『皇軍慰安所酌婦3千人募集』の話を伝えて女性を集めました(資料〈1〉、〈2〉)」

――警察の対応は。

「事情を知らない地方警察にとって当初は信じがたい話だったようです。なにしろ軍が公序良俗に反する人身売買と売春の事業に着手し、公然と募集することになるのですから、軍の威信を失墜させかねない(資料〈3〉)。『民心とくに兵士の留守家庭に悪影響を与える恐れがある』として、募集活動を取り締まろうとしました(資料〈4〉)」

「和歌山県の警察は『軍の名をかたり売春目的で女性を海外に売り飛ばそうとしたのではないか』とみて、刑法の国外移送目的拐取の疑いで業者を取り調べました。しかし大阪の警察に問い合わせた結果、軍の依頼による公募とわかり、業者は釈放されています。大阪など一部の警察には事前に内々に軍からの協力要請が伝えられていたのです(資料〈2〉)」

「各地の警察の取り締まり方針を知った内務省は38年2月、軍の要請にもとづく慰安所従業婦の募集と中国渡航を容認するよう通達し、慰安婦の調達に支障が生じないようにしたのです。同時に軍の威信を保つため、軍との関係を隠すよう業者に義務づけることも指示しています(資料〈5〉)」

――同じ時期に軍が出した公文書もありますね。

「陸軍省は38年3月、女性の募集にあたっては地方の憲兵や警察当局と連絡を緊密に取るよう、中国に駐屯する日本軍に命じました(資料〈6〉)。同時期の警察文書と強い関連性が認められます」

「38年秋には、中国・広東攻略のため派遣された第21軍が参謀将校を東京に派遣し、慰安所で働く女性400人を渡航させるよう内務省に協力を要請しました。要請を受けた内務省は11月、大阪、福岡など各府県に女性の募集人数を割り当て、業者を選定して中国に送るよう手配を命じました(資料〈7〉)」

――慰安所を民間ではなく軍の施設とする根拠は。

「陸軍大臣が日中戦争開始後の37年9月に『野戦酒保規程』という規則を改定した記録を04年、防衛庁防衛研究所(当時)の所蔵資料から見つけました。軍隊内の物品販売所『酒保』に『慰安施設を作ることができる』との項目を付け加える内容です(資料〈8〉)。上海派遣軍参謀長は12月、『慰安施設の件方面軍より書類来り』『迅速に女郎屋を設ける』と日記に記しました(資料〈9〉)。派遣軍が『慰安施設』として『女郎屋』を設けたことを意味しています」

「41年に陸軍経理学校教官が経理将校教育のため執筆した教材(資料〈10〉)にも『慰安所の設置』が業務の一つと記されました。当時、陸軍経理学校で学んだ人は『調弁する女の耐久度とか消耗度』を記したマニュアルがあった(資料〈11〉)と証言しています」

――軍が慰安所設置を業務にしていったということですか。

「そうです。慰安所は民間業者が不特定多数の客のために営業する通常の公娼施設とは違います。軍が軍事上の必要から設置・管理した将兵専用の施設であり、軍の編成の一部となっていました」

――慰安所制度の問題点は。

「戦前でも公娼制度は、廃止論者から『人身売買に依る奴隷制度にして人道に反す』と批判されていました(資料〈12〉)。内務省は女性の自由意思を保障するためとして娼妓取締規則を定めましたが、軍慰安所についてはその程度の規則すら見つかっていません。慰安婦制度が『人身売買による奴隷制度だった』と批判されても仕方がない。紹介手数料として女性側が負う前借金の1割を軍部が紹介業者に支給するという趣旨の業者の供述(資料〈4〉)もあり、事実なら軍が人身売買に直接加担したと言っても過言ではありません」

「慰安婦募集の際、業者が『いい仕事がある』と女性をだまして連れ出す就業詐欺や誘拐が行われていたという証言が多くあります。これは刑法の国外移送目的拐取罪にあたり、軍慰安所はこうした犯罪行為に支えられていたといえます」

――慰安所に対する取り締まりはあったのですか。

「元憲兵の回想記には、軍直轄の喫茶店、食堂で働くとの契約で中国に連れてこられた朝鮮人女性が売春を強いられていた、といった就業詐欺の事例が記されています(資料〈13〉)。記述は慰安婦に同情的ですが、軍内部の違法行為を取り締まる立場なのに、何もせず放置したままでした」

「慰安所は軍に不可欠であり、それを維持するためには違法な方法で慰安婦が募集されてもやむを得ない――と考える体制が軍内部にできていたと思われます。たとえ政府や軍中央による命令がなくても、結果的に軍がそうした行為を容認したと言われても仕方がないのではないでしょうか」

――強制的に女性を連れて行く事例はあったのでしょうか。

「中国や東南アジアなど占領地では、一部部隊による拉致、人さらいのような強制連行が起きたことが戦犯裁判記録などで明らかになっています。慰安所を『戦地の公娼施設』とする考え方では『民間の業者や末端の部隊の軍紀違反行為にすぎず、軍中央の命令によるものではない』との主張になるのでしょう。しかし慰安所が軍の編成に組み込まれた軍の施設だとすれば、強制連行の軍命令の有無にかかわらず、軍の責任は否定できないといわざるを得ません」

(聞き手=編集委員・北野隆一)

◇永井和さん 京都大大学院教授(日本近現代史)

ながい・かず 1951年大阪市生まれ。富山大助教授、立命館大教授を経て京都大学大学院文学研究科教授(日本近現代史)。著書に「日中戦争から世界戦争へ」「青年君主昭和天皇と元老西園寺」「近代日本の軍部と政治」など。(滝沢美穂子撮影)

■河野談話後、多数の資料見つかる

慰安婦の存在は戦後、文学や元兵士の手記などで知られていたが、長く歴史学の研究対象とはされてこなかった。慰安婦問題の先駆的研究者である吉見義明・中央大教授は(1)軍や政府の資料が発見されていなかった(2)被害者の証言が得られにくかった(3)人権問題としてとらえる視点が乏しかった――を理由に挙げる。

研究状況が変わるきっかけは、冷戦の終結と韓国内の民主化だった。まず韓国の市民団体「韓国挺身隊問題対策協議会」が1990年、慰安婦問題の真相究明が必要と問題提起した。翌91年8月に元慰安婦の金学順(キムハクスン)さんが実名で証言し、12月に日本政府を相手に訴訟を起こした。

93年8月には当時の河野洋平官房長官が慰安所設置への軍の関与を認めて謝罪する「河野談話」を発表し、この間に研究の基礎がつくられた。資料となったのは、日本政府や研究者が発掘した軍や政府の公文書、元慰安婦の証言などだ。

河野談話以降、新たな資料の発見が進み、慰安所での女性たちの境遇が慰安所業者の日誌で明らかになりつつある。昨年6月、国内で慰安婦問題に取り組む市民団体が、永井教授が分析した警察資料や戦犯裁判資料など538点が河野談話以降に見つかっているとして日本政府に調査を求めた。ただ、朝鮮半島で物理的な強制力を使い女性たちが連行されたとする文書は確認されていない。

慰安婦問題を考える論文集「『慰安婦』問題を/から考える」(歴史学研究会、日本史研究会編)の出版にあたった大門正克(おおかどまさかつ)・横浜国立大教授は「植民地の日常から慰安婦が生まれた背景を探る研究や、各国の軍の管理売春と比較することで世界が克服すべき共通の課題と位置づける研究が出てきている。性暴力を問い直す世界史の流れの中で慰安婦問題をとらえることが必要だ」と話す。

■永井氏、法的根拠示す文書発見

慰安所の経営管理は主に民間の業者があたっていたが、軍が様々な面で慰安所の設立や運営に関与したことがこれまでわかっていた。

吉見教授によると、永井教授の研究の成果は主に、(1)軍が慰安所を設置する法的根拠を示す文書を発見した(2)慰安所は軍が設置した軍の施設であることを改めて資料で補強し確認した、という点にある。

吉見教授は、永井教授が発見した1937年の「改正野戦酒保規程」という陸軍大臣が改定した軍の内部規則に注目する。慰安施設をつくれるという一文を第1条に加えるもので「慰安所設置に法的根拠があったことを示しており、永井教授の資料発見は、大きな意味がある」。

アジア女性基金が96年10月に設けた「慰安婦」関係資料委員会は、河野談話の基礎になった資料とその後発見された警察関係資料を公刊した。基金の専務理事で、資料委の副委員長も務めた和田春樹・東京大名誉教授は「永井教授の研究は、これまでの軍や警察の資料を分析し直し、自身で発見した新たな資料を加味することで、軍が慰安所を設置したことを明らかにした」と話す。

(佐藤純、編集委員・豊秀一)

■インタビューに引用された資料(〈1〉~〈13〉)

〈1〉在上海日本総領事館警察署長から長崎水上警察署長にあてた依頼状「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」(1937年12月21日付)

〈2〉和歌山県知事から内務省警保局長にあてた「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」(38年2月7日付)

〈3〉群馬県知事が内務大臣や陸軍大臣にあてた「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」(38年1月19日付)

〈4〉山形県知事が内務大臣や陸軍大臣にあてた「北支派遣軍慰安酌婦募集ニ関スル件」(38年1月25日付)

〈5〉内務省警保局長が各府県知事にあてた通牒「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(38年2月23日付)

〈6〉陸軍省副官から北支那方面軍及び中支那派遣軍参謀長にあてた依命通牒「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(38年3月4日付)

〈7〉内務省警保局長から各府県知事にあてた通牒「南支方面渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(38年11月8日付)

〈8〉陸軍大臣から陸軍内に通達された「改正野戦酒保規程」(37年9月29日付)

〈9〉南京戦史編集委員会編、偕行社発行「南京戦史資料集1」(89年)

〈10〉清水一郎陸軍主計少佐編、陸軍主計団記事発行部刊行「初級作戦給養百題」(41年)

〈11〉桜田武・鹿内信隆著「いま明かす戦後秘史 上巻」(83年)

〈12〉内務省警保局「公娼制度ニ関スル件」(大正末ごろ作成)

〈13〉秦郁彦著「慰安婦と戦場の性」(99年)、鈴木卓四郎著「憲兵下士官」(74年)

■慰安婦をめぐる資料

<慰安所が作られた理由や経緯について>

●岡村寧次大将資料 上巻(1970年、原書房)

「私は恥ずかしながら慰安婦案の創設者。昭和7(1932)年の上海事変のとき、二、三の強姦(ごうかん)罪が発生したので、(上海)派遣軍参謀副長であった私は、同地海軍にならい、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、強姦罪がやんだので喜んだ」

●陸軍省医務局課長会報(39年4月15日)★

第21軍軍医部長が性病予防などのため兵100人に1人の割合で慰安隊を採り入れたと報告。計1400~1600人

●支那事変の経験より観たる軍紀振作対策(40年9月19日、陸軍省が関係部隊に送付)〈資料A〉★

「性的慰安所より受くる兵の精神的影響は最も率直、深刻にして、これが指導監督の適否は志気の振興、軍紀の維持、犯罪および性病の予防等に影響するところ大」

●陸軍省課長会報(42年9月3日)〈資料B〉★

恩賞課長が慰安所を北支100カ所、中支140カ所、南支40カ所、南方100カ所、南海10カ所、樺太10カ所の計400カ所作ったと報告

<慰安婦の集め方について>

●米軍の調査報告書(44年10~11月)★

42年5月初め、軍から慰安所経営をもちかけられた日本人業者が朝鮮で慰安婦を募集。朝鮮軍司令部は業者への協力を求める他の軍司令部あての手紙を業者に持たせた。業者はけが人や病人の慰問、高収入、軽労働などといううその宣伝で女性を集め、7月10日に釜山を出港。朝鮮人女性703人と日本人業者約90人が乗っていた。8月20日に(現ミャンマーの)ラングーンに到着し、女性らは20~30人のグループに分けられ各地の部隊に配属された。

●バタビア臨時軍法会議の記録〈資料C〉★

戦後のオランダ軍による戦犯裁判で、日本の軍人ら9人が44年2~4月ごろ、インドネシア・ジャワ島で抑留されていた10人ほどのオランダ人女性に売春を強制したなどとして死刑を含む有罪判決(スマラン事件)

<慰安所での処遇について>

●「常州駐屯間内務規定」など17件(38~45年)★

中国や東南アジア各地などに設置された慰安所の管理規定。軍による慰安所の建物の提供や営業の監督、営業時間、兵士が払う料金、慰安婦の性病検査などが定められている。フィリピンのイロイロ派遣憲兵隊の「慰安所規定」は「慰安婦外出を厳重取締」としていた。

●オランダ政府の調査報告(93年)

日本軍の慰安所で働いたオランダ人女性は200~300人、そのうち65人は売春を強制されたことが「絶対確実である」

不適切な表現も原文のままとしています。仮名遣いなどは現在の平易な表現に改めました。★印は92~93年に日本政府が確認した資料計285件に含まれるもの。インターネットのサイト「デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金」の「慰安婦関連歴史資料」のコーナーに収録されているものもあります。永井教授が分析した警察関係資料も同コーナーで見られます

朝日 2015年7月2日

http://megalodon.jp/2015-0702-0836-35/www.asahi.com/articles/DA3S11836618.html

朝日 パク・ユハ インタビュー(訂正後) — 2015年6月8日

朝日 パク・ユハ インタビュー(訂正後)

朝日 2015年2月4日05時00分

慰安婦、日韓のもつれ解くカギは 『帝国の慰安婦』著者・朴裕河さん

昨年末に出版された『帝国の慰安婦』(朝日新聞出版)は、慰安婦をめぐる日韓それぞれの「記憶」を再検証することで、感情のもつれを解く糸口を探った意欲作だ。慰安婦問題をどう考えるか、来日した著者の朴裕河(パクユハ)・世宗大学校教授に聞いた。

■個人の痛み、互いに想像を

朝鮮人慰安婦について、韓国側は「少女時代に暴力的に連行された性奴隷」、日本側の否定論者は「ただの売春婦」と主張し、真っ向から対立してきた。朴教授は「元慰安婦たちの様々な証言をもとに、その像を描き直すことを試みた」と話す。

そうして見えてきたのが、朝鮮人慰安婦たちの境遇、経験の多様さ。そして、「帝国と植民地」という構図だったという。

先の大戦当時、朝鮮半島は大日本帝国の植民地だった。日本にとって自国の一部であり、そこでの慰安婦の集め方は、日本兵が直接暴力的に連行した記録の残るフィリピンなど戦地、占領地とは異なったとみる。

「朝鮮人慰安婦の多くは、朝鮮人を含む売春業者にだまされたり、親に身売りされたりして集められたとみられる。『軍人に強制連行された』という証言もあるが、仮にあったとしても例外的と考える」

それでも「本人の意思に反して慰安所に連れて行かれ、痛ましい経験をした慰安婦に対して、日本は責任を免れない」と指摘する。

<帝国と植民地の構図> 朝鮮人慰安婦の背景に帝国と植民地の関係をみるからだ。帝国だった日本の膨張主義が戦争につながり、兵士の性の巨大な「需要」を戦地に生む。そこに「供給」されたのが、貧しく権利の保護も不十分な植民地の朝鮮人女性だったという構図だ。

「なにより、朝鮮人慰安婦は日本人女性を代替する『準日本人』だった」。朝鮮人慰安婦の証言からは、日本名を名乗り「大和撫子(なでしこ)」として振る舞うことを求められた様子が浮かぶ。慰安所での数少ない休日、雪の日でも日本兵の墓の掃除をして、手を合わせる慰安婦もいたという。

「朝鮮人としての言葉や名前を失ったまま、性と命を捧げなければならなかったことにこそ、植民地の悲惨さがある。彼女たちは帝国支配の被害者であり、戦争遂行に『協力』させられる立場でもあった」

しかし韓国社会では、こうした慰安婦の姿は忘れられてきたという。「植民地支配に抵抗した姿のみが、ナショナル・アイデンティティーを形づくる『公的記憶』となってきた」からだ。

その象徴が、2011年、ソウルの日本大使館前に設置された少女の慰安婦像。韓国社会では「強制的に連行された20万人の少女」が「公的記憶」だという。しかし、朴教授は「歴史の研究に基づき、見直す時期に来ているのではないか」と話す。

<合意前提に議論の場を> その主張を盛り込んだ韓国版が13年夏に出版されると議論を呼んだ。「韓国では『公的記憶』に反する意見を言うのは困難。『日帝の娼婦(しょうふ)』と非難されたこともある。ただ若い韓国人ほど理解してくれる人も多い」

「少女」と「売春婦」という主張は対立し、日韓両政府の関係も膠着(こうちゃく)状態だ。打開の糸口はあるのだろうか。朴教授は「ナショナル・アイデンティティーの話にせず、個人の痛みに目を向けること」を提案する。

朝鮮人慰安婦が慰安所に至った経緯はそれぞれ異なるが「慰安所での経験の過酷さは強制連行か否かとは全く関係がない」。日本版では、痛ましい経験をした慰安婦一人ひとりが、顔も個性も異なる人間だったことが伝わるよう、表現に心をくだいたという。一方、韓国人には、「日本人も国家の戦争に協力したが、結果として多大な犠牲者を出したのは事実。個人としての痛みや加害者としての苦痛を想像してみると心に余裕ができるはず」と言う。

朴教授は、日韓関係を前に進めるため、合意を前提に期限を設けて議論する「協議体」を、両国政府がつくることを提案する。意見が対立する学者や関係者たちを含めた議論をメディアが報じることで、両国民の理解を深め、最終的には「日本政府が責任を認めて謝罪する国会決議がなされるのが望ましい」と話す。

「両国にまず必要なのは、互いの痛みについて、いま少し理解しあうことではないでしょうか」

(上原佳久)

■韓国内では記述めぐり訴訟も 朴教授側「誤読だ」と反論

朴教授に対しては、元慰安婦らが昨年、韓国版の『帝国の慰安婦』の記述によって名誉を傷つけられたとして刑事告訴したほか、出版や販売などの禁止を求める仮処分申請と、損害賠償を求める民事訴訟も起こしている。

元慰安婦らは、朴教授が同書で、慰安婦が「売春婦」であり、「日本軍の協力者」だったという誤った認識を広めたと主張。名誉を傷つけられ、精神的苦痛を与えられたとしている。

朴教授側は、「全体の文脈をとらえていない誤読だ」などと反論している。朴教授は検察の事情聴取を3回にわたって受け、仮処分申請をめぐる審理も進んでいるが、いずれも結論は出ていない。

韓国メディアの論調は、同書に対する元慰安婦らの反発を踏まえ、批判的なものも多い。また、朴教授が05年に出版した『和解のために』が文化体育観光省の「優秀教養図書」に選ばれていることについて問題が提起され、同省が選定の経緯を調べる意向を示すなど余波も起きている。

一方で、『帝国の慰安婦』の日本版を肯定的に評価する日本での書評記事を一部の韓国紙がそのまま紹介したほか、同書を題材として慰安婦問題や日韓関係を改めて考える討論会なども開かれている。

<パク・ユハ> 1957年ソウル生まれ。韓国・世宗大学校日本文学科教授。高校卒業後に来日し、慶応大卒。早稲田大大学院で博士号。『和解のために』(平凡社)で大佛次郎論壇賞。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11584796.html

慰安婦問題、識者と考える(朝日) — 2015年6月2日

慰安婦問題、識者と考える(朝日)

今年は戦後70年、日韓国交正常化50年の節目にあたります。しかし、慰安婦問題などが壁となって日韓関係は混迷を深めており、米国なども事態を憂慮しています。解決の糸口をどこに見いだすことができるのか。若手評論家・荻上チキさんの司会で、日本の大学教授、韓国の研究者、元外交官に参加いただき、それぞれの立場から語り合ってもらいました。

◇荻上チキさん(司会) 評論家

おぎうえ・ちき 1981年生まれ。評論家、電子マガジン「シノドス」編集長。パーソナリティーを務める「荻上チキ・Session22」(TBSラジオ)で慰安婦問題を何度も取り上げた。

◇小野沢あかねさん 立教大教授

おのざわ・あかね 1963年生まれ。琉球大学法文学部助教授を経て立教大学文学部教授(日本近現代史・女性史)。著書に「近代日本社会と公娼制度」、共著「日本人『慰安婦』」など。

◇東郷和彦さん 元外務省条約局長

とうごう・かずひこ 1945年生まれ。京都産業大学教授。外務省条約局長、オランダ大使など歴任。北方領土交渉を担当。著書に「歴史と外交」「歴史認識を問い直す」など。

◇尹明淑さん 韓国・忠南大国家戦略研究所専任研究員

ユン・ミョンスク 1961年生まれ。忠南大学国家戦略研究所専任研究員。一橋大学大学院博士課程修了。専門は日韓関係史。日本での著書に「日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦」など。

荻上チキ 慰安婦問題は、国内外の情勢や世論が変わる一方で、論点自体は同じところでぐるぐる回っているような印象もあります。改めていま、慰安婦問題の何が焦点だと考えますか。

小野沢あかね 慰安婦制度の最大の問題は、日本軍が設置、管理し、利用した慰安所で女性の意思に反した性行為の強要があったということです。民間業者による慰安婦の徴集も、日本軍の指示によるものだったことが明らかです。だから、軍の責任は免れない。

また「当時の日本には公娼(こうしょう)制度があった。慰安婦は公娼であり性奴隷ではない」として責任を回避しようとする論法があるのは問題です。慰安婦は公娼ではないし、当時の公娼自体が人身売買された性奴隷に等しかったからです。当時の多くの人々が「公娼制度は奴隷制度だ」と発言しています。国際連盟も公娼廃止が必要としており、日本政府も廃止を考えていたのです。そもそも「売春婦なら慰安婦にされていい」という発想には人権認識が欠如しています。

荻上 日本国内と国外とでは慰安婦問題への認識がずいぶん違うようですが。

東郷和彦 国内では、首根っこをつかんでトラックに乗せたか否かといった「狭義の強制性」に関心が集中し、強制連行がなければ問題ないという見方があります。

一方、海外では慰安婦制度は女性の人権の問題として「絶対許せない」という国際世論があり、正当化する発言には全く理解を得られない。国際刑事裁判所の規程では戦時性暴力は、ジェノサイド(大量虐殺)と同等の「人道に対する罪」の一つとなっていて、慰安婦制度もその文脈でとらえられかねない。国際社会の厳しい視線を理解し対応しないと、日本の孤立化は進むと思います。

尹明淑 慰安婦制度の国家責任は戦時の性暴力被害のほか、植民地支配の責任が問われるべきです。占領地と違い、朝鮮半島などの植民地では軍人が銃剣を突きつけて女性を連れて行く必要がなかった。軍に選ばれた業者などが就業詐欺や人身売買で女性を集められたのは、まさに植民地だったからです。

米国の戦後処理の責任もあります。インドネシアでオランダ人女性を慰安婦にした日本兵らは処罰されましたが、米国主導の東京裁判やサンフランシスコ講和条約など、戦後処理の過程でアジア人女性を慰安婦にしたケースは処罰されなかった。これら植民地支配と戦後処理の責任まで問うことが、慰安婦問題の解決だと思います。

さらに、この問題の犯罪性は戦時中にとどまりません。戦後、日本政府は占領軍向けに特殊慰安施設協会(RAA)を設置し、韓国でも韓国(朝鮮)戦争中は韓国軍慰安隊、1960~70年代に米軍慰安婦がいました。これらは日本の慰安所制度が形を変えて引き継がれたものだと言えます。

荻上 慰安婦問題は最近では、日韓関係の外交的争点としてのみ認識されがちですが、植民地主義や性暴力からの決別という観点や、いかなる人道的対応を諸国家に求めるかといった視野の広がりが必要だと。

東郷 慰安婦問題を国同士の政治問題ではなくするという意味での解決は可能だと思います。できるところからトゲを抜いていくべきで、いきなり植民地主義や戦後処理に議論を広げるのは反対です。植民地主義の議論は欧米を含めてまだ進んでいません。

◇   ◇

荻上 93年の河野談話発表以降、慰安婦問題をめぐる研究はどうなっているのでしょう。

小野沢 河野談話後も500点以上の資料が研究者により見つかっています。軍や警察など日本の公文書、台湾総督府、米国、オランダの公文書、戦犯裁判資料が含まれ、日本軍が暴力や詐欺で慰安婦を強要した事実がわかる公文書も出てきています。被害者や日本兵の証言も豊富にあります。

尹 2013年に韓国の国家記録院で、朝鮮総督府や軍が残した資料を調査しましたが、資料自体がほとんど残っていませんでした。数年前、大阪市長が「韓国サイドに証拠があると言うなら出してもらいたい」といった発言をしましたが、資料がないから証明できないという話ではない。むしろ日本政府が資料を廃棄した責任こそ問われるべきだと思います。

東郷 最近、日韓両国で出版された朴裕河(パクユハ)氏(韓国世宗大教授)の著書「帝国の慰安婦」などを含め、いろいろな検証がされるのはいいことだと思うんです。

尹 朴さんの本をめぐっては様々な意見があります。例えば国家より朝鮮人業者の責任を強調しており、植民地での徴集業者の仕組みをよく分かっていない。日本でリベラル派がこの本を支持することは問題だと思います。

荻上 性奴隷という言葉をどう見ますか。国連や米国で言われる「sex slave」と、日本国内で受け取られる「性奴隷」というニュアンスが乖離(かいり)しているように感じます。将兵らとピクニックなどの娯楽を楽しみ、奴隷ではないという人もいます。

小野沢 自由を奪われ性行為を強要された慰安婦の実態は、26年にできた奴隷条約の「奴隷」の定義に当てはまるというのが国連などでの常識となっています。たとえピクニックなどをすることがあったとしても、慰安婦をやめる自由がなければ性奴隷です。

東郷 苦しんだ人に謝り、こういうことは二度としない、というのが河野談話に表現された日本人の感覚かと思います。さりとて「性奴隷」とか「レイプセンター」という言葉には賛成できません。その視点で議論を貫こうとされれば、問題の解決を非常に難しくするのではないでしょうか。

小野沢 安倍首相は最近、慰安婦について「人身売買の犠牲(者)」と発言しました。軍による暴力連行でなく人身売買なら日本政府の責任にならないと考える人がいますが、それは間違いです。

慰安婦にする目的で女性を人身売買して国外移送することは、刑法226条や21年の「婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」に違反していました。ところが日本政府は禁止するどころか、軍の指示を受けた業者による人身売買を認めていたのですから重大な犯罪です。首相はその犯罪を世界に向けて認めたことになります。一方、首相は人身売買以外に暴力や詐欺で慰安婦を強要された被害者を無視しています。

◇   ◇

荻上 慰安婦のような制度はほかの国にもあるのに、なぜ日本だけが謝り続けなければいけないのかといった反応もあります。

尹 まず、よその国に国家による性暴力があるからといって、自国の犯罪が無くなるとか、相殺されることはありません。河野談話や村山談話を否定する政治家の発言が続くと、日本に対する不信感が強くなります。

東郷 河野談話でおわびをしても、日本国内でそれと違う意見が出てくるのは、言論の自由があるからと、日本人の中のトラウマが解決できていないからです。多くの日本人が何とかしようと思い、河野談話を出し、アジア女性基金で「償い事業」をしましたが、韓国には受け入れられなかった。

韓国で元慰安婦の生存者は五十数人しか残っていない。安倍首相は訪米の際、「女性たちは人身売買で筆舌に尽くせない思いをした。河野談話を継承し、見直さない」と述べた。これを出発点に、解決のための「もう一歩」があり得るのではないでしょうか。元慰安婦に誠意を込めて思いを伝える。女性基金の「償い金」は民間の募金だったが、今後は政府の予算で出す、という考え方です。

尹 被害者が生きているうちに何とかしてあげたいとの思いから、いろいろな提案がされるのはよくわかります。基金を作るときも被害者が生きているうちにといわれました。でも、なぜ多くの被害者が反対する基金を急いだのか。慰安婦問題の解決は、お金だけの問題ではないと思います。何より真相究明を続けるべきだし、被害や謝罪を否定するような発言は処罰されるべきです。また教育は大切です。これらの過程を経て真の謝罪ができ、被害者の名誉回復ができるのだと思います。韓国人被害者は日韓市民の連帯を心から願っているはずです。

小野沢 「日本の国益のために」とか「韓国との政治・経済的関係を円滑化するためにその障害となっている慰安婦問題に早く政治的決着をつける」ということでは解決にならないと思います。

「慰安婦」問題の解決とは、被害者が納得し、その尊厳が回復されることです。加えて、世界中で今日も起きている戦時性暴力は許されない犯罪であるとの認識を深め、その被害をなくすという長期的課題に役立つものである必要があります。本当に女性の人権問題と考えるのなら、日本政府は韓国だけでなくアジアをはじめとする国々に多数存在する被害者に対して、ひるがえらない正確な事実認定と公式謝罪を行い、法的責任を果たすことが必要です。

尹 慰安婦問題の解決を最も難しくしたのは65年の日韓請求権協定だと思います。協定はサンフランシスコ講和条約に沿って結ばれ、財産権と請求権のやりとりだけで、人道に反する犯罪はもちろん、植民地支配の清算もできていない。当時は米国による強い圧力があって正常化が急がされたと言われます。いままた慰安婦問題の解決で同じような過ちを繰り返してはいけないと思います。

東郷 この70年間、日韓は戦争や植民地の問題に取り組み、その時点ごとに解決を進めてきた。その一つが、65年の日韓国交正常化に伴う一連の協定です。

ただし、請求権協定で、請求権問題は完全かつ最終的に解決され、法的責任は認められないのが日本の立場。韓国側に法的責任を認めろと言われると、できることができなくなってしまう。日本が「もう一歩」の行動をとろうとしても、和解に結びつけるには韓国側の理解と行動が必須です。

外交の鉄則は相手の意見を理解し、100点を求めないということ。相互理解を深め、お互いに51点、つまり半分以上譲ることが大切なのではないでしょうか。

荻上 東郷さんは外交面から現実的な解決にどう落とし込めるかという観点でしょうし、尹さんの立場からは植民地支配などの問題と切り分けるべきでないということですね。広く人権問題として位置づけられるからこそ、一市民として、あるべき理想を語る姿勢は手放すべきではないのでしょう。

■多様な考え、伝えていきます

朝日新聞は昨年末、「慰安婦となった女性の多様な実態と謙虚に向き合い、読者にわかりやすく伝える取り組みをより一層進め、多角的な報道を続けます」との考えを表明しました。

朝日新聞は「朝鮮人女性を強制連行した」とする故吉田清治氏の証言を虚偽と判断して記事を取り消し、おわびしました。取り消しが遅れたことへの反省から、慰安婦報道の検証を第三者委員会に依頼し、委員会からは、意見の分かれる論争的なテーマについては、「継続的報道の重要性を再確認する必要がある」と報告書で指摘されました。

戦時中、慰安所が作られ女性が慰安婦にさせられた背景に何があったのか。元慰安婦の救済をどう考えるか。朝日新聞は取材班を立ち上げ、慰安婦問題をめぐる国内外の動きや研究成果などを探っています。これからもさまざまな立場の意見を紹介し、この問題を考える材料を伝えていきます。

(取材班)

◆キーワード

<日韓条約> 14年にわたる交渉の末、1965年6月22日に国交樹立のため調印した基本条約と「請求権協定」などの総称。請求権協定で日本は韓国に無償3億ドル、有償2億ドルの経済協力を約束。請求権問題に関しては「完全かつ最終的に解決された」と記した。

一方で協定は、解釈をめぐる紛争があれば日韓間で協議をし、解決できない場合、第三国を交えた「仲裁委員会」へ付託することも認めた。韓国政府は05年から、国交正常化交渉で協議されなかったとして、慰安婦問題など三つの課題は協定の対象外だと主張している。韓国憲法裁判所は11年、慰安婦問題が協定の対象外かどうかを韓国政府が日本側と交渉しないことを違憲とする決定を出した。

<河野洋平官房長官談話> 日本政府は1991年12月から、関係省庁の資料を調べたり、元慰安婦や元軍人らに聞き取りをしたりして、93年8月に調査結果をまとめ、当時の河野洋平官房長官が談話を発表した。「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営された」「設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」と認め、意思に反して集められた女性が多かったとした。

「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」と結論付け、すべての元慰安婦への謝罪と反省を表明。そうした気持ちを日本として表す方法を真剣に検討する方針や、歴史研究・教育を通じて将来にわたり記憶にとどめる決意も盛り込んだ。

<村山談話と女性基金> 戦後50年の1995年8月15日、自民党・社会党・さきがけの連立政権を率いた村山富市首相が「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題した談話を発表。日本が第2次大戦中にアジア諸国で侵略や植民地支配を行ったことを認め、「痛切な反省と心からのおわび」を表明した。

「アジア女性基金」は村山政権が慰安婦問題の解決をめざして95年7月に設置した。政府は道義的責任を認め、首相のおわびの手紙とともに償い金200万円、医療・福祉支援として120万~300万円を支給した。韓国では公式謝罪と国家賠償を果たすべきだとの反発が強く、名乗り出た女性約240人のうち受け取ったのは約60人にとどまった。

<公娼制度と人身売買> 明治政府は1872(明治5)年、「芸娼妓(げいしょうぎ)解放令」を出し、売春をさせるために女性を売買することを禁じた。しかし、貸座敷(かしざしき)業者から部屋を借りた娼妓が自分の意思で客を取るという名目で、業者が借金を負わせた女性に売春をさせる仕組みを許した。警察が娼妓や業者を管理し、国家が売春を公認する形となり、公娼と呼ばれた。貧しい家庭の親が借金と引き換えに女性を業者に差し出す事実上の人身売買が続いた。

旧内務省の記録によれば、1935年末時点で全国に4万5800人の娼妓がいて、貸座敷業者は9500。戦後も警察容認の売春地区「赤線」が残ったが、57~58年の売春防止法施行で、なくなった。

慰安婦問題、識者と考える

朝日2015年6月2日

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11785778.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11785778

http://megalodon.jp/2015-0602-1936-24/www.asahi.com/articles/DA3S11785778.html