九六年十二月、アメリカ司法省特別調査部は七三一部隊と慰安所に関与した日本人十
六人を入国禁止処分にしたが、抑止力つまり威嚇効果を高めるため氏名は明らかにしな
い、と発表した。七三一部隊幹部の免責と引きかえにノウハウすべてを召しあげ、RA
Aという日本内務省の外郭組織が提供する日本人慰安婦の性サービスを享受したアメリ
カが、半世紀後に「東京裁判のやり直し」をやる資格ありや、と内外の批判が出たのは
当然だろう。
 ナチ戦犯の調査がほぼ終った特別調査部のリストラ対策かとの臆測も出たが、九七年
の三月二十日、司法省はさらに十七人の追加を公表する。私はこの不自然な動きの背景
事情に注目してきたが、最近になって韓国の挺身隊問題対策協議会(挺対協)が発行し
た会報に出た、イードンウという在米支部代表の報告を読んで、おおよその構図が読め
た。
 それによると九六年十月初旬、ジョージタウン大学でコリア協会、ワシントン挺対協
が開催した国際シンポジウムで、三木睦手元首相夫人が基調演説をしたあと、元慰安婦
のキムーユンシムが白いチマチョゴリ姿で悲惨な体験を語ると、「二百名の学者、知識

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人で埋めつくされた大学の講堂を涙の海にしてしまった」という。
 その二日後にキムー行はユダヤ系のローゼンバウム特別調査部長と会見、部長はハル
モニの手を握って「幼い娘たちが成長したらハルモニの話を必ず聞かせます」と挨拶す
る・翌日には一行は国務省人権担当次官補に会って「米政府から日本政府に圧力を加え
てくれ」と頼みこんでいる。
 イによると、このアイデアは九三年に社会党の土井たか子党首に会ったさい「日本政
府はアメリカなど外部の圧力には弱い」から、「ワシントンに戻ったら、そうするよう
頑張ってくれ」と激励されたからだそうだ。まさかとは思うが、それいらいイはアメリ
カの反日世論を組織し、盛りあげるためがけまわったと得意そうに会報で誇示している。
 十二月三日、入国禁止措置が公表された直後、この筆者はローゼンバウムからお礼の
電話をもらい、ワシントン・ポスト紙の記者に会うように手配してもらったという。そ
のせいか、ポストは四、五、六日と連続してこの件を報道した。
 この人はどうやら、七三一や慰安婦問題がナチによるユダヤ人絶滅と同列の戦争犯罪
らしい、とのイメージをアメリカ人へ注入することに成功したようだが、前国会議長の
教唆はともかく、歴史家をふくむ日本の反体制グループが参画していたのはたしかであ
る。
 七三一と南京事件を焦点とする米韓プラス日本の反体制派による包囲陣については、
『諸君/』九七年三月号(本書収録『慰安婦と七三一部隊』合体の仕掛人)に書いたので
省略する。この種の潮流の特徴は、冷戦期では体制派同士、反体制派同士の提携と対立

だったのに対し、ポスト冷戦期では体制派と反体制派の共闘が珍しくなくなった点だろ
う。米司法省と韓国挺対協との協力関係は、十年前だとありえなかったからだ。
 第二は革命幻想が消滅したせいか、反体制派の言動に自制力が働かなくなり、「愉快
犯」としか思えぬ頽廃ぶりが目だつようになったことである。

現代史の争点
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