「慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた日韓に横たわる重要な問題であることは言うまでもない」

「残された時間は少ない」

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(@ソウル)少女像が移転される日
2016年7月30日00時00分 朝日

特派員リポート 東岡徹(ソウル支局員)

 「少女像」を取り囲むように大勢が座り込んでいた。警察当局によると約1千人。道路の向かい側では在韓国日本大使館の建て替え工事が進んでいる。7月27日昼、元慰安婦の支援団体「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会」(挺対協)による慰安婦問題の解決を求める集会が始まった。

 参加者は黄色と紫の風船を手に持っていた。「12・28 慰安婦合意 全面破棄」。こうプリントされていた。少女像の移転を防ぐため、座り込みを続けている大学生のグループの代表はマイクを握り、「ここで少女像を守り、合意の廃棄まで行動する」と訴えた。

 挺対協は日本大使館前で1992年から毎週水曜に集会を開いてきた。2011年12月には1千回を迎え、「少女像」を建てた。

 集会終了後、挺対協の尹美香(ユンミヒャン)常任代表は記者団に対し、少女像について「追悼と記憶の象徴」と説明した。日本政府が移転を求めること自体が、「この歴史を消そうとする意図だ」と強調。移転に応じる考えがないことを繰り返した。

 ログイン前の続き少女像をめぐっては、日本政府は韓国政府に移転を求め続けてきた。日韓関係に悪影響を与えるうえ、外交関係に関するウィーン条約で規定する「公館の威厳の侵害」に関わる問題でもある。公道に設置されたが、地元の区の許可も得ていなかったという。

 設置直後に行われた11年12月の日韓首脳会談でも取り上げられた。当時の李明博(イミョンバク)大統領は野田佳彦首相に「(慰安婦問題で日本の)誠意ある措置がなければ、第2、第3の碑(像)が建てられる」と迫ったという。

 慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた日韓に横たわる重要な問題であることは言うまでもない。

 ただ、少女像の設置は日本で反発を生んだ。韓国の政府関係者や有識者の中でさえ、「少女像は外交上の欠礼だ」との声もある。

 挺対協は長年、慰安婦問題の早期解決を求めてきたが、少女像を設置したことでかえって、問題を複雑にした側面はないだろうか。

 こうしたなか、事態が動いたのは昨年12月の日韓合意だった。少女像について「韓国政府としても、可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて、適切に解決されるよう努力する」と盛り込まれた。

 とはいえ、移転は容易ではない。

 韓国ギャラップが合意直後の1月に実施した世論調査では、「移転してはならない」が72%にのぼった。韓国政府側も合意内容や財団について説明しようと挺対協側に接触を試みたが、それも断られた。韓国外交省関係者は「挺対協との面会も難しいのに、少女像の話し合いなんてできる状況ではない」と漏らす。

 韓国政府は合意に従って、少女像の移転に向けて努力しなければならない。しかし、今の状況で、日本側が強く移転を求めれば、韓国で合意に対する批判が広がりかねない。

 むしろ今、日韓両政府が直視しなければならないのは、元慰安婦の高齢化だろう。平均年齢は90歳近い。昨年12月の日韓合意からすでに6人が亡くなった。残された時間は少ない。

 日韓合意に基づいて元慰安婦を支援する「和解・癒やし財団」が7月28日に設立された。財団は元慰安婦の名誉を回復するなどの事業に取り組む。今は事業を一日も早く始め、着実に実施していかなければならない。

 日本政府も財団が事業を実施するために、資金10億円を拠出する。そのあとは「高みの見物」というわけにはいかない。

 日韓合意では財団による事業が着実に実施されるとの前提で、慰安婦問題が「最終的かつ不可逆的に解決される」ことを確認した。財団の事業の遅れは日本にとっても得にならない。日本側も着実に事業が実施されるよう協力しなければならない。

 日韓が協力して、まずは財団が一つずつ実績を積み重ねる。実績を通じて、韓国で合意に対する理解を広げる。こうした理解が少女像の移転につながると思う。

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 東岡徹(ひがしおか・とおる) 1997年入社。大阪社会部、東京政治部などをへて、2014年4月から現職。

http://digital.asahi.com/articles/ASJ7R777PJ7RUHBI02J.html?_requesturl=articles%2FASJ7R777PJ7RUHBI02J.html&rm=452